ホフステード類型と民主主義

ホフステードの文化ディメンジョンをRでクラスター分析した。関数はkmeansを使い、クラスターを12に分類した。ホフステードは現在6要素を持っているのだが、今回は「長期的視点」と「耽溺」を除いた。どの要素を取るかによって結果は違ってくるだろう。

今回は「民主主義・権威主義社会」を分類しているので、まず権威と個人主義を軸にして2つに分けた。個人主義的な社会を民主主義社会とし、権力格差が大きく集団主義が大きい社会を権威主義社会と定義する。

権威主義社会はリスク回避傾向をもとに2つに分かれた。リスクを嫌う傾向がある社会とリスクを取る社会だ。インドとアフリカはリスク回避傾向が低い一方でアラブ社会やラテン社会(スペインおよびその影響を受けた中南米諸国)はリスク回避傾向が高い。ラテン社会でもコロンビアとメキシコは権力格差が非常に大きい権力社会だということが言える。

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一方で民主主義社会は競争的か共助的かで2つに分類できた。もう一つの指標はリスク回避傾向が高いかどうかだ。この二軸で4象限が作れる。フランス(およびベルギー)とフィンランドを1つにまとめることができる。違いは個人主義の度合いだ。指標を見ると、フランスは一般的に考えられているような「個人の自由」のある社会ではないのだ。

日本はイタリア、ドイツ、ハンガリーと同じグループに入るのだが、このチームは偏差が大きい。ある意味「その他」チームと言える。日本は集団主義だと言われることが多いのだが、中庸な国だ。それよりもリスク回避傾向が大きく、競争が激しい点に特徴がある。

民主主義という点で見ると「個人のがんばりを反映する」か「助け合いをよしとするか」という指標があり、新しい挑戦をよしとするか、それとも危険を回避したがるかという点があることになる。

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それじゃあ日本にはどんな民主主義が向いているのか

というわけで、日本の国柄とか民主主義とかを考えている。これまでいろいろ好き勝手に書いてきて、国の文化を他国と比べたら日本にふさわしい民主主義の形が見つかるのではないかと思った。そこでホフステードの最新版データをダウンロードしてきて、Rでクラスター解析してみた。クラスターの数は7つ。といっても難しいことは何もない。kmeansという関数をくぐらせるだけである。これが妥当な方式かどうかは分からないのだが、余興としては面白そうだ。

7つのグループを作ったのだが、スロバキアが単独でグループを形成したために6グループになった。指標は左から、1.権力格差が大きいか、2.個人主義かどうか、3.競争が激しいか、4.リスクを避けたがるかということになっている。

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第一のグループは権力格差が低い個人主義国だ。特徴は共助の精神が旺盛で居心地の良さを求めるという点。左派・リベラルの人が憧れる国が並んでいる。オランダもワークシェアリングと同一労働・同一賃金などで有名だ。北欧の人たちが「とりあえず思いついたことを試してみよう」と考えるのに比較して、オランダ人はやや慎重らしい。
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次の国々は個人主義ともいえないし権力格差もそこそこという国だった。割と慎重な人たちが多い。そして「居心地の良さを求めるかどうか」という点に関しては差が大きい。福祉にお金をかけそうな国が上位になるように並べた。こういう国は多党制民主主義があっているのではないかと思う。

日本はこのグループに入る。日本で民主主義がそこそこ根付いたのは偶然ではないということになる。日本は島国だが「大陸民主主義型」とした。イギリスが含まれていないからだ。このグループにはフランスが含まれるが、フランスは二大政党制だそうだ。なお12分類すると、このグループは解体し、日本はドイツやイタリアと同一の一群を形成する。フランスベルギーなどと独立したグループを形成した。
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次の国々は権力格差が大きく集団主義の国。リスク回避傾向にはばらつきがある。競争的かどうかという点では中位だ。アフリカ、中国、インド、ASEANのいくつかの国が含まれる。ホフステードはアフリカを東西にざっくり分けているので、サブサハラの国はすべてこの中に入った。どうラベリングしていいか分からなかったので「開発途上国」としたのだが、Developingの綴りを間違えた。インドは世界最大の民主主義国として知られている。

