豊洲の青酸マグロ

前衆議院議員の川内博史さんという人が「豊洲には青酸マグロの可能性がある」みたいなことを訴えていた。

民進党のことは信じていないので、テレビに乗りたくてウケ狙いで危ないこと言ってるんだろうなど考えて、軽〜くツイートしたらご本人から返信が来た。答弁を調べろという。ちゃんとURLつけてくれればいいのにとブツブツいいながら調べたら答弁が出てきた。リンク先はPDFだ。拙い理解なのだが要点は次の通り。

  • 環境省の基準は飲み水についてのもので、揮発したものがどういう影響を及ぼすかということは考慮に入れられていない。
  • 実際に対策を取るのは東京都と農水省なので環境省としては豊洲の危険性についてコメントする立場にない。
  • モニタリングもちゃんとやるから危険があればちゃんとわかるはず。

まあ、豊洲について日頃からウォッチしている頭のいい文化人のみなさんはちゃんとこのあたりを読みながら議論しているんだろうけど、暖かい春の陽気でぼーっとなっている上に森友学園の面白いおっさんに夢中になっており、豊洲で何が起きているのかということはきちんとフォローしていない。ずいぶん前に環境基準は飲み物についてのもので魚市場などのための基準ではないみたいな話を昔聞いたことがあり、最近は「飲み水は水道だから大丈夫」というような説明を聞いた気がする。小池さんもコンクリで固めてあるから平気なんだけど消費者の理解が得られないみたいなことを言っていたような気がする。

答弁を読む限りは「シアン化合物が飛散してマグロについたら青酸マグロになる可能性があり、その可能性はゼロではないけど、わし(環境省)は知らない」であり、シアンが出たらか即青酸マグロになるというわけではなさそうだ。そういう意味では川内さんは言い過ぎである。だから、シアン化合物が検出されたとしたら、マスコミは下記のことを調べるべきなんだろうなと思った。

  • これがある程度永続性があることなのか、地下水モニタリングシステムの稼働に伴う一時的なものなのかを調べること。
  • 付着するんだとしたら、食べたら死ぬのか、お腹を壊すくらいなのかということをきっちり説明してもらうこと。

そこで新聞を調べてみた。日経新聞はシアン化合物は猛毒なんだけどコンクリートで覆われているから大丈夫みたいなことを言っている。漏れた時の想定がないのでちょっと怖いなあ〜と思う。NHKもシアン化合物がどのように危険なのかは書いてない。笑ったのは時事通信で

会議後の記者会見で平田座長は「地上は大気の実測値を見ても安全。地下も対策をすれば(有害物質を)コントロールできると思う」と述べる

思うってなんだよという感想を持った。多分平田さんはなんかあっても責任とらないですよね。

まあ、よく考えたらわざわざ毒がある土地を買い取って市場なんか作らなきゃいい話で「何やってんだ」くらいの感想にしかならない。浜渦さんは「難しい交渉をまとめて褒められてもいいくらいだ」などと言っていた。何言ってんのかわかってんのか。なんかロシアンルーレットみたいだけど、青酸というと「毒入り危険食べたら死ぬで」だ。

驚いたのはこれが民主党政権下での質問だということで(別に民主党の監督が不行き届きだったということを言いたいわけではないのだが)同じところをぐるぐる回っているんだなあと思った。日本の土木技術というのはそれなりに優れていて、なおかつ世界に輸出しようというくらいなのだと理解をしていたのだが、魚市場も満足に作れないわけで、それほどでもないものなのかもしれない。

小池都知事はいろいろ言っても「もうトップが変わったのだから、これからはきっちりマネジメントします」みたいなことをいうのかなあと考えていた。しかし「青酸マグロ」が出てくる可能性があるとしたら、もうアウトなのではないかと思う。実際に被害が出たらシャレにならないし、ここまでいろいろなことがわかって許可したら、もうこれは間違いなく小池さんの責任になってしまうからだ。

だが、みんななんとなく他人事に見える。マスコミも「小池さんがなんとか決めてくれるだろう」という姿勢らしい。でも自分の口に入る可能性のある食べ物については自分で判断したくないですかと言いたい。新聞はそのために必要な情報を提供すべきだろう。それともみんな魚なんか食べないんだろうか。

豊洲移転問題の識者達は全員大学からやり直せ!

東京スポーツWebを見て、おじさんわかっちゃったよ!と思った。次の瞬間これまでウンウン悩んだのはどうしてなのかと思い、そして腹が立った。どいつもこいつも大学からやり直すべきだとすら思った。

と、意気込んで書いたのだが、その後数時間経って「過去の調査費用が高すぎる」とか、専門家委員会がちゃんと検査したかどうか評価し直すという話が流れてきた。科学が理解できていないというだけでなく計測すらまともにできない人たちだったみたいである。

「豊洲の土地が汚染されている」といったとき、我々素人が考えるのは「きれいな土地と汚い土地」があって、その検査値はいつも変わらないという世界だ。きれいな土地からは有毒物質は出ないし、汚い土地からは有毒物質が出る。ゆえに、検査値がまちまちということは「誰かが隠蔽していた」か「検査方法が間違っていた」ということになる。

ところが、実際には地下水処理の仕組みが働いている。つまり、豊洲は動的に動いていることになる。もちろんそれ以外にも雨が降ったなどという環境の変化もあるだろう。これまでの調査ではこの処理システムがどう動いていたか、どれくらいの影響があったのかということは全く問題にされていない。が、よく考えてみると「条件が同じでないのなら結果がちがっていて当たり前」である。

