日本の高齢化をまざまざと見せつけられた韓国報道の過熱

週刊ポストが炎上した。「韓国はいらない」という見出しを打ったところ、執筆者たちが「もう小学館では書かない」と言い出し謝罪したのだった。ハフィントンポストが経緯を詳しく伝えている。「誤解が広がっている」というのはいつもの言い分だが、売れると思って打ったのだろう。見出しだけでなく中身もひどかったようだ。10人に一人が治療が必要なレベルと書いた記事もあったという。




ちなみに「これがなぜいけないのか」という問題を先に片付けてしまおう。日本は戦争を煽って新聞の購読数を伸ばした歴史がある。気がついたときには取り返しがつかなくなっており、戦後に朝日新聞などは盛んにこれを「反省」した。つまりビジネスヘイトは歯止めがきかなくなりやがて深刻な対立を引き起こす可能性がある。日本人は戦前の歴史をきれいに忘れてしまったらしい。

韓国人が火(ファ)病に侵されているというなら、日本人は群衆の病と忘却の病の持病を抱えていることになる。多分ジャーナリズムが細かな村にわかれており業界全体として検証作業や人材の育成をしてこなかったために、戦前の貴重な知見が蓄積されていないのだろう。

ところがこれを観察していて全く別のことに気がついてしまった。

サラリーマンが出勤前に見ているようなニュース情報番組はそれほど韓国について扱っているわけではない。彼らには生活があり従って様々な情報を必要としている。ところが中高年しか見ていない昼の情報番組は盛んに韓国を扱っている。つまりヘイトというより老化現象なのだろう。

このことは残酷な事実を私たちにつきつける。テレビは中高年に占拠されており、中高年は他人を叩くしか楽しみがないということだ。こういう番組をみんなで楽しく見ているとは思えないので少人数(一人かあるいは二人)が次から次へと「けしからん他人」を探しているのだろう。

ところがこれを見つめているうちに不都合なことが見えてくる。今回のチョ・グク法相候補はほぼ一人で11時間以上の会見をこなしたようだ。日本の政治家(正確にはチョ氏は政治家ではないのだが)にこんなことができる人はいないだろう。最終的には記者たちも視聴者たちも疲労困憊してしまったようだ。大谷昭宏さんなどはうっかりと「羨ましそうな」表情を見せていたし、辺真一氏も「少なくとも記憶にございませんとはいわなかった」とどこか誇らしげである。つまり韓国には自分の言葉で釈明が出来る政治家がいるが、日本にはそんな人はいないということが露見してしまった。民主主義が機能していないと笑っていたはずなのにいつのまにか「なんか羨ましいなあ」と思えてしまう。

しかし、この「かわいそうな老人のメディア」としてのテレビが見えてしまうと不都合な真実はどんどん襲ってくる。例えば最近のアニメは中年向きに作られている。2019年8月末のアニメの視聴率(関東)をビデオリサーチから抜き出してきたのだが、新しく作られたものはほとんどない。「MIX」は知らなかったがあだち充の作品のようである。目新しい幼児向け番組は「おしりたんてい(絵本は2012年から)」だけである。サザエさんなどは昭和の家庭を舞台にしている。我々が昔水戸黄門を見ていたようにサザエさんも昔のコンテンツと思われているに違いない。

タイトル視聴率(関東)
サザエさん9.0%
ドラえもん6.7%
クレヨンしんちゃん6.2%
MIX・ミックス5.8%
ちびまる子ちゃん5.8%
ワンピース4.6%
おしりたんてい4.3%
ゲゲゲの鬼太郎4.2%
アニメおさるのジョージ3.3%
スター・トゥインクルプリキュア3.1%

特にテレビ朝日は「ファミリー層を排除しようとしている」と攻撃の対象になってしまった。アニメを土曜日に動かしたのだそうだ。テレビ局も新しいコンテンツを作りたいのだろうが視聴率が取れない。最近の若い人は高齢者に占拠されたテレビを見ないのだろう。

アニメだけでなく音楽にも高齢化の波が押し寄せている。TBSは関東ローカルでPRODUCE 101 JAPANの放送を開始する。吉本興業が韓国のフォーマットをそのまま持ってきたようで、制服やショーの構成がそのままだ。ところがこれをみてショックを受けた。韓国版ではイ・ドンウクが練習生の兄貴(とはいえ三十代後半のようだが)として国民プロデュサーに就任していた。この視線で比較してしまうと日本版の国民プロデューサ(ナインティナイン)が老人に見えてしまう。ASAYANが放送されていたのは1995年だということで「昔の若者」が倉庫から出てきたような感じである。

ナインティナインが普段老人に見えないのは実は日本の芸能界がそのまま老化しているからなのだ。しかもこの番組も夜のいい時間には時間が確保できなかったようである。確かに老人が見てもよくわからないだろう。もはや歌番組は深夜帯のサブカル扱いなのである。

嫌韓本が広がる仕組みを見ていると、出版取次が「この本は売れるはずだから」という理由でランキングに基づく商品を押し付けてきているという事情があるようだ。高齢者であってもAmazonで本を買う時代に本屋に行くのは嫌韓本を求める人たちだけということなのだろう。テレビの動向を合わせて見ると、最終的に残るのは「昔は良かった」と「ヘイト」だけだろう。まさにメインストリームが黄昏化している。

幸せな生活を送っている人たちがヘイト本を見てヘイト番組を見て日中を過ごすとは思えない。結局見えてくるのは、高齢者が潜在的な不満と不安を募らせながら、他にやることもなくヘイト本を読みヘイト番組を見ているという姿である。つまりなんとか生活はできているが決して満足しているわけではない人たちがヘイトを募らせていることになる。

こうした人たちが韓国との間で戦争を引き起こすとは思えない。そんな元気はないだろう。多分、テレビに出ている人や雑誌で書いている人たちが心配するべきなのは民主主義の危機ではない。深刻な老化なのだ。

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