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意外とここに入る国が多かった。アラブ圏、ロシア、中南米の国、トルコが入る。この中で「まともな民主主義」国はウルグアイしかない。中南米はうまくやっていると思う。現在テロが蔓延している地域なのだが、意外なことに韓国、タイ、ポルトガルが含まれている。「民主主義が失敗して軍隊が介入しました」というのが時々ニュースになるが、すべてここに含まれているのだ。調べてみるとポルトガルも軍政を経験しているそうだ。

基本的にこういう国では民主主義は無理なんだろうなあと思う。特徴は権力格差が大きく集団性が高いところだ。リスクも避けたい傾向があるらしい。
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なぜか日本人が憧れてやまない国々。明治政府はドイツ型の憲法を導入したし、現在の政府はアメリカ製の憲法を押し付けられた。個人主義が強く上から押さえつけられるのを嫌がる傾向がある。北欧型との違いは、競争するのか共助で行くのかという点だろう。こういう国では個人が自己主張するのでコンペティションが成り立つのだろう。スイスが入っているのはおかしいと思う人がいるだろうが、ホフステードはスイスを2つにわけている。これは平均値を取ったもの。
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最後はどっち付かずの国々。ウラル民族のフィンランドとイランなどが入る。個人主義の度合いが低いことでここにまとまったようだ。イランを除いて権力格差が大きくない。

最後に色分けした。現在の世界は、中ロ(時々イスラム)・欧米が対立している構造を持っているのだが、この色分けでいうと、薄いブルーと緑・茶色、青、赤国家の対立ということが言えるだろう。
overview

ちなみに、クラスターを12に分離するとグルーピングが変わった。

  • バングラディシュと南米の一部(大コロンビア地域)
  • ドイツ・イタリア・日本(日独伊三国同盟)+ハンガリー
  • 北欧
  • 中国・インド・マレーシア・フィリピン
  • アフリカ・香港・インドネシア・ジャマイカ・シンガポール・ベトナム
  • アングロサクソン諸国
  • アラブ・アルゼンチン・ブラジル・イラン・スペイン・トルコ
  • ブルガリア・南米の一部(太平洋岸)・韓国・スロベニア・台湾・タイ
  • フランス・ベルギー・ポーランド
  • スロバキア
  • ギリシャ・ポルトガル・ルーマニア・セルビア・スリナム・ウルグアイ

日本人はなぜ合理的に考えられないのか、中東ではなぜ民主主義がなりたたないのか

よく「日本人は合理的に物事を考えられない」と言われる。それはなぜなのだろうか。




例えば、アメリカ人は次のように行動する。

  1. ゴールを決める。
  2. ゴールを立てる道筋(仮説)を立てる。
  3. ゴールを達成するためにはどのようなコストがかかり、どのような効果が得られるかを決める。
  4. ある点で行動を検証し、説明がつかないことが出てくれば仮説に戻る。

ところが日本人はそうは考えない。仮説に都合の悪いところが出てくると、解釈を変えてしまうのだ。では、なぜ解釈を変えるのか。それは、日本人がアメリカ人とは異なる点に基礎を置いているからだと考えられる。

  1. 所属する団体を決める。
  2. 所属する団体での立ち位置を決める。
  3. 所属する団体の立場が正しくなるような論理を選び、解釈する。
  4. 状況がおかしくなると、論理を変えるか、解釈を変える。

その意味では日本人は別の要素に基礎を置いているのであって、デタラメに動いているのではないことが分かる。よくアメリカ人は「日本人は意思決定が遅い」と嘆く(実際に英語ではそういう記事がいくらでもある)のだが、これは日本人が「新しい要素によって、所属集団と自分の立ち位置」が変動するのを恐れるからだ。そこで「自分が知っていて」かつ「成功することが分かっている」論理を採用したがる。新しい仮説の導入は日本人にとってリスクが高いのである。一方で、論理は所属を正当化する結論が大切なのであって、その成立過程というものにはそれほど関心が払われない。

日本人は「流れ着いたもの」を使うことには長けているが、合意しながら根本原理を作ることは苦手だといえる。例えば、日本人が憲法を一から作れないのはそこに原因がある。そもそも作れないし、解釈の余地がないものにたいして「リスク」を感じるのだ。そのため、重要になればなるほど判断を避ける傾向にある。

日本人は根本にある仮説を無視する傾向にある。このため、こうした一連の概念をあまり峻別しない。事実(ファクト)と理論・仮説(セオリー)

