価値観を共有する国 – 安倍首相の憲法改正議論はなぜ人々を不安に陥れるのか

一同合掌。今回は安倍首相の会見議論がなぜあなたを不安に陥れるのかを考えます。この一文を見て「私は不安になどならない!」と叫んだあなたのための文章です。また、安倍改憲など絶対に絶対に認められないと思っている人も読んでいってください。では始めます。合掌。




最初に解題してしまうと「価値観を共有する国」というのは西側国家の安倍首相流の言い換えだ。これを価値観外交というそうだが好きな国と嫌いな国を主観で分けたいということである。アメリカの新保守の人たちの理論を我田引水して心情を載せたという意味では伝統的な手法である。

安倍首相にいわせると価値観とは「基本的人権と法治主義」の事だそうだが、例えば現在は民主主義国になったロシアは多分入っていない。さらに韓国をここから取り除くことが多いようだ。気に入らない国があると「あの国はあそこがダメ」と言って除外されてしまう。一方お気に入りの国で不都合なことが起きてもそれは無視される。一見不合理に見えるし嫌われるもとだとおもうのだが、支持している人も多いようだ。古い日本人のノスタルジーを刺激するのだろう。

日本はかつて東洋では唯一の資本主義陣営の国だった。ライバルがいなかったためヨーロッパやアメリカの工場として繁栄することができた。日本の経済成長が止まった時期は中国が経済成長を始める時期と重なっている。中国が市場経済に組み込まれたために特権的地位を失ってしまったのである。「中国に地位を取られた」と考えている人は多いのではないか。つまり日本人は喪失感を持っていることになる。

日本人は本音では中国や韓国を排除して欧米のにちやほやされていたいい時代を再現したい。だがそうは言えないので「価値観を共有する」などという持って回った言い方をしている。

ノスタルジーを建前で包んだ人たちを説得することはできない。だが、普通に考えるとインド・オーストラリア・アメリカで同盟を組んでも中国を経済市場から締め出すことはできないということはわかる。だから彼らの不安は解消されない。そもそも日本人(の一部)が勝手に考えた価値観は誰にも理解されない。アメリカもインドもオーストラリアも自分たちの興味関心のために動いている。

さらに、そもそも日本はそんなことをする必要はない。日本は債権国でありお金は充分に持っている。日本が閉塞感を感じているとすれば、それはお金が回っていないからである。日本人が解消すべき不安は実はそこにある。

もともとは「価値観は何か」ということから出発した問題なのだが、価値観が印象に起因するので、話がどんどん曖昧になってゆく。彼らが韓国は気に入らないと思えば除外される。そしてこの印象が国家観の基礎になっているので話を聞けば聞くほどわけがわからなくなり不安になってしまう。これが安倍首相が進める憲法改正議論が不安に思える原因だろう。

さらにここに「安倍は戦争をやりたがっている」という曖昧な議論が乗る。この戦争が何なのか誰に聞いてもわからないと思うのだが、わからないがゆえに感情的な反発になる。つまりこちらも「なんか戦争をやりたがっているんじゃないか」という印象論である。私はこう感じた、いやそうじゃないよという人たちがいつまでも言い合いをしているというのが日本の政治議論の根底にはある。喫緊の政治課題も多いということを考えると実に不思議な光景だ。

重要なのは主権者が「どういう体制の国に住みたいのか」ということなのだが、実は日本人には主権者意識はない。なんとなく天皇が元首だと思っていたり、行政府がなんとかしてくれるだろうと考えている。国民が主権者だという意識を持ったとしても、塊になった主権者などどこにもいないし、そもそもTwitterレベルでさえも政治議論はまとまらない。

こうした現状で国会が再開した。安倍首相は憲法改正議論がやりたいようだが、国内の政治状況を見ると小さな不具合が山積しており隠しきれなくなっている。立憲民主党の代表質問を聞いていたのだが統一された筋書きはなく「こういう不祥事があった」ということが繰り返されるのみだった。枝野代表の質問はあたかも遊びに行きたがっている子供に部屋を片付けなさいと叱る母親のようだった。枝野さんにも大局観はなさそうだが、かといって部屋を散らかし放題の「安倍晋三くん」を遊びに行かせたくない気持ちはわかる。

熱狂的な支持があれば憲法改正議論が進むはずだが主権者たちは冷めた視線で政治を眺めており議論が進展する兆しは見えない。抗議もしないが信任して消費を拡大するということもない。それでもなんとなくたいした混乱もなく国が進んで行く。日本は実に不思議な国だ。なんとなく進んではいるのだが、漠然とした不安を抱えている人も多いのではないかと思う。