Twitterで絡まれたらまず3本の蛍光ペンを取り出そう

前回は政治議論のために、意見・証拠・反証・印象の4つを分析してみようという提案をしてみた。ただ、このままでは広まらないだろうなあと思う。建設的な議論をしたい日本人はそれほど多くないはずだからである。




日本人が好むのは「他人があたかもその人の意見かのように自分の意見を主張する」のを聞くことと「自分と異なる意見を持っている人がひどい目にあう」ことだけだと思う。社会が同質的な村から出発しており他者の存在を受け入れないのだ。

つまりこの3つの蛍光ペン理論を広めるために応用編を作るとすればそれは「自説を補強し」て「カラまれるのを防ぐ」ところにあるということになるだろう。特にTwitter論壇のコメンテータである我々にとって「カラみ防止」は喫緊の課題だ。なぜならばTwitterは我々の理想の村を再現してくれないし、場合によってはひどいストレスをもたらす。電車の中でスマホを読んでいて腹が立ったらまず心の中に蛍光ペンを取り出してみよう。

まず、相手の文章が「印象」なのか「エビデンスを含んでいるか」を分析する。もし印象だったら「折り合いをつけてもいいのか」「妥協できないのか」ということを決めよう。いったん飲み込んで見て数日置いてみるのも手である。反論には意外と新しい発見があるかもしれない。しかし「それでも折り合えないな」と思ったら特に相手にする必要はない。印象なので折り合うことはできないし多分説得も無理だろう。相手の経験とあなたの経験が異なっている。それだけのことなのだ。黙ってミュートボタンを押そう。

厄介なのはエビデンスを含んでいる場合である。この場合「反証」が含まれているのか、つまり批判を織り込んでいるのかということを見てみよう。もし、特定の立場を補強する証拠だけが集まっているとしたら、証拠そのものでなく取捨選択がその人の態度を表していることになる。その人の態度を変えることは難しいだろう。これは印象なので結局印象で話をしているのと同じ状況なのだ。これもミュートボタン対象だろう。

中にはわざと反論されやすい言い方をして相手を煽ってくる人がいる。その場合には「炎上商法」を問題にすべきであって、その人の歪んだ(あるいは経済的に困窮した)人格や証拠二反論しても意味がない。「嘘をついてはいけませんよ」というだけで十分なように「大切な問題をおもちゃにすべきでない」と言えばいい。これはミュートしなくてもいいかもしれない。だが、最近ではもっと派手なショーを望んでいる人がいて「裁判で訴えますよ」と一般人に脅しをかける人も出てきた。多分戦っている自分が好きなのだろう。相手するかどうかはあなた次第である。

時々、偏った情報を選択していてもそこに批判的な精神を持ち込んでいる人はいる。そういう人であれば「私とあなたの意見は違う」という地点くらいまでにはもって行くことができるかもしれない。最終的に折り合えないとしても議論ができるのはその時点からなのではないだろうか。この議論のメリットは実は相手の分析ではない。自分の意見をチェックすることである。相手の文章を分析する過程で実は自分の議論もチェックしなければならなくなる。

証拠と検討材料(法律用語では反証とは「嘘だと示すための証拠」という意味だそうなので「意見を検討するために考え直すこと」を反証と書いたのは適当でなかったのかもしれない)が含まれているとすれば導き出された意見には何らかの意味があるはずである。

あとは証拠の妥当性を評価すればいい。自分も証拠と検討材料を持っているはずなのでそれをすり合わせて行けばいいわけである。証拠そのものが重要なのであって、最終的な意見はそれほど重要ではないということと、ましてやそれを言っている人の人間性やバックグラウンドは意味がないということは覚えておいたほうがいい。

「最終的な意見」もそれほど重要ではないのはどうしてだろうか。それは議論を通して意見が変わることはお互いに十分考えられることだからである。そもそも意見が全く変わらないなら議論に意味はない。

「日本人は議論ができない」というのはこれまで諦めがちに扱ってきたテーマだった。学校教育が悪いなどと言いながらなかなかその実態がつかめなかった。だが、いったん仕掛けがわかってしまうとそれほど大した問題ではないし克服も簡単なように思える。

実は読書感想文的なアプローチ – つまり読んだものに印象をくっつけて行く – が問題なのであって、別に日本人の知性に問題があるわけではないからだ。

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