  • 情報(インフォメーション)とデータ
  • 危険性(リスク)とコスト

にも関わらず関係性に関する概念は発達していて、言語化しなくても正しく判断することができる。

これが分かるのは、他者と比較しているからである。もちろん、一人ひとりの日本人が「仮説ベース」の思考ができないわけではない。海外で勉強するような機会があれば、すんなりと受け入れることができる。ただ、集団になってしまうと、非論理的な意思決定に傾くことが多い。

日本人は非論理的だが、それでも民主主義を許容できないほどでもない。ところが民主主義が許容できない文化圏がある。それが中東地域である。このように書くと「中東を差別しているのではないか」という批判がありそうだ。民主主義が優れた制度だという仮定に立った批判だろう。

例えばサウジアラビアは権力格差が強い。日本人はアラブ圏ほど権力格差が大きくないので上から押さえつけられると反発してしまうのだが、サウジアラビアの人は「好きにやっていいよ」などと言われると不安に思うだろう。つまり、目上の人たちが明確に支持を与えてくれないと不安になってしまうということを意味する。一方で集団性が強く、人々は自分がどの部族のどの階層に属しているかということを明確に意識して暮らしている。さらにリスクを避ける傾向にある。

同じ傾向はイラクにもある。個人の意見をすりあわせて、仮説を立ててとりあえず前に進むということが日本人以上に難しいだろうことが予想される。同じイスラム圏でもトルコやイランのような非アラブ圏はここまでは極端ではない。

それではアラブ圏は未開なのかという議論が生まれるわけだが、アラブ圏は未開というわけではない。単に意思決定の方法が民主主義国家とは大きく異なっているということは言える。そこに無理矢理民主主義をインストールしようとして起ったのが、イラクの混乱だと考えられる。

アメリカは日本を占領するときにかなり研究を行ったようだ。そのため日本の国情を考慮し天皇制を廃止した完全な共和制国家にはしなかった。集団主義が根付いていることを知っていたのだろうと考えられる。

しかしながら、1990年代の日本人はあまり自分たちのことを理解していなかったのではないかと考えられる。小選挙区制は、仮説をもとにして勝ち負けを決めるという制度だ。そもそも文字で書いた約束事に解釈の余地がなくなるのを嫌うのだから、仮説そのものが曖昧になるのは当たり前の話だ。さらに、負けた人たちは意思決定に関われなくなるので、党派対立そのものが目的化してしまうのだろう。

ラテンアメリカ諸国、国民性と民主主義

ラテンアメリカはすべてスペイン語圏で、似たり寄ったりの人たちが住んでいるんだろうと思っていたのだが、地域によってかなり様相が異なるようだ。面白そうなので、手元にあるホフステードの指標などを調べてみた。

人種構成

L_america004南部の温帯地域ほど白人比率が高い。唯一の例外はコスタリカだが、他の地域では混血に分類される人が白人としてカウントされているらしい。その他にもともといたインディオの人たちが病気で壊滅してしまったという事情もあるそうだ。コスタリカは高度な民主主義を享受している。

その他、ウルグアイとパラグアイなんて同じようなものなのだろうと思っていたのだが、人種構成はかなり違っている。ウルグアイはかなり民主主義の盛んな国(日本より民主化度数が高い)なのだが、それでも軍政を体験しているそうだ。

一般的に白人度合いが高いほど、民主主義も発展しているという傾向がありそうだ。

権力格差

l_america001一般的に権力格差はそこそこ高い。日本より平等指向の国はアルゼンチンくらいなようだ。民主主義が機能不全を起こしているベネズエラは突出して高い。エクアドルもやや高め。どちらも産油国であり、OPECに加盟している。

ブラジルは官僚主義の国だが、アルゼンチンはそれほどでもなさそうだ。その意味ではアルゼンチンとコスタリカが例外なのかもしれないのだが、その違いがなぜ生まれたのかはよく分からない。人種や文化というよりは、社会構造によって違いがでる指標なのかもしれない。

個人主義の度合い

L_america002個人主義の度合いが強いのは白人が多い国だ。原住民の人たちの個人主義の度合いは低めなのだろう。この個人主義という観点だけが人種とリンクしている。

唯一の例外はメキシコだ。白人の割合はそれほど多くない。メキシコは権力格差も大きい。あまり民主的な国家とも言えないようだ。

男性的社会

L_america003男性指向というのはなかなか分かりにくい指標だ。「24時間戦えますか」というのが男性指向の極端な例だ。日本はこの指標がきわめて高い国である。逆にみんなで助け合ったり、居心地のよさを求めたりするのが女性的社会である。日本でどんなにがんばっても社会で子供を育てて行こうとならないのは、日本人が母性的な優しさを持たないからだと言える。

