皇室外交は政治より一歩先に行っているのかもしれない

新天皇即位礼当日の嵐も過ぎ去り打って変わった晴れになった。いつものようにアメリカのABCニュースを見ていたのだがあいかわらずトランプ大統領の弾劾関係の話から始まりツイートのトラブルの話をしていた。




今回の即位礼にアメリカは大統領・副大統領ともに来日せず代わりに運輸長官がきていた。トランプ大統領は儀礼そのものに興味がないのだろうがペンス副大統領もウクライナ問題で忙しかったと報じられた。アメリカにはお祝い事に参加する余裕はもうない。

トルコのエルドアン大統領はプーチン大統領と会っていたそうである。アメリカが撤退した後にロシアが入ったのだ。トルコもロシアもシリアの戦争を巡りお祝いどころではなかったのだろう。当のシリアは国が揉めているという理由でそもそも招待されなかったそうだ。

一方ヨーロッパは国王や大統領が来ている国が多かった。ヨーロッパの余裕を感じさせる話とも言えるし、日本の皇室がヨーロッパとの関係を重要視してきた表れとも言えるだろう。英語ができる新世代の天皇と皇后が皇室外交を展開する意味は大きいだろう。日本人は少なくともあと一世代か二世代は安心してそれを見ていられる。

今回の即位の礼は国内政治的には「憲法の規定」を守った微妙なやり方が取られていた。天皇は明確に規定された元首ではないので高いところに立って参加者を見下ろすようなことはなかった。本来は宮内庁の職員を臣下に見立てて石が敷き詰められた中庭に集める予定だったようだが雨でそれも叶わない。国内外からの賓客はガラス越しのショールームのようなところに入れられて、古式ゆかしい即位ショーを観察するというような感じになっていた。

もともと中国に対して「国として成り立っている」ということを見せるために行われてきたショーの要素が強い。もともと視線の先には中国があったが、明治維新ではそれがヨーロッパに変わった。

こうした和様装束を天皇が即位式で着用するようになったのは、実は比較的新しく、明治天皇以降のことだ。江戸時代までの長い期間、即位式は中国文化を色濃く反映した古代からの形式がそのまま受け継がれていたため、「礼服(らいふく)」という中国風の装束や冠が用いられていた。

歴史伝える「即位礼正殿の儀」

Quoraで確認したところ産経新聞は単純化しすぎており誤解が生じているという指摘もあった。だが、明治政府が近代化を意識して「脱中華」をアピールしたかったという本筋はあながち間違っていないと思われる。西洋式の晩餐会という別のショーも入るようになった。このため今回も天皇・皇后の着替えはかなり煩雑で大変なものだったようだ。

もともとあった神事・和式に再解釈された中国由来の儀式や服装があり、そこに西洋風の晩餐会が加わっているのだが、西洋風とも中華風とも言えない何かになっている。世界のどこにもないスタイルである。面白いことに皇室はその時々の最先端を真っ先に取り入れるのである。

日本人がこうした柔軟性を持てるのは古くからある伝統は変わらないという自信が裏打ちになっているからだろう。新しいものを取り入れても本質が変わるわけではないという自信がある時、保守は最先端の様式を取り入れることができる。変化を拒否する保守は保守ではない。それは単なる原理主義に過ぎないのである。

最先端が反映されるからこそ、日本の保守の根幹である皇室の儀礼にアメリカが参加しなかったことには特別の意味があるのかもしれない。そのことを実感する記事を見つけた。

ニューヨークタイムズとワシントンポストが日本の前近代性を揶揄する内容の新聞を日本人が紹介している「即位の礼「日本はもうしませんでした?」「安倍超保守政権が支持を得るための儀式」米2大紙は皮肉たっぷり」というものである。

筆者は「安倍政権や皇室、そして日本の国民は、こんな指摘をどう受け止めるのだろうか?」と意味ありげに結んでいるのだが、答えは「受け止めない」だろう。その場に存在感がない人たちに何を言われても別になんとも思えない。

少し前なら「民主主義大国のアメリカからこういうことを言われると体裁が悪い」と思ったのかもしれないのだが「あの失礼な」トランプ大統領を生み出した国の新聞に日本は近代的でないと書かれてもそれほど悔しくもない。我々の意識はそこまで変わってしまっている。日本はヨーロッパと同じように伝統と現代政治を折り合わせている国であり、アメリカはもうそれに参加できる余裕がない。

安倍首相の変な万歳さえなければもっと喜べたのかなあとも思う。安倍首相は明らかに天皇権威を利用したがっているしアメリカの威光にも依存しているのだろう。だが安倍首相の意図はあの万歳程度にしか響かない。祝宴はそれなしでも進んで行くのである。

いずれにせよ政治勢力は日米同盟にしがみつきたいと考え続けるかもしれないのだが、新しい時代は多分それとは違ったものになるのだろう。実は皇室外交のほうが政治より一歩先んじているかもしれないのである。