原発と人権問題という最悪の組み合わせ

関西電力の問題は思わぬところに飛び火したなと思う。まず人権問題に飛び火し、つぎに政界に飛び火した。稲田朋美元防衛大臣の地元が福井県ということがあり献金を受けていたというのだ。実際の献金額は36万円とたいした額ではないが返金を検討中だという。




こうして関連する問題が増えると群がる人も増えてくる。与党支持者にも野党支持者にもアイデンティティの一部を問題に固着させている人がいるからだ。

原発反対派は何が何でも原子力発電所の後ろ暗いところを見つけたい。反核運動は護憲派左派野党の最後の砦の一つである。また「稲田朋美」という名前が出てきたからには安倍政権を攻撃したい人たちもこの問題に熱心に取り組むだろう。

一方、保守の人たちも「野党は人権団体とつながりがあるからこの問題を一部隠して報じているのだ」とするに違いない。彼らはマイノリティ利権という言葉に敏感でありそうした特権が「善良で普通の人たち」から何かを盗んでいると信じている。

世界情勢の変化について行けなかった日本人は現実の安全保障問題を解決できなくなっている。だからこの話はタブーになりかけている。北朝鮮のミサイルをアメリカが黙認しているという事実について尋ねると政治に関心がありそうな人たちほど沈黙する。中には「まず憲法改正だ」などという人がいるが、日本の憲法を変えてもトランプ大統領の頭の中は変わらないだろうし、朝鮮民主主義人民共和国が開発したミサイルが消えてなくなるわけでもない。現実に対応できないからこそ、ありもしない問題の方が重要になってしまう。かといってそんなさなかに軍隊を全く持たないという選択肢もおそらくはもうない。アメリカの軍隊に期待できないからだ。

この話は皮肉な入れ子展開になっている。おそらく本土日本人は心の中で沖縄を捨て石にしていると思うのだが、アメリカは日本を捨て石にしている。朝鮮民主主義人民共和国のミサイルが日本に届いて日本が攻撃されれば日本に被害が出る。しかしアメリカはそれを口実に朝鮮民主主義人民共和国を攻撃できる。そうすればアメリカは無傷で助かるのである。実際にロシアが沖縄に対してそれを仄めかし琉球新報が伝えている。つまりロシアもわかっていて情報戦を仕掛けているわけだ。

この問題はまだ現実になっておらず従って明確な敵がいない。すると不安は広がるが現実の脅威に対抗して一つになるべきだというような動きも起きない。不安に耐えられなくなった人たちはいろいろな問題を見つけては「議論」したがる。しかし、現実の問題ではないので解決策はなく従って泥仕合いになる。巻き込まれる人は増えてゆくが誰も幸せにはなれないだろう。

すでに<M氏>が持っている資料を洗いざらい世間に公表すべきだなどと言い出す人が出てきているのだが、これは遺族を巻き込むことになる。皆忘れているようだが彼ら家族は「人権問題」の当事者である。すでに家族の一人が検事であるというような情報も出てきている。

私たちはこうした扱いが難しい問題に蓋をしてなかったことにしてきた。人権問題の当事者の中にはひっそりと事実を隠して生きていた人たちもいるだろうし、アウトサイダーとして既存のモラルや社会規範の外側で生きざるをえなかった人たちもいた。これを我々は世間一般の常識ではかることはおそらくはできない。前回見たナイジェリア人のハンスト餓死者もそうだった。同じような人たちはまだたくさんいてそれを閉じ込めている。

入管庁によると、退去強制令書を出され、6月末時点で入管施設に収容されている外国人1147人のうち、約75%に当たる858人が送還を拒否している。858人中366人が薬物事犯や殺人、性犯罪などで有罪判決を受け、うち84人が仮放免中の犯罪だった。ハンストは6月1日~9月25日、198人が行い、うち36人が9月25日時点で続けている。

収容外国人ハンストで死亡 入管施設で初、報告書公表

大村では食料がきちんと供給されている施設での餓死という明らかに異常な事態が起きて問題が表面化したのだが、扱うマスコミはおそらくほぼないだろう。これを突き詰めてゆくと外国人集団の問題に突き当たり、外国人集団の問題は外国人の待遇の問題に突き当たる。疲弊した地方がそれを抱えることができるのかという問題を考えなければならなくなってしまうのである。この問題の裾野はそれほど広い。

こうして不都合な事実は隠蔽される。私たちが「枠外に人を置く」ということはやがて管理不能な何かを生み出すということである。今回の高浜町の話も原発誘致の時には「管理ができる」と思っていたのだろうが、結局どうにもならなくなり表沙汰になってしまった。と、同時に高浜町が抱えていた長年の闇も表に出てきてしまった。経済的な繁栄が隠蔽してきた問題が衰退期に蒸し返されたと言えるのかもしれない。

関西電力の問題はおそらくは通常の企業の不正問題として分析されるべきで、そこから問題を取りだそうなどと考えないほうがいいだろうが、多分誰かがそれを掘り出そうとするに違いない。掘り出そうとする人は自分たちが何を扱おうとしているのかをきちんと考えて目の前の変化と衰退という問題を正面から捉えたほうがいいだろう。

特に人権問題という観点で高浜や大村の問題を扱いたい人たちはそれ相当の覚悟を持つべきである。善い人に見られたいという理由で語れる問題では恐らくなくなっているように思えるからだ。