小池都知事はこのことがわかっていない可能性がある。検査機関を複数にしてやり直すと言っているからだ。これは検査機関が「エラー」を起こす可能性は排除していないが、環境が変わること想定していないということになる。もし観測対象が動的に変化している可能性がわかっていれば、複数の人から話しを聞いていたはずだ。環境が違うのだから安全数値がでても、過去の測定が間違っていた証明にはならないのだ。

これがどれくらい馬鹿げているかということを簡単な例で説明しよう。昨日と今日で外の温度が変わっているが、それは温度計が壊れているか誰かが嘘をついているのではないかと疑っているような状態だ。実際には雲とか地球の傾きなどが複雑なふるまいをした結果温度が変わっているだけなのだ。つまり、昨日20度あったからといって、今日が9度しかないということを否定することはできない。

しかし「温度が10度以下だとお外に出てはいけませんよ」と言っているので、気温が10度を下回ると「本当は10.1度あったのではないか」とか「外に出てはいけない基準は半ズボンのときだから長ズボンを履いてはどうか」などと言い争っていることになる。別の人は「みんな10度ルールを守っているのだから、それが違うなどと言い出すのは人の道に反する」と叫んでいる。

じゃあ、安全に管理できるなら豊洲に移転してもいいんじゃないかという声が出てきそうだが、そうではあるまい。リスクがある土地に移転した場合、そのリスクを管理し続ける必要がある。だが、都のリスク管理能力はほぼゼロに近く、モニタリングすらまともにできない。

多分モニタリングするチームと地下水処理のシステムを動かすところなどが別のセクションにありお互いに調整しないままに事業が進んでいるのではないだろうか。都はプロジェクト管理能力がないのだから、豊洲移転などもってのほかだということになるだろう。

なぜ都が当事者能力を持っていないのかはわからない。日本の大学教育がぶっ壊れているか、集団になるととたんに無能化するのだろう。

 

日本人は合理的に事実が扱えない

なんだか、たくさん読んでいただいているようで恐縮なのですが「そうだ!」という意見があまりにも多いので、ちょっと怖くなってきました。「いや、そんなはずはないのでは」という幾分批判的な視点でお読みいただいた上で、できればこれを乗り越える方法などを考えていただけると幸いです。(2017/1/22)


築地・豊洲問題が新しい展開を見せている。会社を変えて調査をやり直したところ有毒物質の計測値が跳ね上がってしまったのだ。これを見ていて日本人には合理的に事実が扱えないんだなあと思った。

残念なことに、事実が扱えない原因には幾つかのレイヤーがあり普通の日本人がこれを乗り越えることは不可能だろう。それは非合理的な判断基準、プロセスへの無理解、文脈(党派性など)への依存である。

穢れと安心安全

最初のレイヤーは穢れに関するものだ。食卓の上に雑巾と靴をおいて食事をしてみるとよい。例え完全に消毒していても「その汚さ」に耐えられないはずだ。これは普通の日本人が外を穢れとして扱うからである。こうした文化を持っているのは日本人だけではないそうだが(インドやイランでも見られるそうである)極めて珍しい特性だと考えられている。これは最近「安心・安全」として語られることが多くなった。

東京ガスが「穢れさせた」土地には有毒物質があり、それを完全に遮蔽できたからといって日本人には耐えられないだろう。石原元都知事は「保守だ」「愛国者だ」などと言っていたが、日本人が持っている非合理性には全く理解がない人だったということになる。普通の日本人は東京ガスの跡地では食べ物を安心して扱えないと考えるのだ。それは靴を滅菌消毒しても「汚い下ばきだ」と考えるようなものだ。

プロセスに全く関心がない日本人

次の問題はプロセスに対する理解の不足である。都はこれまで、たいへん甘い計測をしてきたらしいのだが、今回違った計測値が出たことで「何かの間違いではないか」と言い出す人が出てきた。本来なら、過去の計測方法と今回の計測方法を比較して批判すべきなのだろうが、政治家もマスコミもそのようなことを言い出す人はおらず、単に計測結果を見て慌てている。学校で「アウトプットの正確さはプロセスに依存する」ということを習ってこなかったからだろう。

この無理解を「理系文系」で分けて考える人がいるかもしれないのだが、例えばMBAの授業では統計の取り方を最初に教わる。これはアメリカの企業経営では当たり前の考え方なのだが、日本人は統計を気にしない。もともと事実が意思決定にはあまり寄与しないからなのだろう。

加えて日本人はジャーナリストになるのにジャーナリズムを専攻しない。このため社会に必要な知識を学ばないまま専門家になってしまうのだ。

もっとも小池政治塾では統計の読み方を最初にテストしたようである。これは教育の問題なので、西洋式の教育さえ受ければ克服可能だろう。

文脈への依存・誰が言っているかが重要

にもかかわらず日本人は党派性を強く意識する。橋下徹弁護士は随分早くから「安全性はいずれ証明される」と予言してきたが、実は何の根拠もなかったことがわかった。だが、維新の党の人たちはこれに追随してきた。そこでポジションができてしまい、今では「今度の統計は何かの間違いでは」と騒いでいる。よく考えれば彼らは部外者であり、この件にはなんのかかわりもない。彼らが関心を持っているのは小池都知事の人気と橋下さんへの忠誠心だ。

だが、こうした早急さは新聞記者にも見られる。彼らも調査はリチュアル(儀式)だと考えており、数値の発表の前に小池都知事の「決断」を聞きたがった。新聞記者たちはジャーナリストでございますなどという顔をしているが、単にジャーナリストの衣服をきたピエロのような人たちで、事実は文脈によって決まり、その文脈は俺たちが決めると考えているのである。ジャーナリストは小池さんに直接何かを聞ける立場にいるので、それにどう色をつけたら文脈を操れるのだろうかということばかりを考えている。

