「イートイン脱税」という些細な反倫理的行為を裁く愚かなフリーライダー達について考える

イートイン脱税という言葉があるそうだ。これがけしからんという通報が相次ぎイートイン施設を閉鎖するところも出てきたとNHKが伝えている。税制の改悪によってイートインスペースという準公共的な場所がなくなりつつあるということだ。国税庁は「店側がちゃんと管理すればいい話だ」と言っているのだが、「2%ぶんトクをする」というのが許せないという人が多いのだろう。彼らの正義はその愚かさゆえに公共空間を奪っている。




日本人は見かけ上の平等に過剰にこだわる。また、自分が法律を守っているという自信が他人を罰するライセンスになる。村人はすべて警察官の役割を担っていいという一億相互監視社会だ。もともとこうした監視装置は公共への投資を促進していたのだろうが、イートイン脱税を裁いても公共投資は促進されない。実際のフリーライドはもっと別のところにあるからだ。

別のNHKのニュースは介護保険の見直しについて伝えていた。こうしたスキームは常に「足りない」状態に置かれ結果的に膨張するという不思議な性格を持っている。そしてそれには理由がある。

これを理解するために使われるのがフリーライディング理論だ。フリーライディグ理論は公共財と誰でも利用できる財にタダ乗りする人たちについての考察だ。自分は持ち出しをしないでみんなのために提供されているものを利用すればトクになる。この持ち出しをしないことを「タダ乗り(フリーライディング)」と言っているのである。

Wikipediaにはフリーライディングを防ぐためには国が公共財を提供すればいいと書いている。税金で広く公平に負担するからフリーライダーが防げるという考え方だ。議会が税金の使い道を厳しくチェックしているならフリーライディングを防ぐことができる。

ところが日本ではこれがうまく行かない。例えば保育園は作っても作っても不足している。これはフリーライダーによってもたらされる「正の外部性」効果によるものだ。作れば作るほど「働きに出られる」お母さんが増える。するとそのお母さんの安い労働力をあてにした企業が増える。どんどん需要が掘り起こされ、持続できなくなるまで膨らみ続ける。そして、その間いつも「ちょっと足りない」という状態が続く。つまり日本の保育無料化は多分間違った政策なのだ。

この場合一義的な利益享受者はお母さんなので「お母さんがフリーライダー化」していると言える。そして実際に働くお母さんがバッシングされたりする。働くお母さんを攻撃するのはかつて働くことを諦めたお母さん達だ。こうしてお母さん同士がお互いに潰しあっている背後には福利厚生を負担しなくても済む企業がある。働きたいという女性はワガママだと批判されるが企業がワガママだと批判がされることはほとんどない。彼女達の視界には企業の存在は見えない。

また健康保険も不足が叫ばれるスキームである。おじいちゃんおばあちゃんがグチ半分で「腰が痛い」というと「湿布でも出しましょうか」ということになる。この場合フリーライダーはおじいちゃんとおばあちゃんだが、実際にはお医者さんもフリーライダーだ。処方箋に一行加えるだけで医療行為をしたということになるので「楽に稼げる」からである。

隠れたフリーライダーはお医者さんなのだが非難されるのはおじいちゃんとおばあちゃんであり、非難するのは制度の支え手である。支え手はやがて受益者になり同じような批判にさらされることになるだろう。正の外部性が働く世界ではなぜだか常に供給が不足するからである。市販薬を健康保険から除外すれば2000億円が浮くそうなのだが、これによって救われるだろう人よりもおじいちゃんおばあちゃんから湿布を取り上げるのは如何なものかという道徳的議論が先行する。

日本人は非難することでフリーライダーを未然に排除してきた。ところが、お母さんやおじいちゃんおばあちゃんを非難しても問題は解決しない。だから、常に不足と破綻の問題にさらされることになる。冷静な議論が必要であり、道徳的には防げない問題だ。

NHKが伝えるように介護保険でも同じような構造が出来ているのだろう。改革を検討すると常に不足にさらされている介護が必要な人たちをフリーライダー扱いすることになってしまうのだが、実際には隠れたフリーライダーがどこかにいるはずなのである。

この議論を難しくしているもう一つの要因は「みんなフリーライダーになっている」という現実である。ここで見てきたフリーライダーは働きたいお母さん、将来に不安がある高齢者、介護が必要な人たち、なんとか生きて行こうとしている中小企業の経営者、立派なお医者さんである。彼らにはシステムを食い物にしているという実感はないだろう。

つまり「誰かが悪い」と糾弾してその人達から取り上げるという行為は問題の解決にはつながらない。そして、費用が膨らむと消費税から取ろうということになる。これが最も簡単なソリューションだからである。

そしてこの消費税制度が、2%の「脱税」を生んだ。その結果として手軽な庶民の憩いの場であるイートインスペースがなくなってしまうのだ。彼らもまたレストランでは食事ができなくなった庶民でありイートインスペースは彼らなりの生活防衛だったはずである。もっとも彼らの多くは自分の車などのパーソナルスペースに逃げ場を見つけることになるのだろう。イートインスペースという企業が準備した準公共的な場所は正義によって奪われる。

本来は公共投資を促進するはずの正義が公共財を奪い。こうしたダウンスパイラルはまさに「真綿で首を絞めている」という表現がふさわしいが、実は真綿で首を絞めているのは一人ひとりの正義の行動の結果なのである。これが盲目的な道徳と正義の恐ろしさなのだ。