防弾少年団(BTS)ジミンと原爆Tシャツ

日本公演に合わせてBTSの事務所が日本公演に合わせて2018年11月13日に謝罪文を出した。原爆についての謝罪は十分とは言えないが、関係諸団体と連絡を取るとしている。この際に原爆被害者への理解を深めるべきだろうが、いずれにせよ当事者間の問題であり、周りが代弁者になってバッシングすべきではないだろう。





防弾少年団(BTS)のジミンが原爆Tシャツを着て日本を挑発したとして話題になっている。韓国人歌手の「反日活動」は珍しくないのかもしれないが、紅白歌合戦の歌手として選ばれるのではという観測があり、国連で演説をしたグループ(Courrier Japon)としても知られているので、よりやっかみも強まるのだろう。

この件について調べてみると、BTSがなぜアメリカで人気のグループになれたのかということがわかってくる。BTSは実は韓国の芸能人が守ってきたあるルールを破ることで人気になっているのである。

まず、この原爆Tシャツ騒ぎが本当にあったのかを調べてみた。Googleによると、原語で지민(ジミン) 원폭(原爆) T 셔츠(シャツ)となるそうだ。ニュースサイト(韓国経済)では次のように説明されている。翻訳はGoogle翻訳を使った。つまり、韓国では原爆は祖国解放のために役立ったものとして位置付けられているということがわかる。対日(對日)となっているのはGoogleの間違いではなく、ハングルに漢字の振りをつけているからだ。

Tシャツの説明では、「国を奪われ、日本の植民地支配を受けた日本植民地時代という長い闇の時間が経って国を取り戻し、明るい光を見つけた日がまさに「光復節」である。1945年7月26日、米英、中は「ポツダム宣言」で対日(對日)の処理方針を明示するとともに、無条件降伏を要求した。日本がこれを無視すると、米国は8月6日、広島では、9日長崎に原子爆弾を投下した長崎原爆投下6日後の8月15日、日本は連合軍に無条件降伏を宣言した。9月2日降伏文書に署名し、正式に太平洋戦争と第二次世界大戦が終わった。韓国の光復をTシャツに表現したルーズな感じの長袖Tシャツだ」という紹介がされていると伝えられた。

もちろんネトウヨ業界では韓国人が紅白歌合戦に出場するのはいけないことに決まっているのだから、BTSは「日本で商売しなくても結構」となるだろう。逆にBTSのファンやリベラル界隈はこのニュースをなかったことにしたいはずである。では、このうち「どちら」が正しい態度なのであろうかということになる。原爆は「議論の別れる問題」だが英語ではこれをcontroversialという。日本語には訳語がなく「物議をかもす」などと訳される。実は英語圏ではBTSはcontroversialな議論に勇気を持って立ち向かうというイメージがあるのだ。Rolling Stoneの記事を見つけた。

BTS, who just became the first K-pop act ever to top the Billboard 200 album sales chart, have become a record-setting success story in part because of their willingness to buck this convention. The seven young men who make up the group have been speaking their minds since their debut, openly discussing LGBTQ rights, mental health and the pressure to succeed – all taboo subjects in South Korea. Their stance is particularly bold given the Korean government’s history of keeping an eye on controversial themes in pop music. By straddling the line between maintaining a respectable image and writing critical lyrics, BTS have offered a refreshing change from what some critics and fans dislike about the K-Pop machine.

デビュー当時から彼らはLGBTの権利やメンタルヘルスについて語ってきたと説明されている。これらは韓国の芸能界ではタブーなのだそうだ。韓国政府は芸能人がこうしたcontroversialなテーマについて触れるのを監視してきたと書かれている。つまり、もともとギリギリのところを「攻略する」グループだったわけである。だからジミンが原爆を扱ったというのも偶然や気の迷いとは言い切れないのである。

原爆は戦争という極端な現実の会社の正解が必ずしも一つではないということを示すよい材料を与えてくれる。日本では原爆というと被害の側面しか強調されないのだが、世界の認識は必ずしもそうではない。例えばアメリカにはもっとひどい認識がある。日本が続けていた戦争を科学技術で「一気に解決」し、戦後のアメリカ主導の国際秩序を作るのに役だった「クールな発明品」という認識がある。科学技術の結びつきから放射能マークや原爆のキノコ雲をかっこいいという人もいる。日本人が感情的に反応すると、とても戸惑いを覚えるようなので、彼らは悪びれずにそう思っているのではないかと思う。