文脈への依存・世論の動向

もう一つ文脈が大きな役割を果たしている現象がある。実は豊洲移転には明確なOKの基準がない。安心(穢れが全くない状態)を基準にするのか安全(リスクが管理されている状態)を基準にするのかがわからないのだ。代わりに「騒ぎになっていること」が移転判断の基準になってしまっている。リスク管理(安全)を基準にするならできるだけ詳細なデータを取っていたはずだ。リスクがわかれば管理できるからである。しかし、甘い調査をしていた点をみると「瑕疵がない」ことを証明することが調査の目的になっていたようである。これは、安全にも安心にも関係がない。石毛亭が正しかったという証明である。しかし、彼らの思惑ではシアンを無毒化することはできなかったのである。最初からシアンがあることがわかっていれば、それを封じ込めて「リスク管理ができるから安全ですよ」と言えていたかもしれない。

豊洲移転は不可能になった

いずれにしても豊洲への移転は不可能になったと考えてよいだろう。例え次の調査でこれまで通りの低い数値が出たとしても「隠蔽している」と信じたい人は今回の数値を引き合いに出して反対運動を続けるだろうし、消費者たちはなんとなく疑念を持ち続けることになるはずだ。さらに外国人はもう日本の魚を買わなくなるに違いない。これは日本人が事実を扱えず、従って適切にリスク管理ができていなことが原因なのである。政治的には豊洲移転は可能だが、これは日本の伝統に対する信頼を大きく毀損することになるだろう。

 

朝日新聞の「東京ガスは悪くない」論

豊洲移転問題についていろいろ書いているのだが、正直何が起こっているのかよく分からない。当初は「東京ガスが有毒な土地を都に売りつけて、政治家の一部にキックバックがあった」というようなシナリオを勝手に描いていたのだが、それは違っていたみたいだ。週刊誌2誌と女性週刊誌1誌を読んでみたが「東京ガスは土地の譲渡を渋っていた」と書いている。なぜ渋っていたのかはよく分からない。

週刊文春が仄めかすのは、石原都政下では外郭団体の含み損が表面化しつつありそれを整理する必要があったというストーリーだ。5000億円の損が累積していたが築地の土地を売れば都には莫大な資金が入るというのだ。しかし、他の媒体はそのような話はでてこない。文春の妄想なのか、独自取材の賜物なのかはよく分からない。さらに、東京都は真剣に一等地を売って儲けようという意思は無さそうだ。

誰も書いていないが、wikipediaを読むと石原氏は単式簿記をやめて複式簿記を採用したと書いてある。土地などの資産が認識されるので良さそうな方法だが、複数機関で借金しあったりしているとひた隠しにしていた問題が浮上することになる。同時期に銀行の貸し倒れが問題になっていて(こちらは普通の銀行が課さない中小企業に気前よく融資していた)その損金をどう処理するかが問題になっていた。

もし、築地を高値で売りたいならいろいろな計画が浮上していてもおかしくはないのだが、跡地はオリンピック巨大な駐車場になることになっている。後には「カジノを誘致したい」などという話ものあるようだが、公園(たいした儲けにはならない)を作ってくれという地元の要望もあるようである。もし都営カジノができれば、オリンピックで作った宿泊施設も含めて巨大なリゾート地が銀座の近くにできるわけだが、具体的な計画はなく、幼稚園児のお絵描きのような稚拙さが滲み出ている。政治家の考える「ビジネス」というのはそういうものかもしれない。

もともと、都が累積損を抱えたのはお台場湾岸エリアの開発に失敗したからだ。失敗したのは都市博で人を呼べば他人の金で開発ができ、お台場の土地が高く売れるぞという目算があったからだろう。今回は都市博がオリンピックに変わっただけなのである。ずさんさというか、商売っ気のなさがある。

その中で異彩を放っていたのは朝日新聞の経緯のまとめだ。これがどうにも怪しい代物だった。最初に書いてあるのは「東京ガスは土地を東京都には売りたくなかった」ことと「誰もあの土地が有毒だとは思わなかった」ということだ。東京ガスが土地を売りたくなかったが浜渦副知事がゴリ押ししたというのは半ばマスコミのコンセンサスになっているようだ。浜渦さんは時々殴り合いの喧嘩をする曰く付きの人物だったとwikipediaには描かれている。

いずれにせよ「読者にわかりやすく書かれた」豊洲市場移転問題のまとめ記事では誰も有毒物質のことは知らなかったが、あとで調査をした結果土地の汚染が判明したというストーリーが描かれている。これを素直に読むと「誰も悪くなかったが運が悪かったね」ということになる。日本人の「優しさ」によるものだが、これが集団思考的な問題を作り出しているということには気がついていないようだ。都政担当は記者クラブの中でインサイダー化しているのだろう。

朝日新聞の記事を読んで一瞬「ああ、そうか」などと思ったわけだが、その交渉過程は黒塗りだったという記事がTwitter経由で飛び込んできた。新しい情報が得られるというのはTwitterの良いところだなあと思う。この記事によるとどうやら「あの土地には何か有毒物質があるらしい」ということは知られていたようだ。土地を売る上では不安材料になるだろう。もともとエンジニアたちはあの工場が何を生産していて、副産物として何が産出されていたかは知っていたはずである。東京ガスが全く知らなかったということはありえない。

朝日新聞の記者も東京ガスと都の交渉記録が黒塗りだったことは知っているはずだ。これは「のり弁」資料と呼ばれ問題になっているからである。であるならば、朝日新聞の記者が書いた記事の目的は明らかだ。都当局は炎上中なのでもう抑えられないが、東京ガスに避難の矛先が向くのを抑える「防波堤」の役割があるということになる。東京ガスはマスコミにとっては巨大スポンサーなので非難が向くのは避けたいのかもしれない。

