やがて「異物」が選別できなくなる – アメリカの事例と日本のこれから

ABCでアメリカンエアラインのメカニックが逮捕されたという話をやっていた。離陸前の飛行機のモニター装置に細工を加えようとしたのだという。これがトップニュースになったのはこのメカニックがアラブ系の名前(Abdul-Majeed Marouf Ahmed Alani)であり、携帯電話にISISのビデオを所有していることがわかったからだ。




アメリカは世界中からの移民が集まっている国だが実質的には英語が話せる白人が支配的だ。これはアメリカが独立してから近年までの世界の彼らなりの理想のモデルだったのかもしれない。世界は一つで英語という共通言語と英米法の法体系と白人の指導のもとで仲良く暮らすというようなモデルである。

意地の悪い見方だが、アメリカは長い間黒人の参政権を制限しており、黒人は公民権運動を起こして権利を獲得してきた。ところが有色人種排除は終わらなかった。イスラム教徒はキリスト教徒からの差別にさらされ疎外感を抱えている。有色人種は形式上はフルの参政権が与えられているのだが実際には不満を抱える存在だ。少数者が自分の国を肯定できなくなったからといって彼らを追い出すわけには行かない。すでに社会を支える存在だからである。

アメリカの白人たちは「失われた怒り」を持っているが民主主主義とという捌け口がある。結局彼らは多数派なのである。こうした失われた怒りを持った人たちがトランプ大統領を支援しているという意見もある。大前研一はトランプ大統領は自分中心主義の最低の大統領だと批判した上で、こうした人を支える熱狂的なアメリカ人が25%もいると嘆いている。大前は「アメリカ人が聞きたがる嘘を臆面もなく繰り返すのがトランプ大統領である」と言っているのだ。

だが、大前のこの記事にはトランプ大統領に好意的なコメントがいくつもついている。トランプ大統領が大前のようなインテリを打倒してくれるヒーローに見えているようだ。つまり、日本にもこのような失われた怒りを持つ多数派はいる。彼らが多数派のほんの一部なのか、それとも日本の多数派の中にうっすらほんのりと広がっているのかはわからない。

いずれにせよ、彼ら「喪失感を持つ多数派」が少数派を糾弾するシンボルのもとに団結する可能性はある。旭日旗を持った「美しい日本人たち」がオリンピックスタジアムを席巻する画面を想像してみればよい。多分「その他大勢」の人たちはオリンピックから退出し、多くの少数派が身の危険を感じ、一部の多数派と少数派だけがそのシンボルを巡って争いを繰り広げるだろう。話し合いの場のはずだったアリーナは好戦的な人たちの戦場になる。つまり問題解決の場が党派対立に占拠されてしまうということだ。

話し合いのアリーナが旭日旗で生まれば社会は話し合いで問題を解決することができなくなる。それがこれまで見てきた民主主義の死だった。だが、アメリカの事例はさらにその先を行っている。

アメリカの場合多数派のキリスト教徒という存在がありそれとは異質なイスラム教徒やスペイン語話者というマイノリティを抱える。このAbdul-Majeed Marouf Ahmed Alaniという人がISISの支持者だったかどうかということはわからないのだが、こうしたイスラム系の人たちを全て取り除いてしまうことはアメリカ社会にはできない。この不信感は長い時間をかけてじっくり進行してきており今ではもうアメリカの一部になってきている。そしてアメリカの暮らしは彼らに支えられている。

移民解禁に踏み切った日本はこれからアメリカを追随することになる。日本は喪失感を持つ多数派を抱えたままで海外からの「臨時雇い」を導入するからである。その依存は徐々に広がり最終的には分離不可能になるだろう。

さらに悪いことに日本人は強いものにはへつらうが弱いものには居丈高になる。日本はインフラ整備や教育の拡充など「良いこともした」と思われるが、現地に恨まれることによって良いこともすべて帳消しとなった。特に1940年から1945年にかけての苛烈さは「単に本土並み」だったのかもしれない。日本もかなり厳しい状態にあり統制は大いに恨まれた。しかしそれが異民族だった側から見ればかなりひどい搾取に感じられただろう。

ただ、こうしたことは外地で行われおり戦後に外地を日本から切り離すことである程度問題を解決した。

今回日本がやろうとしているのは内地に将来分離不可能な植民地を作るようなものなのだが、多分それに気がついている人はそれほど多くないのではないか。BBCはすでに搾取される移民労働者という記事を英語でのみ配信している。仮に日本並みに扱っているだけだったとしても日本のブラック企業というのは海外から見れば虐待である。日本人にとって「日本人であるというだけで誰かを指図できる立場になる」というのは理想かもしれないがやがてそれは悪夢に変わるだろう。そしてその構図は戦前に似ている。戦前は外に広がろうとし、今は内側に抱え込もうとしている。

民主主義も人権も与えず単に労働力として導入した「モノ」が社会にとってどんな厄介なものになるのか、多くの日本人はまだ知らない。多分、高齢の日本人たちはその問題を見ることはないだろう。日本人はかなり厄介な「問題」を将来に向けて作り出しているということは知っておいたほうがいい。いったん受け入れると決めたら社会に包摂するか仕返しをされるか二つに一つになってしまうのである。

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