しかし、我々はアメリカを見て反日とは言わない。アメリカは日本より強くて上という意識があるからだろう。だから、オバマ大統領が広島を訪れた時に、反核運動の人たちはこれを過剰にありがたがり、謝罪をしなかったことを無視しようとした。だが、下に見ている韓国人が同じようなことをすると「反日」ということになる。また、日本のファンもBTSは応援できても、原爆に肯定的な見方をする人がいるなどとは思わない。だからもともと韓国を面白く思わなかった人も、BTSを応援していた人も同様に戸惑うことになる。

世界に通用するバンドを応援するということは実はとても大変なことなのだということがわかる。相手がどうしてそのような認識を持っているのかを学び、なおかつそれが許容できないなら真摯に伝えて行かなければならない。もちろん、芸能と政治は分けて欲しいという人もいるだろうが、そもそもBTSはそのようなバンドではない。相手が自分の思っている通りではなかったから嫌いになるという人もいるだろうが、それはそれだけの愛情だったということだ。だからといって、嫌われるのがいやで全てを受け入れるというのもまた愛とは言えない。愛を歌うことの多いK-POPの歌詞にはよく다가와다/다가가다という言葉が出てくる。近づいてゆく/近づいてくるという意味の言葉だが、このしんどさとその裏側にある尊さが試されているとも言えるだろう。

日本人なら誰でも原爆の被害について広く伝えて行きたいと思うはずだ。だからこそ、相手が持っている原爆の認識について受け止め、同時に広島や長崎で何が起きたのかということを伝えなければならないということになる。やはり我々の国は原爆に傷つけられたのだし、その影響は長い間消えなかった。一方で、日本の決断の遅さがあの惨状を招いたのもまた確かである。軍部は失敗を認めるのを嫌がり、インパール作戦で多くの兵士を見殺しにし、沖縄を捨ててもなお間違いを正せなかった。だが、誰の言っていることが正義で誰がそうでないかという線を引くことはおそらく誰にもできない。それが戦争である。

あの犠牲者たちの写真を見せられてもなお「原爆が戦争という矛盾を一気にきれいに解決した」と言える人はそう多くないはずだ。だが、あの写真も実は真実の一面であって、未だに世界では原爆を解放者のシンボルとして捉える人が多いという側面もある。私たちは戦争を起こした当事者ではもないのに、それを丸ごと受け入れなければならない。戦争はとても不当な過去からの贈り物である。

BTSのジミンが情報を得た上で確信犯的に「原爆はかっこいい」と思っているのか、単に被害の写真について見たことがないだけなのかは実はよくわからない。相手が説得できるかはわからないが、事実としての広島や長崎の惨状について粘り強く語ってゆくしかない。過去は変えられないが未来は変えることができるかもしれないからである。もちろんそんな義務を背負う必要は誰にもないが、それが分かり合うということである。

もし、ジミンの態度が変わらなかったとしても、チケットを買ってコンサートに行くような人がチケットを買う自由はあるし、誰かがそれを責めるべきではない。さらにけしからんからテレビ局を囲んで潰してやろうという行動は「相手にわかって欲しい」いうファンの切実な願いを踏みにじることになるだろう。

一方で、態度が変わらなかったのなら、紅白歌合戦には出るべきではないかもしれない。紅白歌合戦はK-POPファンのみならずいろいろな人が見る番組であり「広島や長崎でどんなひどいことが起こったとしてもそれでも原爆を支持する」という人が受け入れらる余地はやはり少ないだろう。亡くなってしまった人の他に、生涯差別を受けた人もいるし、原爆二世というだけで複雑な思いを抱えてきた人たちもいる。こうした人たちも紅白歌合戦を見るだろう。NHKがそれでも彼らを出すのなら、多分問題を整理したうえで全てを受け止める責任がある。

この「知らせた上で相手に選択肢を委ねる」ということはとても大切だと思うのだが、日本ではこうした発想が起こりにくい。個人の主張や選択をあまり信じない日本人は「相手もまた変わらないだろう」と思いがちだ。だが、こうした諦めを持っている限り、原爆や戦争というものが時に取り返しのつかない被害を与えるのかということは伝わらない。

戦争のような劇的な行為が深刻な価値観の分裂を後世に残すのは当たり前のことであり、それを後の人たちが変えることはできない。戦争で助かった人がいることも確かなのだろうが、かといって亡くなった人も帰ってこないからである。

だから、戦争はいけないことだということを再認識するためにも相手の認識を受け入れた上で、自分たちの感覚や感情も率直に語ってゆかなけばならないのではないかと思う。ファンとは辛いものだと思うのだが、日本のファンは組織的で粘り強い。真摯な気持ちを表明した上で相手を説得するという作業をやってできないことはないと思うのだが、いかがだろうか。

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