いずれにせよ油断ならない話である。どの媒体も信じることができず、各雑誌・新聞を読み比べた上でネットの読み物まで読んで総合的に判断するしかないということになってしまう。いずれにせよ黒塗り資料が表沙汰になってしまえば、誰が嘘をついていたかが明らかになってしまう。すると大型防波堤でせき止めていた洪水が一挙に街を押し流すようなことになってしまうのではないかと思う。

多分、現在豊洲問題が炎上しているのは、マスコミが「優しさ」故に問題を直視してこなかったからである。にもかかわらず一旦炎上するとそれを商売にしようとする業を持っている。よく倫理の教科書で問題になる「近視眼的な視点が長期的な問題を生み出す」という実例になっているように思える。

豊洲移転問題と関東軍

peekいつものようにアクセス解析を見て驚いた。突然アクセスが跳ね上がっているのだ。何か炎上したのかと思い緊張した。

色々調べるとミヤネ屋で「豊洲市場移転チームの技術屋は関東軍だ」という説明があり、関東軍がなんだかわからない人が調べたらしい。テレビの影響って怖いなあと思った。YouTubeを見ると確かに関東軍という見出しになっているが、関東軍についての説明はほとんどない。

関東軍とは

関東軍は「専門家が暴走した」比喩として用いられる。満州の防衛を担っていた陸軍の組織で、関東とは満州のことで、日本の関東地方とは全く関係がない。関東軍が有名になったのは、第二次世界大戦は陸軍が勝手に起こしたもので、天皇も国民も知らなかったという説明に用いられるからである。

関東軍が中国大陸で「暴走」していた時期はちょうど大恐慌の時代に当たる。政府は経済運営に失敗したが政争に明け暮れており解決策を提示しなかった。陸軍本部も東京で内輪の出世競争をしていた。そこで現場は「どうせ、東京には中国大陸の事情はわからない」と考えて、勝手に中国の要人を殺し、戦線を拡大した。

しかしながら、東京側は陸軍を罰せず、作戦を追認した。国民の圧倒的な支持があったからだと言われている。当時の大手新聞社もこれを煽ったのだ。国民が支持したのは軍部が戦線を拡大したことで日本の景気がよくなったからだ。中国大陸に植民地ができたことで需要が喚起され、余剰の労働力が吸収された。この結果、日本の景気はいち早く回復した。

しかし、この回復は出口のない戦略だった。中国の利権獲得を狙ったアメリカと衝突して外交的な緊張関係に陥る。資源輸入を制限され国民生活は窮乏する。結局日本は挑発に乗る形で真珠湾を攻撃し、第二次世界大戦ののちに中国利権を失った。

関東軍と豊洲移転チームの違い

関東軍と豊洲移転チームには共通点がある。本部が無能でありプロジェクトを管理する能力がない。別の事象に夢中になっていて現場に関心もない。現場には特有の危機感があり、リソースはないが問題を解決する能力を持っている。すると、状況をよく考えずにプロジェクトが始まってしまうのだ。いわゆる「出口戦略」がないので、いずれ状況は破綻する。専門家には多様な視野がないからだ。

一方で違いもある。関東軍は「勝手に暴走した」わけではない。もちろん最初のきっかけは暴走なのだが「結果を出した」ことで政府や国民の信任を得ることになる。国内の政治は二大政党による政争だったのだが、戦時体制に組み込まれ「一致団結」する道を選んだ。これが後になって翼賛体制と批判されたが、当時は「話し合いではないも解決せず行動あるのみ」という空気があったのである。

楽譜の読めない人を指揮者にしてはいけない

豊洲移転問題の要点は「楽譜の読めない人を指揮者にしてしまった」ことにある。当時の東京都政の喫緊の課題は予算の膨張を防ぐことだった。石原都政は銀行経営に失敗しており、都の金を使っって後始末したばかりだったからだ。

有毒物質を産出していた土地で食べ物を扱うわけだから「100%の安全」のために万全の対策をとれば金がいくらあっても足りなかったはずだが、石原慎太郎は判断の間違いを認めず、現場になんとかさせようとした。

そこにコストカッターと言われる市場長がやってきて「どうせお前達は無駄ばかりしているのだろう。費用は削れ。でも安全は確保しろ」などと言われれば、現場はどう思っただろうか。その中でもできるだけのものを作ろうと思った善意の人はいたかもしれないが、微妙で技術的なことを言ってもわかるはずはない。

これは作曲家が「若者に受けてSNSで爆発的にヒットするが、万人に理解される音楽を作れ。ただし楽隊の編成は最低限にしろ」などと言われているようなものだ。いろいろ作ってくるかもしれないが、発注者は音楽にさして興味がない。クライアントに言われたことを調整せずに垂れ流しているだけだからである。煮詰まった作曲家は三味線だけで演奏できる演歌を作って持って行く。しかし、発注者は楽譜が読めないので何が書いてあるかわからないのだから「知らなかった」と言って受け取ってしまう。クライアント会議でお披露目した席で「私は騙された」というのかもしれないのだが、それは作曲家が悪いのだろうか。

冒頭に書いたように「関東軍」は、現場が勝手に暴走した際に使われることが多いレッテルだ。含みとしては「議会と都知事は悪くなかった」という総括であり、実際には何も解決していない。しかし、豊洲の場合には図面や契約書には嘘はない。すべての報告は技術的には上がっている。これを「理系が暴走した」と説明してしまうのは、ものすごく乱暴だ。そもそもの原因は「予算はないが100%の安心安全を目指した施設を作れ」という都側の指示なのだ。

ただ日本テレビも番組制作プロダクションが何か問題を起こしたとき「私たちは知らなかった」などと言いそうだなあとは思った。いつも「予算はないが、クライアントが満足できて視聴率がどーんと取れるものを作れ」などと言っているのだろう。そこでプロダクションが安全管理を怠っても「プロダクションが暴走した」などといって済ませてしまっているのではないだろうか。

