小池晃さんの質問はデタラメだった、が……

今テレビで、小池晃参議院議員が高度プロフェッショナル制度について吠えている。裁量労働制の撤回という勝利を勝ち取ったので、この勢いのままで次に行きたいのだろう。

残念ながら、小池さんの頭の中では時間給・月給型のモデルと裁量労働型のモデルが頭の中でごっちゃになっているようで、言っていることがデタラメである。例えて言えば小作農の代表が自営農という制度を理解できないのに似ている。

裁量労働制にせよ高度プロフェッショナル制度にせよ企業からの独立度合いが高い働き方なので、言われたことをやるだけの労働しか経験したことがない人にはわかりにくい働き方なのは確かだろう。

かつて日本は西洋の正解を模倣するだけで成功できたので「言われた通りに働いて細かい改善を提案する」というやり方がうまく機能してきた。つまり、小作農が高度化することで成功した国なのである。しかし、正解がなくなった今、小作農がいくら頑張っても作物の収穫量は二倍にはならない。前回大塚さんが言った通り「レジ打ちが二倍早くなっても売り上げは上がらない」のである。

だからこそ小作農は自ら可能性を追及できる自営農にならなければならない。自民党と経済団体が推奨する制度は基本的にはこの認識が出発点になっており、発想自体は間違っていない。

だが、素直に自民党を応援する気持ちには到底なれない。

経済界は本来は裁量企画型の人たちをうまく使えなかった。その好例が電通の高橋まつりさんである。高橋さんは東京大学を卒業後、電通でデジタルの分野に配属された。この分野での電通の知見がほとんどないので「地頭のいい人」に探索させようとしたのだろう。

成長が止まってしまった企業は新しい知見を求めて裁量型の人を雇う。これ自体は間違っていない。しかし、電通は高橋さんを支援しなかった。現場にはたくさんの「小作農」がいて、高橋さんにパワハラやセクハラまがいの行為を繰り返したようだ。そのうち、自由農は小作として働かざるをえなくなり、かといって小作農を殺さないために作られた制度も活用できなければ、小作農向けの正解もない。最終的に何も考えられなくなり、最後には逃亡を図った。

電通の事例が深刻なのは、彼らが決してデジタル分野での経験を積んでいないとは言えないからである。海外の多くの会社と合弁して人を送り出している。それを本社に持ち帰っても再現ができないのだから企業文化に問題があると考えても不思議ではないのだが、電通は未だにそれが理解できないでいる。企業文化を変えるのはそれほど難しい。

実際の企業ですらそうなのだから、共産党の議員が「月給型」と「成果型」の社員を弁別できないのは当たり前である。経営者も理解できていないことが労働者が理解できるはずもない。

そこで不毛な議論が繰り返されることになる。さらに自民党の政治家にいたっては、それを理解させようともせず、壇上から「ヘラヘラと笑って」見ているだけである。彼らはさらに当事者意識がない。

ニュースでしかこの件を見ていない人にはわからないかもしれないが、今回の議論では安倍首相をはじめとする閣僚たちはいきりたつ野党をヘラヘラと笑いながら見ている。自分たちは特権階級であり「能力の低い小作的従業員のことなど知らない」という意識があるのだろう。ついて行けない人はついて行けなくても良いという認識がかなりあけすけに見受けられ、テレビ中怪が入っていてもそれを隠すそぶりもないのだ。

小作農が東アジアにおいて共産化の原動力になったという歴史を踏まえて、GHQは小作を自営農化させた。しかし、単に小作を放出することはせず、農協などの組織を整えて相互協力ができるようにした。つまり、高度プロフェッショナル制度なり裁量労働制を導入するにあたっても社会化が必要だということになる。だが、現在の自民党は過去の事例や数的モデルを利用した概念化ができないのでこのことがわからない。安倍さんがレクチャーされた内容をやみくもに暗記しているのと同じように、いろいろな成功事例が整理されないまま頭の中にあるのだろう。

抽象モデルが作れない自民党は新しい小作農を作ろうとしている。従来型の小作農は一旦抱えると一生面倒をみなければならなかった。荘園の経営者はそれは嫌だと言っている。そこで、自民党は非正規雇用をなし崩し的に拡大し続けてきた。特に派遣労働は派遣労働者に対するフリーライドである。派遣会社は雇用調整をしているだけで何ら生産的な付加価値を提供してはいないが、その存在が政治的であればあるほど政治への関与が増える。現在、彼らは外国人労働者を導入しようとして各地に経済特区を作っている。