ここではメキシコ、コロンビア、ベネズエラが割と男性的な社会だといえる。同じ産油国でもエクアドルとベネズエラでは全く事情が異なっている。

歴史的な経緯といった、複雑な条件が違いを作るのだろうとしか説明ができない。

まとめ

同じようにスペインやポルトガルに支配されていたのに、国によって文化は全く異なる。なかには、内戦でめちゃくちゃになった国(ニカラグア)と比較的民主主義がうまく機能している国(コスタリカ)が隣り合っている地域もある。中米地域と南米北部はそれぞれ一つの国を作っていた時代があるのだが、長続きしなかった理由がよくわかる。文化がバラバラだと国としてまとまることが難しいのだろう。

北米のアメリカ合衆国はキリスト教徒民主主義を基本理念としてまとまっているという印象があるのだが、中南米もキリスト教とスペイン語を基盤としているわけで、共通基盤があるからといって、統一性が作られるというものでもないようだ。北米は比較的平坦で行き来が楽なのだが、中南米は行き来が難しそうである。一体的な市場が作られなかったという点も、統一を阻んでいるのかもしれない。

個人主義と民主主義の関係

前回までのエントリーでは「日本には個人の契約に基づく民主主義が成り立たない」という嘆きについて考えた。確かに、西洋流の民主主義は個人の契約に基づいて運用されるように見えるのだが、日本では別の行動原理が働いているのではないかと考えた。

そもそも、民主主義は個人主義社会でないと成り立たないのか、疑問に思ったので実際に調べてみた。

ホフステードの個人主義指数と民主主義ランキングをプロットした。最近まで日本は「完全な民主主義国家」だったのだが、安倍政権ができてからランキングを落として「欠陥のある民主主義」に転落した。日本語版のWikipediaは2014年版なのだが、英語版は2015年版だ。もっとも、それほど嘆くことでもなさそうだ。最近テロが頻発するフランスも順位を落としている。合格ラインは8なので、日本はぎりぎり当落線上にいる。

democracy001

結果は一目瞭然だ。民主主義と個人主義の間には相関がありそうである。だが、これだけではちょっと弱い。コスタリカ・台湾・韓国などの国で民主主義が成立していることが説明できないのだ。

ということで、今度は権力格差について調べてみた。数値が高いほど権力格差が高い。また権力格差が大きくても民主的な社会と非民主的な社会に拡散することが分かる。ここでも日本は中位である。たとえばアメリカ人は権威を振りかざされると怒りだす。アメリカが権力格差の小さな社会だからだ。権力格差も民主主義と関係がありそうだ。当然、負の相関である。

democracy002

ということで、二つを単純に足して(100-権力格差)+個人主義と民主主義指数を比べた。

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依然相関があるようだが、グラフの左の方は相関が薄くなる。イランがアウトライヤーになっているので、相関は弓なりだ。この図を見ると、日本は平均線上にあることになる。

このグラフは2つの要素の合成になっているので、質を表すために権力指向と個人主義指向をプロットした上でグループ分け(kmeans)してみた。日本はオレンジ色グループに入る。

特に後進的なグループということはなく、ベルギー、フランス、スペインなども入っている。その他の国はインド、台湾、ブラジル、トルコなど。ちなみにフランスは多党連立型だそうで、アングロサクソン流の二大政党政治ではない。スペインは全国政党の他に多数の地方政党がある。ベルギーはそもそも全国的なまとまりがなく、最近では首相が出せない事態に陥ったばかりだ。ブラジルも多党型らしい。

Rplot

日本は自民党による政権維持が長く続いたが、長い間複数派閥による非公式の(つまり選挙によらない)派閥政治の時代が長く続いていた。こう考えてみると、日本が小選挙区二大政党制を指向したのは「気の迷い」だったしか言いようがない。

もちろん、今回はたまたま入手可能だった数字を当てはめてみただけなので「科学的でない」という批判もあるのだろうが、それでも思い込みたっぷりで作られた「国柄」に陶酔するよりも多くの洞察を与えてくれる。また、日本はそれほど特殊な国ではないということが分かるのではないか。

 

 