これをあろうことか「理系(関東軍)の暴走」という表現をしている。「理系」とは一般人にわからないようにわざと難しいことばかりいっている人という意味なのだろう。一般人は難しいことを理解しなくてもいいし、無理難題は専門家に押し付ければいい。日本人が理系離れするのは当然かもしれない。

先の第二次世界大戦の教訓は関東軍の暴走を国民が黙認したことにある。遠く離れた土地の出来事なので多くの国民は「自分には関係がない」と考えて黙認した。戦後も多くの日本人はこれを軍部の暴走と総括して反省しなかった。プロセスには関心を寄せず長期的な視野も持たず、単に結果だけをみて一喜一憂している。日本人だけの悪癖だとは思わないが、同じような失敗が繰り返されていることは間違いがないだろう。

石原慎太郎と保守老人という害

豊洲移転問題の大体の構図が見えてきた。

石原慎太郎は築地市場問題には興味がなかった。しかしながら、東京ガスは有毒で民間が買い取りそうにない土地を都に押し付けたいという希望を持っており、それに政治家が関与した。

東京ガスはいいわけばかりの土地再生処理を行ったのち都に土地を押し付けた。ところが実際に土地を見たところ、当初の予算ではとても処理ができそうにない。そもそも処理できるなら民間が買い取っていただろう。

そこで石原は技術官僚と現場に「なんとかするように」と言い含めた。これを指示だと受け取った現場側は土を使わない節約方法を提案した。しかし、表向きはすべてきれいな土を使うということになっているため議会には説明しなかった。だが、技術文書や契約書には、盛り土はしないということになっており、責任者はそれを了承した。

議会に説明しなかったのはこれをまともなルートで議題に挙げると承認したのは議会だということになってしまうからだ。現場側としては技術的文書に印鑑は押されている。だから承認は受けたと言える。そして、責任者は細かいことはわからないと言うことができる。

ここでいう「老害」とは何だろか。それは、責任を取るべき役席にありながら「知らなかった」で済まされると思っているところだ。石原に至っては「私は騙された」と言っている。役席の特権は享受しながら、実際の責任は取らなくて良いと本気で信じているわけだ。本来なら知らないことを承認することなど恐ろしくてできないはずなのだが、それを考えたりはしない。石原は「都知事とは言われればハンコは押す存在だ」という趣旨のことを言っている。最初から政治的プレゼンスのために都知事という役職を利用したのであって、その責任を果たすつもりはなかったのだ。

有毒の土地を買い取っていて「なんとかしろ、ただし予算はない」と言っている。つまり、判断の責任を取らず、解決策を提示もせず、単に利益だけを貪ろうとしている。もし「知らなかった、できなかった」というなら、すべての報酬を返還すべきだろう。移転中止で莫大な損害を被る市場側は歴代の都知事を訴えるべきである。

どうやら現場は問題を認識していたようだ。盛り土をしても有害物質が上がってくるかもしれないし、液状化して地盤が使い物にならなくなるかもしれない。そこで土地の一部に空洞を作って調査できるようにしていたようである。

よく保守を名乗る人たちは、日本には長い歴史があるので日本人であることは誇るべきだが、個人としての日本人には価値はないなどということを言っている。しかし、実際には私たちが豊かな文化を持っているのは、単に天皇陛下が毎日先祖に祈りを捧げているからだけではない。例えば、毎日危険を覚悟で漁に出かけ、一生をかけて魚の良し悪しを学ぶ仲卸が朝早くから魚を仕入れているからである。つまり、毎日の積み重ねが、私たちの伝統を支えている。

集団無責任体制が悪いとは一概には言えない。それはある意味「優しさ」である。だが、その「優しさ」の結果、築地の伝統が破壊されかけた。それは近代東京が育んできた魚食文化が根底から破壊される可能性を含んでいた。すでに「新市場の土地は汚染されている」という風評が英語で発信されており、東京への寿司ツーリズムは被害を受けるかもしれない。つまり<保守老人>に熱狂した人たちは、日本の伝統を潰しかけたのだ。

真の保守はどうしたらこのような毎日の暮らしを守って行けるかということを真剣に考えるべき人たちなのではないだろうか。なぜこのようなことが起きたのかを真剣に考えるべきだろう。

翻って石原は、自分の差別意識に根ざして尖閣諸島の件で中国を挑発して事態を悪化させるくらいの<愛国心>しか見せなかった。その一方で、暮らしや民族の伝統を守るということについては、何の見識もなかったのである。

一見無関係に見えるプロジェクト管理能力のなさと<保守的発言>なのだが、実際のところは通底するものがあるのかもしれない。現場に対する理解がないからこそ、無責任で放埓な<保守>発言ができるわけだ。

ここで「私こそ真の愛国者だ」と叫びたくなるのだが、それは控えておいたほうがよいのかもしれない。誰でも自分の地域や国を誇りたいという気持ちは持っているものだ。しかし、それを支えているのはなんということのない日々の繰り返しであって、声高に何かを叫んで、誰かを罵倒しても、それが明日を作ることはない。

豊洲問題 – 石原慎太郎はなぜ糾弾されるべきなのか

豊洲問題の現況を作った石原慎太郎が「私は知らなかった」と言っている。石原氏こそが糾弾されるべきなのではないかと思った。とはいえ、建物の技術的なことをしっていたとか知らなかったとかいうことはそれほど問題だとは思わない。問題は都に集団思考を蔓延させたことだ。

