DHCの会長が人種差別的発言をしてしまうのはどうしてか

DHCの会長が在日朝鮮人を屈辱するような言葉を使って炎上していると言うAFPのニュースをみた。問題になっているのは「使われている言葉」のようである。ネットで叩かれていると書かれていたのだが、実はこの問題を知らなかった。それくらい局所的な争いでありマーケティングにはさほど影響はなさそうだ。ただDHCの経営は大丈夫なのかなとは思った。

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人を釣る科学

釣りの科学を一言で現すと次のようになるようだ。「認知的不協和を改善する情報がある」とき人は釣られる。釣られたくなければ「認知」を持たないことだ。だが、これはなかなか難しそうだ。

甘利大臣が辞任した。これは安倍支持者にとって認知不協和になったようだ。そこで「甘利 陰謀」とか「甘利 黒幕」で検索する人が増えたのだ。

安倍首相は大きな支持を集めている。それは安倍首相が人々の欲求を満たしているからだ。安倍首相のメッセージは「あなたは変わらなくてもよい」と力強く一貫している。悪い事は全て「敵」の仕業であり、敵とされているのは民主党と中国・韓国だ。裏側には「このままではすまないのではないか」という不安があるのだろう。

ところがうまくいっているはずの安倍政権に汚職事件が起きた。そこで認知的不協和が生じることとなった。週刊誌報道で疑念が芽生え、辞任劇で不協和が頂点に達した。爆発的な検索の増加はそこのことを物語っているようだ。

いろいろな話を書いているのだが、読まれないものも多い。にも関わらず冗談で書いた記事ばかりが読まれるのは面白くない。そこで「じゃあ、釣ってやれ」と思って書いたのが「マイナス金利」に関する記事である。ちょっとだけダークサイドに堕ちたのだ。

多くの人にとって「マイナス金利」はよく分からない概念だ。漠然とした不安を感じている人も多いようである。一般の人だけでなくプロの編集者にもそうした感想を持っている人がいた。

そこで、直感的に「個人の危機感と曖昧な情報を結びつければ人を動かせるのかもしれない」と思ったのだ。前日に日本の銀行とアメリカの銀行について書いたので、基本的な情報は持っていた。30分程度で書いたのが「マイナス金利になると銀行口座が持てなくなる」というものだ。

案の定、アップしてから10分くらいで8人が読みにきた。そしてそのままいなくなってしまった。今朝確認したところ読者の総計は10名だった。結局10人が釣られたのだ。

マイナス金利のニュースが抱える認知的不協和は「経済は安定している(べき)」というものと「持続可能性に不安がある」というものだろう。マイナス金利という聞き慣れない言葉を聞いて、その不安が顕在化しかけたのだと思われる。引用した呟きには「将来の不安」だが、これは「現在は安定している(はず)」という意識の裏返しである。

この記事には嘘は書かなかった。経済が不順になり金融機関が利益を得られなくなると、結果的に低所得者層にしわ寄せが行くというのが、アメリカの銀行が教えてくれる教訓だ。金融緩和策は、経済不調の結果なので、金融緩和と銀行口座が持てなくなるというのは双方とも「果」ということになる。原因は経済が不調で金融機関を儲けさせるだけの事業がないことだ。

今まで観察したところによると、日本人は議論のプロセスを無視して「問題」と「答え」だけを知りたがる傾向にある。情報が流れて行くTwitterではその傾向はさらに強くなるだろう。5分で答えだけが知りたいのだ。

この記事はシェアはされなかった。アメリカではマイナス金利政策は実行されなかったからだろう。プロセスや構造は無視されるので、「因果関係がなかった」ことが「証明」できたということになる。「明日も暮らし向きは変わらない」という安心感も得られたのではないか。認知的不協和は解消されたということになる。

閲覧数が多いブログを書きたければ、情報が不確実で欠損があり認知的不協和のありそうな分野の記事を書けば良いことになる。ただしそれが「人気を集めるブログ」になるかどうかは分からない。

この分析を裏返すと「需要のあるブログ」は作れそうだ。既に人々の頭の中には「認知」ができあがっている。安倍支持者たちは「自分たちはうまく行っていて、悪い事はすべて民主党(中国・韓国)のせい」と考えており、反安倍支持者たちは「世の中はうまく行っておらず、悪い事はすべてアベのせい」だと考えている。その認知は(恐らく多くの場合は)間違っているので「穴」を埋めるための情報が常に求められるのだ。それを書いてやれば、多くの人は「共感する」だろう。

もし情報に流されたくないのなら、余計な認知を持たずに情報を見極めるべきだということになる。人間は情報プロセスの負担を減らす為に認知経路を作るように設計されているのだから、これはなかなか難しいことなのかもしれない。

安倍首相はなぜ国民を怒らせたのか

ひっかかりのない思考的議論

ツイッターで安保法制の議論を読んだ。アメリカ政治の専門家によるテクニカルなもので、とても退屈だった。もし、政府の議論がこのようなものだったら、国民を二分する議論にはならなかったのではないかと思った。感情に訴えかける余地がないからだ。