民主主義の成立と崩壊の要件(仮説)

「立憲主義が崩壊する」という話が世間を騒がせているので、いろいろと考えている。モデルを作ったので検証してみる。

民主主義が成立するためには次の要件が必要だ。

  • 必須要件
    • 調停者:共通文化があり、話し合いができること。
    • 事業:敵が存在し、戦争の可能性があること。戦争がない場合には、それに代わる事業があること。
    • 国民参加:占有リソースがなく、戦争のための資金を税で徴収する必要があること。占有リソースは天然資源と外国からの援助。
  • 追加要件
    • 紛争の解決手段として武力行使が蜂起されていること。

民主主義と言えば西ヨーロッパだ。外敵のために、各国家がまとまる必要があった。内戦が繰り返されたが、外からエネルギーが供給されないので、無限に戦争をする訳には行かなかった。紛争解決のためにはキリスト教の権威が使われ、国民の協力を取り付ける必要があり民主主義が発展した。最終的な内戦は第二次世界大戦だが、さすがに「これはまずい」ということになり、武力放棄(正確には防衛の共同主権化)を行った。西ヨーロッパが失敗しつつあるのは、外から非キリスト教徒が流入してきたからだ。共通文化が阻害され、不安に思ったイギリスがヨーロッパ世界からの離脱を試みている。共通文化を保持しようとしているのだ。

アメリカ合衆国は成熟した民主主義とキリスト教を建国の共通文化として引き継いだので、内部の紛争解決のために暴力が使われることはあまりなかった。最近になっておかしくなったのは、外敵が消滅してしまったからかもしれない。格差が拡大するとポピュリズムが台頭し、民主主義が阻害される。アメリカは武力を放棄していないので、各地でテロが起るようになった。

ヨーロッパと同じような通路を取っているのがソマリランドだ。氏族間対立があり内戦に突入したのだが「報復合戦は不毛だ」ということに気がついたソマリランドでは内戦が止まった。その他の地域では武力の放棄がなくならなかったので内戦状態が続いているのだという。しかしソマリランドでは民主主義は発展せず、部族長の調停のようなことが行われているようだ。ルワンダでも内戦があり大規模な虐殺があった。外からの武器供給もあったようだが、国が崩壊する寸前で「内戦は不毛だ」ということになった。ヨーロッパが民主主義を獲得する前段階にあると考えられる。ルワンダはヨーロッパに統治された経験があり、民主主義による解決が図られている。

民主主義の成立要件として、占有リソースの不在は重要な要素だ。例えば北朝鮮は東西対立のためにソ連や中国から特別な援助を受けていた。ソ連からのリソースを占有することで朝鮮労働党が優位を保ってきたのだ。このため民衆の協力を仰ぐインセンティブがなく民主主義が発展しなかった。北朝鮮が内戦に入らないのは、民衆が武器を持っていないからだろう。武器の流入経路が中国しかなく、中国は北朝鮮が混乱することを望んでいない。

問題解決の手段として武力の放棄がなされず、共通文化があり、占有するリソースがある場合は南スーダンのようになる。南スーダンではアラブ人という共通の敵がいたために、諸民族がまとまる必要があった。これが取り除かれた(取り除いたのは国連)ために、内戦に突入し、収束のめどが立っていない。内陸国なのでどこからでも武器が入ってくる。

共通文化が取り除かれることで内戦に突入する場合もある。ユーゴスラビアは南スラブ系の諸民族が合同してできた国だったのだが、共産主義という共通文化がなくなったことで内戦に突入した。言語にも宗教にも共通性はなかったからだ。外からのリソースの供給がなかったので内戦は9年で収束した。諸民族が武力を持っていなければ、紛争解決のためには民主主義が使われていたのかもしれない。ソ連からロシアに代わる移行期だったので、東西の代理戦争にならずにすんだのだが、それでもヨーロッパは長期間混乱した。

共通文化とは何かという問題が出てくる。例えば中央アメリカや南アメリカはスペイン語という共通文化を持っていた。しかし、結果的には数千万人から数百万人単位の勢力に分裂した。アメリカはイギリスという敵があり、ヨーロッパはアメリカやロシアとの競争上まとまる必要があったと、考えると中央アメリカや南アメリカには明確な敵(あるいは競争相手)がいなかったことが問題なのだと言える。中央・南アメリカが統一されず、かといってヨーロッパのようなまとまった戦争にならなかったのは、交通が不便で市場が統一されなかったからだという説があるそうだ。スペイン語圏は、メキシコ・中央アメリカ・コロンビアとしてまとまったのだが、やがて小国に分離することになる。いくつかの国では国家として成立しないほどに分裂が進み、市場が崩壊した。一方、地理的なまとまりがあったポルトガル語圏はブラジルとしてまとまった。