石原氏はわざわざ有毒な土地を選んで魚市場を設置しようとした。のちにわかったのはこの土地が水もたまりやすかったということだ。たまたま扱いにくい土地を選んだわけではない。利用価値がないからこそ都が買い取ったのだ。利用価値があれマンションなどに転売されていただろう。これは特定企業への利益誘導だ。

だが、もっと大きな問題は、この組織がなぜか無力感に苛まれていたことだ。予算との兼ね合いがあり、まともな費用では安心・安全を確保できないことがわかっていたはずだ。しかし、必要な予算を請求せず、自分たちが持っているリソースでなんとかごまかす道を選んだ。との職員は「意思決定もできないが責任も取らないこと」がわかっており、罪悪感もなかったのだろう。石原都知事はそれを放置した。

機能不全の組織を前提に考えると問題が見えにくい。ここでは千葉市の事例を挙げて考えたい。千葉市は東京からの通勤者を受け入れて土地価格が高騰した。そのため各地に農地を売る土地整理の組合が作られた。農村や漁村はそれまであまり価値がなかった土地の売買で一夜にして大金を掴み、感覚が麻痺していった。

こんななか、地元の政治家が中央にコネのある官僚経験者を市長に祭り上げることが慣例になった。すると「土地をいかに高く売れる」が市議会議員の才覚だと捉えられるようになった。民間で高く売れない土地は何かの名目で市に買い取ってもらうのだ。例えば低くて雨のたびにびちゃびちゃになる土地に自治会館、モノレールの基地、清掃工場を作ったりするというのがその例だ。

これ自体は「なんとなく後ろ暗い」がにわかに悪いこととはいえなかった。だが、最終的にこのスキームは破綻した。3つの顕著なことが起きた。

まず、借金が膨らみ千葉市の財政は大幅に悪化した。「同じ政令市の横浜市には勝てないがさいたま市には勝ちたい」というような競争意識が背景にあったようだ。このため、市債を限界までを発行し、基金の中身も抜いていたようだ。バブル期にの土地さえ売ればお金が入ってくるという記憶から抜けられなくなっていたのだ。例えば立派な図書館が作られた。

次に南蘇我の土地組合が破綻した。バブルが崩壊したのに対応を先送りにした挙句、3億円以上の損金を市が負担することになった。これ以上借金もできないので、他の事業を諦めざるをえなくなった。例えば図書館には当初立派な蔵書が入ったが新しい本が入れられなくなったりした。また、清掃工場が立て替えられず、ゴミを2/3にすることで乗り切った。

三番目に現職の市長が収賄で逮捕されるという事態が起こった。札束が飛び交っている中で感覚が麻痺していったのだろう。

しかし、実際に起きていたのはさらに深刻な事態だった。政治家は土地をお金に変える<事業>に夢中で、本来解決すべき問題に興味を持たなかった。オール与党体制(反対するのは共産党だけ)で予算を通すので必要なリソースも与えられなかった、市民は窓口に文句をいうのだが、市の職員は何もできない。そのうちに問題意識を持つのをやめてしまったようだ。

市では「市長に手紙を出す」という仕組みがあるのだが、「市長への手紙を書いてください」というのが最終的なクレーム処理になっていた。市長が読むことはなく、役人が「極めて深刻な問題だが善処する」という手紙を書いて終わりになるのが通例だった。金権政治が蔓延していただけではなく、問題処理もできなくなっていた。「誰かがなんとかするだろう」と誰も何もしなかったのだ。

バブル期の記憶とあり余るお金で感覚が麻痺し、その後に財政危機が起こった。そこで市は感覚を麻痺させていった。市長が変わり危機宣言が出されたのだが「新市長のパフォーマンスだ」と言われ続けたようだ。組合が破綻し市長が逮捕されてなお、市の職員や議員たちは「それは当たり前のことなのだ」と考え続けていたことになる。

石原慎太郎氏は都知事にはなって以降も多くの混乱をもたらした。土地・建設利権をめぐる混乱が起こることがわかっていながら東京オリンピックを誘致し、中国との軋轢が起こることがわかっていながら巨額の資金を集めて尖閣諸島を買い取ろうとした。後継者に政治家経験のない作家を指名して短期間で都知事がコロコロと変わる素地も作った。

派手にテレビで喧伝されるトラブルの元で、都の職員が表面化しない問題を抱えて無力感に苛まれているのは間違いがない。多くの解決すべき問題解決が放置されているはずである。

最後に付け加えるとしたら、市場経済の破壊という問題がある。東京ガスが自社事業で必要な土地をどう使おうと構わない。しかし、有毒物質の処理を都に押し付けたのは問題だ。企業は「収益だけを得て、その後の処理は社会に押し付ければ良い」と考えるようになるからだ。これを費用の外部化という。

費用の外部化の問題は別のところで大きくなりつつある。東京電力は福島第一原発の廃炉費用を新電力にも負担させようと考えているらしい。原発が安い電力なのは「燃料の後処理」を考慮していないからだ。これを許してしまうと、企業は「儲けは自分たちで山分けするが、損したら国民にかぶせる」という慣行ができてしまう。企業は「汚し放題」ということになるのだが、放置しておくわけにも行かないので、結局は国民が負担することになる。汚しても自分たちで処理しなくてもいいということになれば、汚さないように工夫をしようという人はいなくなるだろう。

豊洲移転騒動は結局のところ「不利益の分配」というより大きな問題を含んでいるのだ。

豊洲移転問題と集団思考の問題

豊洲の魚市場移転事業が新しい局面に入った。全面的に盛り土をしていると説明してきたのだが、建物の下は空洞になっており、盛り土がされていなかった。これを危惧した小池新都知事が突如記者会見を開いて「説明は虚偽だった」と大騒ぎしはじめたのだ。

