わからないという不安 – 日本人が集団で相手を非難するのはなぜなのか

ABCニュースのトップはボルトン氏の辞任の話だった。大統領は自分がクビにしたと言っているが本人は自分から辞めたと言っている。既定路線だったようで特に分析などは出ていないのだが、やはりニュースといえばニュースである。ところが日本のニュースはまだ内閣改造に搦めて日韓関係をやっている。「内閣改造は対韓強硬路線を示すために行う」というのである。日本のマスコミは安全毛布としての韓国にしがみついている。




Twitterをみると安倍内閣が千葉を忘れて内閣改造に没頭するのは何事だというつぶやきと復旧に奔走する野党議員を罵倒するつぶやきが見つかった。こちらも状況がわからない外野が騒いでいるようだ。

この様子を見るだけで日本人がどんな精神状態に置かれているのかがわかる。誰かを非難したくて仕方がないのだがそれが自分に跳ね返ってくるのが嫌なのだろう。そこで叩けるものを叩いて騒いでいる。誰かを叩くのは多分不安だからだろう。

日本人はアメリカには勝てないと理屈抜きで考えているのでアメリカがうまくいっていないというニュースは見たくない。一方韓国には勝てると考えていて、韓国関連のニュースを見たがる。旧秩序に基づいて現状を見ている。見えるはずのない歪んだメガネだがどういうわけかものの見方は変えられない。

電気については「面白いなあ」と思うことがある。電気が復旧しないのには必ず理由があるはずである。多分現場は何が起きているかを知っているだろう。だがテレビ局が見たがるのは「災害のすごい絵」と「責任者の処断」である。マスコミは常に部外者なので大きな絵を切り取りたがる。原因がわからないから次第に「誰を非難するか」に意識が向かう。こうして問題解決から意識が遠ざかって行く。

不思議だと思っていたのだがようやく理由がわかった。つまり「何がどうなっているのか」がわからないものを外から触っているからこういう絵しか流せないのだ。原因が分かればその原因について説明すればいいのだが、それができないのだろう。ニュースアンカーもレポーターの紹介係になっているだけで情報を統合しない。というよりそういう発想がないのだ。

初動の時期に東京電力に話を聞いてみて思ったのだが、各現場は情報を持っている。ただそれを他部署に伝えたりお互いで共有しようという発想は全くないようだ。聞かれるまで黙っている人と教えてもらうまで黙っている人がいる。そしてそれがマスコミによって無理やりにつなげられるとストーリーがでっち上げられ炎上する。SNSの発展によりショートする回路は格段に増えている。

電力会社に質問すれば答えは教えてくれる。東京電力の職員は千葉市役所の本庁舎にも常駐しているそうだ。つまり話を聞ける人もいる。すなわち「質問ができる人がいない」ということになる。

何を聞いていいのかがわからなければ何も伝えられない。日本の新聞記者は受け身の日本式教育を受けて記者クラブで与えられる情報を餌にして育つのでそうなるのだろう。問題意識を持って「これはこうなのじゃないか」という仮説が立てられない。仮説を立てて推論ができないと何が起きているのかがわからない。あとは騒ぎに乗るだけである。

同じことが多分日米関係にも言えるのだろう。日本人はアメリカで何かが起きていることはわかっている。だがそれが何なのかがわからない。誰も正解を教えてくれないからである。

アメリカはそれを仮説を作って説明しようとする。

イアン・ブレマーが面白いことを書いている。トランプ大統領は症状であり原因ではないというのだ。つまりトランプ大統領が問題を引き起こしているのではなく、問題の結果がトランプ大統領だということである。イアン・ブレマーは極のない世界という世界観を持っているので、その症状は無秩序だろう。今回はジオポリテックリセッション(地政学的不況)という言葉を使って説明しているようだ。

イアン・ブレマーはこれを地政学的不況というコンセプトで説明しようとしているものは、結局なんだかよくわからない。ただ、言葉を与えるだけでお互いに共有できるようになるという不思議な作用がある。とりあえず古い体制に戻ることはなく新しい状態に移るためのトランジショナルな状態にあるのだと考えることで、ようやく話し合いの糸口が掴める。日本人はこれをやらずに単に騒いでいる。騒げば誰かがなんとかしてくれると思うからなのかもしれない。しかし、騒いでも状況が元に戻ることはない。

イアン・ブレマーの仮説がどれくらい正しいのかはわからない。重要なのは「大きな仮説」を立てて包括的に物事を眺めることである。つまり、元には戻らないがかといって、この世の終わりでもないということなのだ。

日本人が仮説を立てて何を質問すべきなのかが考えられないのは多分学校教育のせいだろう。正解を学ぶことしかしないので自分で問題意識を持って調査しようという気持ちになれない。だから今のテレビを見ていても不安になるだけだ。だが、もうテレビを非難しても何も解決しないだろう。だから学校教育についてせめても何の役にも立たない。

我々にできることは多分自分で新しく情報を集め始めることだけなのだ。