資本主義社会というカジノでデモは伝染する

香港でデモが暴徒化してからしばらく経った。このデモはいいデモなのか単なる暴徒なのか、中国の影響があるのでは、いや資本主義社会が先導しているのではないかと、様々な議論が生まれた。だがその憶測は急速に無意味化しつつある。デモや暴動が広がり続けているからである。




香港の手法の一部はカタルーニャ地方に飛び火した。独立派の禁固刑に反対した人たちが道路を封鎖して火炎瓶を投げたりしている。空港に行く道や観光名所が封鎖されたとも伝えられている。香港のデモを快く思わない人たちは「香港がデモを輸出した」と揶揄した。つまりインフラを封鎖して外国に影響を知らしめようとした手段が似ているというのである。お気に入りの観光地を失うまで世界は振り向いてくれない。暴動の担い手たちにはそんな気持ちがあるのかもしれない。カタルーニャの民族主義者たちに司法の光は差さないからだ。

香港のデモに対する感情はうっすらと日本の政治事情を反映している。自民党支持者たちは中華人民共和国を嫌っているので香港のデモを応援したりしていた。普段は野党のデモをバカにしているのだからこれは奇妙なことである。自分が守りたい立場がありそのために意見が変わってゆくのである。

ところが、カタルーニャに飛び火するとこれがわからなくなる。香港のデモを応援するならカタルーニャのデモも支持しなければならないが中国という敵はいない。これが政治的な主張に支えられているならそこで煩悶する人がでてきてもよさそうだが、そうはならない。所詮はバラエティ番組を見るようなノリでしかないのだろう。彼らは沈黙してしまった。

ところが今度はまた別の展開があった。

チリの首都サンチアゴで非常事態宣言が出された。地下鉄の運賃値上げに反対したのだという。1月に3円値上げした後今回は5円上がったそうだ。「消費税が上がっても文句を言わない日本人」から見ると「たったこれだけ?」と思うのだがこれが暴徒化した。チリはもともと安定した政治状況で知られるだけに驚きも大きい。さらに経済が極端に悪いというわけでもない。太平洋向けの貿易を頑張ってきた国だからである。OECDの中では先進国に分類される。

面白いことにTwitterでは暴徒を応援するつぶやきが見られた。高校生が運賃ゲートをこじ開けて中に入ったらしい。これが好ましいという人が出てきたのだ。心情的には香港のデモに学生が参加しているのを見て応援を始め、それがサンチアゴの高校生への心情と接続しているのであろう。若い人たちが社会改革をしようとしているということなのだが、やっていることは犯罪である。ここまでくるともう何が正しいのか何が間違っているのかがわからなくなるが、日本にもこうしたラディカルな社会改革にためらいなくシンパシーを表明する人が出始めているというのは確かである。つまりこれまで既存政党のデモの担い手たちの一部が「これは生ぬるいのでは?」と感じ始めている。参議院選挙の時にれいわ新選組を応援していたような人たちも混じっているのかもしれない。

そこに重ねてレバノンのデモの動きが入ってきた。こちらもタイヤを幹線道路で燃やしたりして街を麻痺状態にしようとしたようである。数千人が参加しており負傷者も出ているという。デモ参加者はアラブの春のスローガンなどを叫んでいるとAFPは伝えている。

どうやら、香港の「交通インフラに影響を与える」という手法がSNSなどにのって拡散しているのは間違いがないらしい。原因は表向きはバラバラである。香港は中国本土の政治的影響を懸念しているようだしカタルーニャは独立したがっている。チリとレバノンでは経済的な不安がデモを過激化させているようだが民族問題は関係がなさそうだ。しかしそこには未来への漠然とした不安という共通の問題意識がある。こうしたバラバラの動きがSNSによって結びつけられているという意味では実は日本も例外ではない。

1989年以降共産主義が倒れた時には独裁者という明確な敵がおり政治が民主化することがソリューションだった。ところが30年後の我々の目の前には明確な敵がいない。だから暴動には終わりがない。

考えてみれば資本主義はカジノのようなところである。資本主義社会に生きるということはこのカジノに賭け続けるということである。だが、その勝負は賭ける前からついている。お金のない人や後から勝負に参加する人(つまり若い人たち)ほど巻き上げられる可能性が高まる。

政府は彼らに賭け金を提供し続けなければならないのが、提供すればするほどお金持ちの取り分が増え政府には借金が残る。欧米ではこれが持続可能な領域を超えつつある。日本は破綻を先延ばしにしているが共通の仕組みに乗っているのだからやがては同じような未来が待っている。

共産主義崩壊の30年後である2019年に始まった形のない崩壊は今後しばらくは続くだろう。基本的に資本主義カジノ問題を解決する策はないからである。もうこうなってしまうと「良いデモ・悪いデモ」というような区別は意味を失ってしまう。