よく話を聞くと経緯は次のようなものらしい。まず大元の委員会で全面盛り土の話が決まっり議会にご説明する。しかし専門家が諮ったところ内部を空洞にした方が効率的に建築ができるという話になったのだろう。そのまま工事が進んだ。

専門家たちは親元の委員会にもその上の議会にも変更を伝えなかった。しかし、嘘をつくつもりもなかったようだ。図面をみると「盛り土はしていない」ということが書いてある。つまり諮っていないが報告はしている。都の専門家は盛り土をしていないと書いてある資料で盛り土をしたと説明していたことになる。

専門家たちは議会や委員会を信じていなかったのだろう。「どうせ報告してもわかりっこない」という気分があったのではないかと思われる。場合によっては「責任取れるか」と言われかねない。図面をみればわかるだろう(でも、どうせわかりっこないけど)という気分はよく理解ができる。

端的に言うと、あんたたちは偉そうに指図するけど本当のことは何もわかっちゃいない。言うことは言ったよ。でも理解しないのは俺たちのせいではないということだ。彼らは怒っているのだ。

そもそも専門家は責任を取る立場にない。「多分大丈夫」ということなのだが、環境の専門家ではないので、その判断はいささか近視眼的だったかもしれない。責任を取る立場でもないので、リスクに対して大胆な態度をとるかもしれない。

こうした構造はよく見られる。中心が中空構造になっていて誰も責任を取らないという図式だ。典型例として語られるのが関東軍だ。見捨てられた専門家集団が自分たちで問題を解決しているうちに暴走してゆく。結局、誰も責任が取れない問題でシステム全体が止まるまで暴走は続くのだ。最終的に関東軍の責任を取ったのは問題を放置していた昭和天皇だった。

集団思考が問題になるのは日本だけではない。特に有名なのがナットアイランド症候群だ。ナットアイランドの失敗は当初無責任な専門家集団仕業だと考えられてきたが、実際に調査すると、責任感がある優秀な人たちだった。優秀であるが故に問題を起こしてしまったのだ。

豊洲の問題は細かな点ばかりが注目される。また、守旧派の自民党対小池新党というように政局的に語られることもある。しかし、本当に重要なのは組織のマネージメントが痛んでいたという点にある。自分たちの近視眼的な利益にしか関心がない議会、人気者で行政経験のない都知事、傷ついて見捨てられたと感じている専門家が作り出す暴走だ。

この構造を変えない限り、築地に限らず同じような問題が出続けるだろう。小池都知事は関東軍の暴走が制御不能になるまえにプロジェクトを止めたという点までは評価できるのだが、突然記者会見したのは問題だ。すでに専門家集団は受動的な怒りを持っており、それに火を注いでしまったからだ。

 

豊洲移転問題 – 山本一郎氏に反論する

山本さんが新しいコラムを執筆された様子です。詳しくはこちら。要約すると「専門家委員も政治家も報告書を読んでなかったのに今更騒ぐの?」という話。それはその通りですね。

で、以下は「魚市場は単なる流通拠点だからさっさと移転すれば」という話に関する考察です。


築地市場の豊洲移転問題に新しい進展があった。山本一郎氏が「潰れかけている店が騒いでいるだけなのだからさっさと豊洲に移転すべきだ」と言っている。

確かに山本氏の言い分は正しいと思う。築地の問題は実は大規模流通業者と中小仲卸の対立になっている。中小業者は移転で発生する設備の更新に対応できない。家賃も実質的な値上げになる。加えて築地のコマ数は限られているので、新規参入も難しいし、加入権が高値で売買されたりする。だから中小は移転に反対(ないしは積極的に推進したくない)立場なのだ。

では、すぐさま豊洲に移転しても構わないかと言われればそれもまた違うように思える。東京の職人気質の食文化は中小業者が支えている。この生態系は十分に調査されておらず、中小業者がどのような役割を持っているかがよくわからない。大量消費を前提にしていないので、数年後には東京から美味しい寿司屋が消えていたということもありえる。

もし東京が数年後の「おもてなし」を重要視するなら、築地の移転を取りやめて、どうしたら東京の食文化を守ることができるかを調査すべきだ。大規模業者は移転すればよいと思うが、中小の一部は築地に残るべきかもしれない。実は同じ魚市場でも機能が異なっている。

つまり、反論は「東京は世界有数の食のみやこであり、築地は観光資源だ」という点に論拠がある。すでに産業論ではなく、観光や伝統工芸をどう保護するかという問題だということだ。だから、その前提に対する反論はあるだろう。

まず、寿司屋は大量消費を前提するように変わりつつあるかもしれない。小さい子供にとって寿司屋といえば回転寿司を意味する。大量に魚を買い付けて全国で均一的に提供するというシステムだ。もし、これを是とするなら築地は必要がないし、細かな客のニーズに応える中小の仲卸も必要はない。設備投資にお金をかけられないなら淘汰されてもやむをえないだろう。

次に地方にも独特の魚文化がある。しかし、高級魚は都市の方が高く売れるので、東京に流れてしまう。例えば房総半島で獲れた魚の多くは地元を素通りして築地に流れている。仮に築地に伝統的な仲卸がいなくなれば、寿司ツーリズムのようなものが生まれるかもしれない。やはり地元で食べた方が美味しいからだ。福岡や仙台のような拠点では築地のような問題は起こっていないのだから、おいしい寿司はやはり福岡でというのも手だろう。福岡の人は佐賀の呼子までイカを食べにゆくこともあるし、塩釜にはおいしい寿司屋がたくさんある。地方ではこれが本来の姿だ。

一方、実は地方の魚流通や消費が未整備で東京に依存している可能性もある。だから、地方で高級魚を獲っていた漁師や伊勢志摩の海女さんがが壊滅するということもありえなくはない。実際どうなのかは誰にもわからない。