価値判断に重きをおく安倍首相

一方、安倍首相の説明はよくも悪くも国民の感情に訴えかけた。結果的に、安倍首相は集団的自衛権の議論を混乱させた。

安倍首相は「価値観の人」だ。価値観の人は特定の価値を共有して理解を深めようとする。安倍首相は同盟関係を評価するのに「民主主義、法の支配など普遍的価値観を共有する国」という言葉を使う。一方韓国は「民主主義、法の支配など普遍的価値観を共有する国」ではない。敵味方がはっきりしているのも価値観の人の特徴の一つだ。

安倍さんの主張は仲間内で大きな賞賛を集めた。雑誌WILLなどを読むとこのことが分かる。彼らは安倍さんと価値観を共有しており「そもそも、美しい国を守るのに、面倒な理論は要らない」という主張を持っている。自民党が下野している間も信頼関係は揺らがなかったので、必ずしも利権などの損得で結びついているわけではなさそうだ。

価値判断と損得判断の遭遇

集団的自衛権行使容認派の中には「戦略的思考」を持つ人たちがいた。戦略的な人はいろいろな検討をしたあとで、どのアプローチが得か考える人たちである。彼らは自分たちの主張を通すために「価値観の人」を取り込むことにした。知恵を授け理論構築と整理を行った。アメリカからの要望はおそらく戦略的思考に基づいて発せられたものだろう。外務省にも戦略的な人たちがいて、アメリカの要望を理解したに違いない。

オバマ大統領は様々な意見を聞いた上でどちらがアメリカの国益に叶うかを考える戦略的指向を持っている。時には双方の主張を折り合わせることも検討するバランス型でもある。ところが、安倍首相は価値観の人で「どちらが正しいか」は最初から決まっている。オバマ大統領が当初安倍首相と距離を置いたのは、性格に大きな違いがあったからではないかと考えられる。

直観と感覚の相違

ここで行き違いが起こる。安倍さんが「感覚的」な人だったからだろう。感覚的な人は、背景にある論理を直感的に捉えるのではなく、興味がディテールに向く。戦略的思考の人たちが論理から例示を導いたのに、例示だけが印象に残ったのだろう。

戦略的な人が直感的に捉えれば、個々の例示から背景にある論理を読み取ったに違いない。戦略的思考を共有している外務官僚に任せていれば、それなりの答案が出たはずだ。ところが、細かな例示にばかり気を取られる政治家は「あれもこれも」実現しなければならないと思い込む。政治主導が発揮しているうちに、例外のある複雑な理論が構築されてしまったのではないかと考えられる。

価値観の人が秩序の人を怒らせる

安倍さんが次に困惑させたのは、憲法学者や元法制局長官などの「秩序の人」たちである。秩序の人は損得や正しさよりも論理的な秩序を優先する。彼らにとって正しいのは「法的な整合性が整っている」ことである。安倍首相の「正しければ、整合性はどうにでもなる」という考えが彼らの反発を生み「立憲政治の危機」という発言につながった。

皮肉なことに、安倍さんの憲法無視の行動は、アメリカさえ刺激しかねない。フォーリン・ポリシーは「憲法クーデター」という用語を使っている。「民主主義、法の支配など普遍的価値観」への挑戦だと見なされているのだ。「憲法クーデター」を根拠に動く軍をアメリカが利用するわけにはいかない。アメリカは、少なくとも表向きは「民主主義という価値観」を守るために行動しているからだ。

価値観のぶつかり合いは感情的な議論に火を付ける

秩序の人たちは、価値観の人たちから「合憲であれば正しくなくてもよいのか」と非難され、戦略的な人たちからも「合憲であれば損をしても良いのか」と攻撃された。加えて「平和憲法こそが美しい日本の根幹をなす」という価値観を持っている護憲派の人たちも加わり、議論は思考のレベルを越えて感情のレベルで火がついた。

感情的なぶつかり合いは戦略的思考を持っている人たちに利用されることになる。民主党の枝野さんたちは、戦略的にこの混乱を利用することを考えた。そこで「いつかは徴兵制になる」という感情的な議論をわざと持ち出して護憲派を刺激した。感情的議論はついに主婦にまで飛び火した。

稚拙な論理が聴衆を困惑させる

この時期になって、良識ある人たちは遅まきながら「法案の内容を理解しなければ」と考えるようになった。しかし、最初から理論が複雑な上、安倍首相の意図の全体像も明らかにならなかったので、当惑されるだけだった。

遅まきながら安倍さんはインターネットテレビに登場し「麻生君と安倍君」の例を使って集団的自衛権を説明しようとしたが、理論構築があまりにも稚拙なため失笑を買った。

価値観を中心に議論している人たちにとって「仲間を助けるのは当たり前だ」という単純な議論が伝わらないのは不思議に思えるかもしれない。丁寧に話せば分かってもらえると考えるのも無理のないところだろう。ところが、相手が聞きたがっているのは「彼らの価値観」ではないかもしれないのだ。

リーダーにとってコミュニケーション戦略は重要

「理解」の質は様々だ。価値観の人たちは「どちらが正しいか」を考え、戦略的思考の人は「どちらが得か」を評価したがる。大枠で理解したいと思う人もいれば、細かな状況に注目する人もいるのである。

安保法制の是非はともかくとして、このケースは多様なコミュニケーションを理解することの大切さを教えてくれる。コミュニケーションスキルのないリーダーを選ぶと国益さえ損ねかねないのである。