権限がないのに責任だけ取らされる日本人と誰も責任を取らないイギリス – 主権者と立憲主義

BBCによるとイギリスで大変なことが起きているそうである。歴史上曖昧にしてきた主権者は誰かという問題を議論せざるをえなくなっているというのだ。




ボリス・ジョンソン首相は何が何でもEUから離脱したかった。ところが議会は反対している。そこで議会を停止して既成事実を作ろうとした。そこで女王に「議会を停止しないといけません」と報告して議会を閉じてもらった。ところが議会は首相には勝手に交渉する権限はないと議決し、さらに裁判に訴えて議会停止の判断を無効にしてしまった。伝えられたところでは「虚偽の報告を女王にした」というような言い方になっていて女王をきゅうだんするかたちにはなっていない。

ところが、議会停止の判断自体は英国女王が行っている。つまり、結果的に女王が国民が大切な問題を決める権利を奪ったことになってしまった。そして、臣下の分際である裁判所が女王の判断を覆したという事態になった。歴史上君主が糾弾されたり処刑されたりしたことはあるがあまり居心地のいい状態ではないだろう。だが、裁判所にそんな権限があるのかということを考えると結果的に「誰が権限を持ち、誰が責任を取るの?」という問題になる。政治の世界ではこれを「主権者」という。イギリスは主権国家だがその主権がどこの誰に存在するのかというのは意外とふわふわしている。

そもそも君臨はするが統治はしないというのがあいまいな約束事になっており、イギリスの主権者は議会における王(女王)ということになっているそうである。成文憲法を持たないイギリスは主権者の問題を語りたくない。だから「最終的に誰が責任を持って決めるのか」ということがあいまいになってしまう。首相は代理人に過ぎないので従って逃げられる。とはいえ国民も主権者ではないから最終的な判断は下さない。その責任はないし権限もない。

主権者があいまいながらなんとかやってきたのがイギリスなのだが、ボリス・ジョンソン首相はそれをぶち壊しにしてしまった。だからBBCは戸惑いつつ怒っているのである。

では日本にとってそれは他人事なのだろうか、ということになる。実は日本人も同じ問題を抱えていることに気づく。

日本の首相が日米貿易協定を決めてきた。アメリカに譲歩したのではないかと言われている。有権者は主権者としては当然それをチェックしなければならない。なぜならば最終的に責任を取るのは主権者だからである。平たい言葉で言えば「何かあっても誰にも文句が言えない」のが主権者だ。だが、内閣が説明するこのあとの審議プロセスは恐ろしく曖昧で、ついでにマスコミもほとんどそれを問題にしなかった。

安倍晋三首相とトランプ米大統領は25日午後(日本時間26日未明)米ニューヨークで会談して貿易協定締結で最終合意し、合意文書に署名した。米国産の牛、豚肉は環太平洋連携協定(TPP)水準まで一気に関税を引き下げる。コメはTPPで設定した無関税枠を認めず死守するが、日本の自動車や関連部品への関税撤廃は見送られるなど米国への譲歩が目立つ内容となる見込み。協定文書の法的審査完了は署名より遅れるが、国会の承認を経て早ければ年内にも発効する。

日米、貿易協定で最終合意

さらっと恐ろしいことが書いてある。協定文書に署名するがその時までに法的審査が間に合わないというのである。そして国会審議はすると書いてある。「よくあること」なのかもしれないのだが、署名するということは国会を通すことが前提なのだろうから、すなわち「国会は法的な審査を見ない」可能性がある。国会審議は儀式にすぎないということを誰も(つまり野党も含めて)が本音で了解しているからこそこういうことになる。

多分野党は「反発すること」は決めていてあとは「どこを反発するか」が見たいのだと思う。だから細かい条項が開示されるのを待っているのだろう。Twitterは野党のコピペなのでそれまでは反応しない。野党にも主権者意識はない。彼らが意識しているのは党派だけである。

少なくとも、議会が最終的な責任を負うべきなのだという期待は日本にないことだけはわかる。日本人は自分たちを主権者だとは思っていない。厳密に言うと責任を取らされるとは思っていない。だから主権者の代表が法的チェックがちゃんとできるのかということを気にしないで契約を「はいそうですか」と言って黙認してしまう。日本人が気にしているのは勝ち負けである。野党が勝ったか与党が勝ったか、あるいはアメリカが勝ったか日本が勝ったかを協定の中身から見たいのだ。

なぜこれが好ましくないのか。その答えは憲法に書いてある。憲法第12条の英文原文はthe peopleとthe part of the peopleという言葉が出てくる。日本にはthe peopleがおらず、たくさんのthe part of the peopleがいる。

The freedoms, rights and opportunities enunciated by this Constitution are maintained by the eternal vigilance of the people and involve an obligation on the part of the people to prevent their abuse and to employ them always for the common good.

日本国憲法第12条

一部の人々の国家権力濫用を防ぐためにthe peopleが積極的に関与して監視してくださいねと書いてある。そうしないと権力は濫用されるし、結果責任を問われるのは主権者であるあなたたちですからねと言われているのだ。

そしてそれは一人ひとりではなく総体としての日本人なのである。the peopleというのは集合的な人々なのだが実体がない。実際には野党支持者や与党支持者、あるいは権力を濫用したい人たちというthe part of the peopleがいるだけで、the peopleがいない。つまり日本もイギリスと同じように最終責任者がいない状態になっている。

内閣が憲法の規定を守らないことに「なぜ懲罰がないのか」という人がいる。、これは当然である。主権者の代表だから自発的に憲法を守るべきだし守らなければ有権者全体の判断(the people)で変えられるからだ。アメリカでは今トランプ大統領の弾劾プロセスが進行しているが、アメリカの弾劾も懲罰はなく単に職を追放されるだけなのだそうだ。そして弾劾を決めるのは議会である。

あるいは選挙を通さないならばデモをして反対するという手もあるだろうが、その場合にはデモが国民を代表しているという合意がなければならない。今のデモは野党がやらせているんだろうという了解ができているので国全体にひろがってゆかない。

日本人が主権者意識を持てないのは、なんとなく天皇というものがあり、誰が元首なのかということをあいまいにしてきたからだろう。ただし、これを議論しだしたら多分いつまでも国論がまとまることはなさそうだ。それぞれの「一部の人たち」が我田引水の議論を始めるに決まっているからである。

今回はイギリスと日本という二つの不思議な立憲制の国を見てきた。細かい状況に違いはあるが突きつけられている問題は「誰が最終判断して責任を取るの?」ということである。立憲君主制というのはふわふわしていてつかみどころがない。