武力を放棄しなかったニカラグア、武力を放棄したコスタリカ、石油という占有リソースをもっていたベネズエラと違いが出ている。民主主義が発達したのはコスタリカである。武力と占有リソースがなかったのだ。ベネズエラは石油という占有リソースを持っていたために、経済が大混乱している。

このフレームワークから、日本の民主主義について分析できるかもしれない。日本は孤立していたために、大きな敵の存在がなく国民の協力を得る必要がなかった。そこで、民主主義が十分に成立しなかった。同一言語で市場が単一だったために、共通文化が成立した。兵役と参政権が導入されるのは、ロシアや中国との戦争のために国民の協力を得る必要があったからだ。また、リソースがなかった点は民主主義発展の一助となった。しかし、民主主義が成立するまえに敵が失われたために、民主主義の成熟が中途半端に終わってしまった。

いずれにせよ「立憲主義」とか「民主主義」というのは結果であって、それ自体の保護運動というのはあまり意味がないのかもしれない。

この分析ではイラン(ペルシャ社会)やロシアで民主主義が成熟しなかった理由は分かる。天然資源が豊富なので国民の協力を仰ぐ必要がなかったからだ。インドは資源がないために民主主義を成熟させる必要があった。皮肉なことに共通文化はイギリス植民地の経験と英語だ。しかし、敵の存在が希薄なので格差が温存されている。イスラエルは強大な敵がおり、リソースもないので民主主義を発展させる必要があった。

ただ、この仮説に当てはまらない国もある。中国にはこれといった資源がなく、さらに市場が統一されており、漢語という共通文化もある。内戦も経験しており民主主義が成立しても良さそうである。しかし、内戦が途中で止まり、独自の中華秩序を作って安定してしまった。このため民主主義も発達せず、技術革新も途中で終わった。現在は軍管区がある程度の緊張関係を持っているそうだが、不思議なことに内戦に発展しない。

これは中国が民主主義や戦争によらない独自の調停手段を持っていることを示唆するのだろう。ヒントになりそうなのがソマリランドだ。ソマリランドは氏族社会で集団主義なのだが、集団の中に民主的なプロセスがビルドドインされているのだろう。中国はきわめて集団主義の強い国であり、独自の紛争解決手段を持っているのだと考えられる。

日本で立憲主義の崩壊に危機感を持っている人たちは、所属する集団を持たない人たちだ。例えば、会社の下層にいる人たちや、学者、フリーのジャーナリストなどである。一方、家族、企業などの集団に属している人は、自民党の台頭にあまり危機感を持っていない。これは日本が集団主義・個人主義という指標でちょうど中位に位置するからではないかと考えられる。

つまり調停のためには3つのアプローチがある考えると分かりやすい。それは下記の3つだ。民主主義は人間の集団がきわめて抽象化された時に成立する調停解決手段なのだ。だから「マニフェスト」や「政党」といった、契約が発展するのだろう。

  • 戦争と内戦
  • 個人主義的な契約
  • 集団主義

民主主義と軍隊の関係を考える – コスタリカとニカラグア

東京都知事候補の鳥越俊太郎氏の「日本が再び戦争ができる国になりつつある」という発言について考えている。安倍政権が憲法第九条を改悪して戦争国家を目指しているというのである。これについて考えているうちに、「日本に憲法と民主主義が必要なのか」という疑問にぶちあたった。

そもそも民主主義はなぜ発展したのかという問題がある。まずは、国家(主権者)が事業である戦争を展開する上で民主主義が必要だったのではないかという仮説を立ててみた。もちろん、安倍政権は人権を制限して国民を徴兵することが可能なのだ。すると、誰と戦い、どうモチベーションを維持するのかという問題が出てくるだろう。これだけ情報が氾濫している時代に、国民が餓死覚悟で働くとは思えない。おそらく、モチベーションが低すぎて使い物にならない軍隊ができるだけだろう。