最近「日本は素晴らしい」というテレビ番組が横行している。確かに魚食文化は日本の優れた伝統なのだが、いつまでも続く保証はない。足元では「魚離れ」が進んでおり寿司さえ全国チェーンに押されている。そんななかで伝統を守るという視点を持つ人が少ないのは誠に残念だ。

実は築地の問題は保守の論客が論ずべき問題なのかもしれない。その意味ではガス会社から土地を買ってあとは役人と民間に丸投げするような知事は保守とはいえない。自称保守という人たちは軍隊を持ったり、天皇についてあれこれ言及したり、他人の人権を制限するのは好きだが、足元の暮らしを守ろうという気概は感じられない。そんなものはほっておいても存続すると思っているのかもしれないが、そういうものの中にこそ伝統というものは存在するのではないだろうか。

豊洲新市場問題

オリンピックのメダルラッシュで世間が沸き立つ中、Twitterのタイムラインは豊洲新市場の問題でにぎわっている。一般的に盛り上がっているというよりは、それで盛り上がっている人をフォローしているので、とても盛り上がっているように見えるのだ。

だが、なぜこんなに反発されているのかというのがよくわからなかったので調べてみた。いくつかの要素があるようだ。第一の要素は、石原都知事と東京ガスの問題だ。簡単に例えると、イヌの寝床があった場所にお父さん(台所は使わない)が台所を作ろうとして家族が猛反発しているようなことになる。次の要素は、旧来型の流通と近代的な流通の対立だ。魚市場というと同じような物に思えるのだが、実際には伝統芸能とアイドルを使ったコンサートくらい違っている。

最初の問題から片付けよう。もともと豊洲には東京ガスの工場があった。東京ガスは、撤退するにあたり土地を高く買い取ってほしいと都に働きかける。そこで、石原都知事が「築地が古くなっているから、あの土地に市場を建てよう」と決めた。当初民主党中心の議会は反対するが、結局予算は執行される。東京ガスは土地を無毒化せずに土地を都に売抜けた疑いがあるということで裁判が進行しているようだ。工場では発がん性のあるベンゼンが出ており、周囲の地下水や土地は汚染されていると考えられているようだ。

冒頭のたとえの「イヌの寝床」も消毒してしまえば無毒になるのだが、日本人としてはどうしても「気持ち悪い」と考えるだろう。文化的に「穢れ」という概念を持っているからである。食べ物を扱う場所としてふさわしくないと考える人は多いはずだ。

石原都知事は東京ガスの土地を引き受けた時点で目的を達成したようで、後のことには関心を持たなかった。そのあとはリーダーシップのない現場にまかされ、案の定混乱を来した。

しかし、問題はそれだけに収まらなかった。築地には零細な流通業者が多い。新しい設備投資ができず引っ越しの費用も捻出できない。しかし、彼らは「目利き」であって、東京の食文化の大きな支え手になっている。すしは日本の魂と言える。つまり、築地市場は「伝統文化」になっているのだ。

例えて言えば、歌舞伎座を取り壊して東京ドームに移転しろというような話なのだ。東京ドームのほうが集客力は高いので、そこでアイドルのコンサートをやったほうが儲かる。だが、東京ドームでは歌舞伎はできないだろう。

建築の専門家の発信した情報を見ていると、どうやら「流通倉庫」として設計されているようである。漁船からトラックへの積み降ろし点という位置づけなのだろう。しかし、伝統的には市場の中で魚の解体などが行われていたようだ。このような作業は手間がかかるので、大手はやりたがらないのだろう。

そこで、伝統的な人たちが新しくできた建物に対していろいろと文句をつけ始めた。大手は移転ができる上に中小が淘汰されるので賛成派に回る。施設自体は広くなるし交通も便利なのだろう。両者はまっぷたつに分かれて対立しているようである。

市場の近代化という意味では、中小は淘汰されるべきなのではないかとも思われるのだが、築地はすでに観光資源になっている。これを代替しようとして東京都は「千客万来」という施設を作ろうとした。開発に名乗りを上げたのが、ダイワハウスとすしざんまいだ。しかし両者とも撤退してしまった。近所にある大江戸温泉物語という施設があり、東京都は施設の継続を決めてしまったからだという。ハフィントンポストに記事がある。

東京都は予算をかけずに民間企業に開発をやらせようとした。しかし、民間企業側は「独占じゃなきゃ嫌だ」と言い、両者の話し合いはまとまらなかったようである。築地の場外市場は自然発生的にできた味わいがあるのだが、人工的に作られた施設には観光の面での利点はない。そもそも流通倉庫なのだから観光資源になりようがない。例えば、築地の脇にイオンモールがあったとしても「他のイオンモールより新鮮だ」などとは誰も思わないだろう。

ということで豊洲移転問題をまとめると次のようになる。プロジェクトの目的は有毒物質でいっぱいの土地を都に高く買い取らせるというものだったが、これはすでに達成された。石原都知事は国政に逃げ出してしまったので、責任を取る人は誰もいない。かろうじて「箱を作る」というプロジェクトは完成したのだが、その中にどのようなコンテンツを入れてどう育てて行くかということについてはまるで関心を持たなかった。目的を失ったプロジェクトは迷走をはじめ、移転を前に大騒ぎが始まろうとしているのである。

東京は世界でもまれな食文化の豊かな都市だ。これほど、本格的に世界各地の料理を楽しむことができる都市はない。また、寿司は世界によく知られた日本オリジナルの食べ物だ。東京都は「海外から観光客を呼び込みたい」などと言っているのだが、実際には自分たちだけが持っている伝統には無頓着だということが分かる。

築地の問題を解決するのは簡単だ。大手の流通業者を豊洲に流し、中小の伝統的な業者を築地に残せば良いのだ。