イラクの首相が辞任をする背景

世界中に広がっている暴動はイラクにもやってきたようだ。暴動は止まらなくなりイラン領事館が襲撃された挙句首相が辞意を表明した。




Quoraで「このニュースがわからない」という質問があったので背景を調べてみた。イラク首相とイランのつながりがわからないというのだ。

この二つに共通するのはシーア派である。中東分析によく出てくるイスラム教の宗派の名前である。

イラクにはスンニ派とシーア派が暮らしていた。南部にはシーア派が多くイランまでつながっている。ところがここにイギリスとフランスが入ってきて勝手に国境線を引いた。このためイラクは「民族国家」ではなくスンニ・シーア・クルドの人たちが共存する国家ができた。

こうした国家を統治するためには求心力を持った宗教的なリーダーが必要である。イラクが迎え入れたハシーム王家はスンニ派の名家である。血統は最終的にはムハンマドの娘にたどり着くそうである。だが、結局ハシーム家は統治に失敗しイラクは共和制国家になった。最終的にバアス党の独裁になるのだが、バアス党は「アラブ社会主義」という独特の制度を志向する政党だったそうだ。この時点で脱宗派化が図られたのだ。

バアス党は脱宗教によるアラブ国家を目指したのでこの体制のもとではスンニ派もシーア派も共存できていたことになるが、社会主義体制は限られた指導者層の独裁に走ることが多い。同じバアス党のシリアとも仲違いして独自路線を走るようになる。フセイン大統領はシーア派のイランを敵として認定することで国内外を掌握しようとしたようだ。あるいはまとまらない各勢力を分断統治することで統治に利用していた可能性もある。

同じバアス党のシリアでも「分断」は統治装置として使われている。産経新聞のシリア分析によると少数派のシーア派が多数のスンニ派がのさばるよりはアサド政権の方がマシだと感じていたというようなことを書いている。このまとまらない勢力が外国を頼みすることで国際紛争としてのシリア内戦が長期化することになった。

一方、イラクでフセイン政権が打倒されると今度は親イランの政策がとられるようになる。現在の大統領はクルド人であり今回辞任が噂されている首相はシーア派である。暴動が起きている南部はシーア派が多い地域なので、かつては主流派だったのに今は肩身の狭い思いをしているだろうスンニ派の苛立ちが強まっていることも予想できる。

中東から中央アジアについてみると「民族」という概念があまり発達していないことがわかる。例えばウイグルとウズベクは同じような言語を話す。しかし歴史的にはイランにつながる国家と中国につながる国家に別れて住んでいる。さらに白人のような顔つきの人も東洋系の顔つきの人が混在しているようだ。こうした人たちは多分放っておけば「盆地の外のことは知らないが自分たちは平和に暮らしてゆこう」ということになっていたはずである。無理に民族国家の枠組みに取り込もうとするとエスニッククレンジングだとかテロだとか内戦だというようなことになってしまう。彼らの一部はヨーロッパに行っても孤立する。ロンドンでまたテロが起きたが、おそらく顔の色が白人ではなかったので早々にテロと断定されてしまったのだろう。

言語・国家・宗教が極めて曖昧な人たちを理解するのは我々日本人には難しいわけだが、ヨーロッパのような民族国家の伝統を持っているところからも把握が難しい。さらにアメリカのように自由という理念で一定の秩序を作る国家や中国のような理念秩序国家からも理解されにくい。こうした現代国家の秩序に馴染まないのが悪いということもできるし、彼らを近代国家体制に組み込もうとしているほうが悪いという言い方もできる。

いずれにせよ、まとまるつもりがない人たちを無理に一つの地域にまとめているのだから、生活が苦しくなれば当然暴動にまで発展するのは当然である。暴動を起こした人たちはイランが支援しているからアーディル・アブドルマフディ政権のような無能な政権が存続しているのだと理解しているようである。

さて、中東についてみていると、次第に日本についての見方が変わってくる。日本人は政治に関心を持たないと普段嘆くような記事を書いている。しかし政治に関心を持たないということは生き残りをかけた政治的闘争に興味を持たないということでもある。そんなことをする必要がないのだ。背景には多分分厚い「日本文化」というものがあり、人工的な政治や宗派という媒介を通さなくてもなんとか日々の暮らしが維持されるという安心感があるのだろう。島国だからこそ変化も起きないが党派対立とも無縁でいられる。日本に暮らしているとこういう不思議な安心感がある。