安倍晋三はオプションとして、中国の脅威を捏造しつつ国民に出費を迫ることはできるだろうが、それと国民が「自分で戦う」というのとは全く別問題だ。自衛隊員は意識が高いので一生懸命働くだろうという仮説は成り立つのだが、これは希望的観測に過ぎない。最近、現役の自衛隊員が「外国で戦争するのは嫌だ」と申し立てたことがニュースになった。「そんなつもりはなかった」とその自衛官は考えているようだ。

もちろん、軍人の地位を高くしてモチベーションを高めるということは可能なはずだ。しかし、それは思わぬ副作用を生むのではないか。

前置きが長くなったが、民主主義と軍隊というのは関係が深そうだ。調べているうちに面白い研究対象を見つけた。それがニカラグアとコスタリカである。コスタリカは、中進国としては例外的に民主主義の度合いが高いことで知られている。もう一つ有名なのが軍隊を持たないことだ。代わりに警察力が展開している。日本の自衛隊も形式上は警察力なので状況は似ているが、日本と違って、非常時には招集があるとのことである。

コスタリカは人権意識が高く、教育にも力を入れていることで知られている。ただし、経済状態は必ずしもよくなく、最近では麻薬中毒者が蔓延しているという話もある。

では、コスタリカに軍隊がないのは、国民が「意識高い系」だったからなのだろうか。その秘密はどうやらニカラグアにありそうだ。GDPを比べてみた。

ニカラグアは軍隊を廃止しなかった国である。交易条件はほぼ同じで人口もそれほど違わない。軍隊を廃止しなかったことで、話し合いではなく軍事衝突で問題を解決することを選んだのがニカラグアなのだ。「コントラ」と「政府軍」の間で対立があり、長期間内戦が続いた。このため、コスタリカとニカラグアでは識字率に大きな違いがある。パナマは金融と運河で稼いでいるわけだから、その実力はかなり高いものであることが分かる。

コスタリカは軍の実力者を抑えるために軍隊自体を廃止してしまった。決して日本のように「平和を希求する諸国民の要請」に応えたわけではなかった。軍隊をなくした結果、調停のためには民主主義に頼らざるを得なくなった。コスタリカで民主主義が発達しているのは、多分「意識高い系」だからではなく、その必要があったからだ。

諸外国と対峙しているうちは軍隊は経済や民主主義の形成にプラスの効能をもたらすかもしれない。戦争を継続するためには、資金と兵力の面で国民の協力が必要だからだ。しかし、その力は内部にも向かいかねない。問題解決を軍事力に頼るようになると、国力に大きな差がついてしまうことになる。

この構図をそのまま日本に当てはめることはできないわけだが、軍隊を70年も持たなかったので、軍隊が政治形態にどのようなインパクトを与えるかということは分かりにくい。実際には「敵が外にいるか、内にいるか」で大きな違いがでてしまうようである。外に敵がいるときには、継続的に戦費を捻出せざるを得なくなるので、民主主義が発達する。日本でも選挙権が拡大したのは、納税者を戦争に協力させる必要があったからだ。短い内戦の時には奇兵隊などの例外を除いて国民の協力は必要なかったのだ。ところが、内側に敵がいる場合には調停手段が暴力に移り、民主主義が阻害される可能性があるのだ。

同じような構図は北朝鮮と韓国でも見られる。交易条件が変わらず、独裁と民主国家では資金力に大きな違いが出る。韓国は国際的な協力も得やすいのだから、戦えば韓国のほうが有利だろう。民主主義は鉄砲よりも国防に役に立つのだ。

いずれにせよ、日本は鳥越氏が考えるような「国民を巻き込んだ戦争」ができる国になる可能性は低そうだ。現在の日本人は教育程度が高すぎるし、資産の移動の自由があるからだ。政府が戦争を始めれば、資産の国外フライトが発生するのではないかと考えられる。日本企業が戦争に協力するのは「投資」として、自分たちが傷つかずに遠い外国で戦争ができるときだけだろう。

だからといって国軍の保持が経済にプラスになるかどうかは分からない。軍事力を持つと民主主義に頼らなくても暴力的に問題解決ができるようになるためで、そうなれば様々な経路で日本の国力は大きく損なわれるだろう。だが、内戦で日本の国力が削がれればそれこそ中国に攻め込まれてしまうのではないかと思われる。また、自衛隊は米軍との心理的な一体性が強く、国軍化が政府の側にプラスになるかどうかは必ずしも定かではない。