マスコミにもモデルを作って全体を俯瞰するという習慣がないので、こうした正反対の政策が相互に矛盾するのではないかという議論は起こらない。全体像がないのだから労働者は当座の正解を求めて自己防衛的な反応をとらざるをえない。だから、自由農的な働き方をする人が出てきたら妨害して潰してしまい、身分が変わりそうな提案が出たらそれを潰してしまう。

こうしたマインドセットはTwitterにも現れている。裁量労働に対する興味・関心はそれほど高くないようで「最低賃金が重要」という声が強いようだ。生産性が高い国は物価が上がるから最低賃金も上がるのだが「相関性があるからこれは最低賃金をあげれば生産性が上がるという意味に違いない」などと言い出す記事もあり、状況は混乱している。

つまり「自分たちはたいした才能があるわけではないから高い賃金は望めない」と考えており「であれば、働いた分だけ最低賃金が欲しい」と考えているわけである。あれこれ指図してくれればそれが間違っていて成果が上がらなくても自分の給料分だけは働きますよという主張だ。

古い土地は地力を失い収量が落ちているのだが、誰も新しい土地を開墾しない。お互いに罵り合ったり嘲りあったりしながら、もう作物が育ちそうにない土地を耕している。収量が上がらなくても耕した時間の分だけ給料がもらえるので、やめられないのかもしれない。

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議論について行けなかった安倍首相

安倍内閣が裁量労働制の法案を提出しないことを決めた。これはこれでホッとする話ではあるのだが、このブログでは「労働についての議論が全くなされていない」のは与野党ともに責任があるのではないかと、比較的野党に厳しい姿勢で指摘してきた。しかし。どうもこれは正しくなかったようだ。

今回、参議院での大塚耕平参議院議員と安倍首相とのやり取りを聞いて「やはりバカなのは安倍さんなのだな」と思った。このバカぶりは深刻で、そのためにこの国の労働法制の議論が前進できなくなっているようなのだ。

よく「〜はバカだ」という議論がTwitterで繰り広げられている。これは人格否定であり、やみくもに使うべきではないと思う。しかし、この「バカ」には明確な害悪がある。一つ目は議論が進まなくなることなのだが、もう一つは「バカ」な人たちがバカなままでも政治に参加して良いと思うようになるという点にある。安倍首相を見て「初めて政治がわかった」という人も多いのではないかと思う。

wikipediaによると、大塚さんは日銀にいる間に大学院に通ってマクロ経済を研究したようである。つまり経済の専門家である。しかし、大塚さんは国会で専門知識を使って安倍さんをねじ伏せるようなことはしなかった。しかし、これが却って深刻さを浮き彫りにしている。大塚さんは「バカ」がどのように議論を理解するのかということがわからなかったのではないかと思う。

大塚さんの議論はこうだ。

そもそも裁量労働制が政府案として採用されるに至ったのは経済界が生産性を先進国並みに上げるためには労働法を帰るべきだと考えているからである。実際には経済界の「お友達」の間の約束事であり厚生労働省は関わっていないようである。厚生労働省が「エビデンス」を見つけられなかったのは当然だ。普段の現場を見ている人たちからは「裁量労働を増やせば生産性が上がる」などという議論は出てこないのである。

いずれにせよ、日本の労働生産性が低いというのが認識になっている。我々はこの数字を当たり前のことと考えており、このブログでもそのように取り上げてきた。

大塚さんは、そこで日本の統計数字の取り方は必ずしも正しくないのではないのかと疑問を呈した。失業率を下げるために広く労働人口を捉えることになっているようなのである。このためにたくさんの人が働いているのになぜか労働生産性が低いという数字が出ているのだと指摘したのである。

細かいことは理解できなかったのだが、つまり「分母と分子」の話であり、つまり割り算の問題でしかない。他の大臣はこの議論についてきていたが一人だけわかっていない人がいた。それが安倍首相なのだ。つまり、彼はこの問題が割り算の問題だということがわからない。だから、議論について行けないというわけである。そこでそれまでのレクチャーから聞き及んだ様々な単語を抜き出して、それを議論の中に出てきている言葉に当てはめてわけのわからない答弁をしていた。

