日大アメフト部と安倍政権の意外な類似性

この文章を書いた当時、加害者になった選手は内田監督に見出されたのではないかと書いたのだが、実際には内田さんが見い出した選手だったそうだ。


日大アメフト部について調べている。今回問題にしたいのは、親密で居心地が良いはずの日本型の村落がどうしてこのようになるのかという点なのだが、完全な答えは出ないかもしれない。

この文章を書いている途中で内田監督は辞任を表明したのだが、実権を手放すつもりはないと思われる。実際に「弁解はしない」という理由付けで説明を拒否した上に謝罪相手の学校の名前を「かんさい」と読み間違えており、相手に対するリスペクトどころか関心もないことがうかがえる。

これは日本人が集団による競争のみに熱中し、相手を「集団」ではなく、単なる倒すべき対象物としてしかみないからだろう。日本人は競争相手は人間ではないと考えるので「何をしても良い」と思ってしまう。内田監督の場合リスクを負うのは選手なので倫理のなさがそのまま表出したものと思われる。戦前の陸軍が勝つために若者を人間魚雷や特攻で使い潰したのと同じメンタリティである。日本人の表向きの調和を好む姿勢を重視する姿勢と集団による過度の競争に過度な乖離があり、外国人から見た場合「怖い」とか「信頼できない」と受け取られることも多い。

内田監督は反省をしていないようなので、日大の倫理のなさはそのまま温存された上で地下化することが予想される。選手がこれに従う必要はないためにチームとブランドの崩壊は避けられないのではないだろうか。

日本型組織に合致したボトムアップ型の組織がある種の病変を伴った歪んだトップダウンによって破壊されるのが「強いリーダーシップ」を目指す安倍政権と似ている。そして結果もそっくりである。破綻した結果ボトムを切り離して逃げ切ろうとして、外からバッシングされる。そして、何が起きているのかということを把握できていないまま、形式的に謝罪して内側に閉じこもってしまうのである。

しかし、外形が似ているからといって、そこに共通点を求めるのはいくらなんでもこじつけだなと思っていた。しかし、調べて見るうちに「政権交代」というキーワードが浮かんできた。内田監督はもともと名将と呼ばれた監督の元で働いていたのだが監督になった時にはすでに「根性論」による指導は時代遅れになっていたものとされている。結局、立て直しができないままで退任することになる。ここで「自分についてこない選手」にある種の歪んだ感情を持ったのではないかと予想される。

これが安倍首相に似ている。安倍首相は政治的リーダーとして官僚をコントロールした経験はなかったが、小泉政権のサプライズ人事で幹事長に抜擢されて首相候補の一人になった。だが実際にはトップマネージメントの経験がなく政府を掌握できなかった結果「お腹が痛くなった」として政権を放り投げてしまった。

この二人には誰かから抜擢されたという共通点の他に「仲間に優しい」という共通点がある。ボスにも忠誠心を尽くすタイプなのだろう。「かわいがられて偉くなる」タイプである。だが、これは裏返せば他人にも忠誠心を要求するということになる。

いくつかの媒体が執拗に田中理事長体制について攻撃している。途中で恐ろしくなったので引用はしないでおくのだが、ざっと読んだだけで「暴力団と関係がある」とか「金儲け主義で長期政権の歪みが出ている」というような記事が見つかった。

スポーツによる名声の獲得はこの「経営重視(あるいは金儲け主義)」の姿勢の一環である。日大は新しくスポーツ科学部という学部を新設したようだ。これはスポーツマネジメントを学ぶ学科ではなくトップアスリートを育て上げる学部のようである。なぜこのような学部を作ったのかはよくわからないが、熾烈な学校間の志望者獲得競争の結果なのかもしれない。スポーツで評判を取ればテレビでの露出が増えて志望者が伸びる。偏差値が上がるという評価の他にも、受験料が稼げるという実利的な理由もあるのだろう。つまり、日大にとってアメフトは「人格形成の一環」などという生ぬるいものではなく経営のための道具かもしれないのだ。

ここで出てくる問題は生徒との乖離である。プロのアメフト選手になれる人は少数だろうから、多くの人は日大アメフト部ブランドを求めてやってくるのだろう。しかし、このマインドでは「絶対に優勝しなければならない」という一生懸命さは生まれそうにない。

実際にはなぜ根性論が通じなくなったのかという点はスポーツライターたちが分析する必要があると思うが、ここでは仮説としてそのまま進めたい。

同じように内田体制も、3年ぶりに関東大会で優勝し、全国でも27年ぶりの優勝という形で成功を収めてしまう。これは前期の監督が成果をあげられなかったことを意味している。その原動力になったのは「根性でのし上がった一年生のスタープレイヤー」である。一年生のクオーターバック(内田監督が抜擢したのだろう)が活躍したという報道がある。この選手は勉強ができずに公立高校に移り活躍できなかったとされている。日大が浪花節日本一!大阪の公立高出身・林大、史上初1年生2冠/アメフット」という記事によると名監督の薫陶を受けたチームが再び栄光を手にしたと手放しで賞賛されている。今はほとんどのメディアがバッシングを繰り広げているのだが、当時は「恩に報いる」とか「浪花節」といったウエットで感情的な礼賛が多く出ていたことがわかる。このウエットな気風の裏には粘着質ないじめもあったことになるのだが、それは「成功」という結果の元に全く見過ごされていた。

ただこのウエットなチーム意識は村落の外では受け入れられそうにない。今回、日大のアメフト部からは大量の退部者が出そうなのだが彼らが心配しているのは就職活動だ。今回のように反倫理的な命令を無批判にこなしてしまうような特攻選手を出したチームで教育を受けた人たちを採用できないという企業も増えてくるだろう。さらに「なんでもありで勝ちにこだわる日本大学とは試合ができない」と言っているチームも多い。

これは安倍政権と似ている。安倍首相は政権から追い落とされたあと「なぜ自分は政権を手放すに至ったのか」を内省したとされている。そこで思い立ったのは「自分は調和型であり強引さが足りなかったので離反を招いた」という結論だったのではないだろうか。そこで内閣に人事権を集約して官邸主導の政治を行った。安倍政権は当初株価の上昇という形で成功してしまう。だが、その「力強さ」は二つの副作用を招いた。通産省からきた官邸組の強権的な他省庁への介入とそれに伴う資料の隠蔽や廃棄である。さらにその強硬な姿勢は東アジアでも嫌われている。日大のチームにある、コーチ、一部のスター選手、監督という構造は、安倍政権の官邸に当たる。この官邸に反発している内部が文書をリークする官僚であり、対外試合をボイコットするチームに似ているのが近隣諸外国である。

日本型の親密に否定された「トラウマ」が持ち込まれると自浄作用が働かない。日本型組織は内部では信頼ベースで対立回避のコミュニケーションスタイルをとるので、こうした「力強いリーダーシップ」を排除できない。かといってリーダーとチームは目標を共有していないので次第に亀裂が明らかになり、最終的に破綻してしまうのである。

日大アメフト部は内田体制が「院政」を行うだろうからさらに病化が進むことになる。これを内部から自浄することはできないので、ゆっくりとあるいは急速に崩壊してゆくだろう。却って純化されて強くなる可能性もなくはないが、対外試合を引き受けてくれるところはないのではないか。

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