冒頭で安倍首相はバカだと書いたので、多分ネトウヨの人は読むのをやめていると思うのだが、実際の問題は「概念的なモデルが作れない」という点にあるようだ。記憶力に問題はないようで、そのあとの議論でも過去に読んだ本の話をしている。

大塚さんが到達したかったのは、これは「日本の労働生産性が低い」という前提で始まった議論だが、その認識が正しいかどうかはわからないので、統計そのものを見直した上で議論しませんかという提案だった。

日銀と関係省庁はどう調整していいかがわからないのか、それとも野党の議員風情に指摘されたくなかったのか、うやむやな答弁をしていた。これについて大臣と日銀総裁が正しいと思えばそういえば良いし、そうでなければ「検討しましょう」といえば良い。しかし安倍さんはそもそも議論がよくわかっていないので、何もいえないでいたのだ。割り算がわからないというのは正確ではない。多分「モデル」が作れないのだろう。

大塚さんは、この先に労働生産性を上げるためには売り上げが上がらなければならないということを安倍さんに理解させようとしていた。ここでパートの従業員がレジ打ちの速度を二倍にしてもスーパーの売り上げが上がらなければ生産性は上がらないという誰にでもわかりそうな議論を展開した。

だが、これはまずかった。

茂木大臣と黒田総裁は「給料が上がらない」ということを認めてしまうと彼らの施策が効果がなかったことが露見してしまう。だから、大塚さんの仄めかしを避けようとする。しかし、そこには奇妙な空白が生まれる。だが、安倍さんにはそのことがわからない。大塚さんがどこに話を向かわようとしているかがわからないからだ。

安倍首相はパートの話は理解できたようだ。だが、結局大塚さんが何を意図しているのかがわからなかったようで「いい例えだった」と言って話をまとめてしまった。黒田さんは「給料が上がれば直近の経済成長は望めるかもしれないが、それ以上の成長を望もうとすれば供給側の構造改革をしなければならないのだから、政府のやろうとしていることは正しいはず」と主張したのだが、多分安倍さんは黒田さんが何を言おうとしたのかもよくわからなかったはずである。

モデルが作れない人がこれまでの議論をどう理解してたのかと考えると、かなり暗い気持ちになる。専門家が繰り出す様々な言葉が次から次へと頭の中に入ってくるのだが、それが決して一つの像を結ぶことはない。それは永遠に続く混乱と呼べる状態なのではないだろうか。その意味では「かわいそうな状態にある」と言える。政治家の家にさえ生まれていなければ、もっと安倍さんにあった仕事が見つかったはずだ。

例えば、今回の議論では労働生産性は成果(付加価値)と投入時間の議論から始まり、実は付加価値をつけるためには給与が上がらなければならないという関係があった。大塚さんは多分頭が良い人なのだろう。だからこの理屈を「簡単に説明してあげればきっと経済の専門家でない人にも理解が可能であろう」と考えたのではないかと思う。ところが安倍さんにはこれがわからない。それどころか映像のあるたとえ話は「なんとなくわかった」印象を与えるので却って危険なのだ。

自民党にとってはバカを中心に置くことにはメリットがある。安倍さんの下で働いている人たちは「決して安倍さんは理解ができない」ことがわかっているので、自分のやりたいことができる。安倍さんには美辞麗句を並べ立てて都合の良い話だけをしていればよい。また、失敗したとしても安倍さんから責任を追及されることはない。

さらに、モデルが作れない人たちは、安倍さんの話を聞いて初めて「政治がわかった」と感じたのではないかと思う。これが安倍首相が広く支持を集める理由になっているのではないかと思う。これは選挙に強いことを意味している。

つまり、有権者と好き勝手にしたい人たちの間に「バカ」を置くことですべての矛盾が吸収される。野党が理詰めで追及しても「バカ」が吸い取ってくれるのである。

これをIQと結びつけて考える人もいるかもしれないのだが、抽象モデルを作れない人は記憶力の優れた人の中にも多くいるのではないかと思う。彼らは正解を記憶することはできるがモデルを使って未来を予測することはできない。つまり、探索型の行動が取れないことになる。皮肉なことに、これは日本の生産性を下げる一つの要因になっている。経済界が「アメリカのように時間賃金型でない給与体系を入れれば日本も成長するだろう」と考えているのはその一つの表れである。

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