日本人はIT時代の読解力を持っていない

テレビで「日本人の読解力が急落して文部科学省が重く受け止めている」というようなニュースをやっていた。日本人の日本語力が急に悪化するわけはないのだからテストの内容が変わったんだろうと思った。つまり騒ぎすぎだと思ったのである。




これについてQuoraでいろいろ聞きまわってみて、日本人に議論ができない理由がよくわかった。そして、おそらくそれが改善することもないだろう。事態は極めて深刻だが問題を深く受け止める人はおそらく多くない。原因は「自分で考える教育」を見たことも聞いたこともないという点にある。

読解力調査では、インターネットで情報が行き交う現状を反映し、ブログなどを読んで解答を選んだり記述したりする内容が出された。文科省によると、日本の生徒は、書いてある内容を理解する力は安定して高かったが、文章の中から必要な情報を探し出す問題が苦手だった。情報が正しいかを評価したり、根拠を示して自分の考えを説明する問題も低迷した。

日本の15歳「読解力」15位に後退 デジタル活用進まず

教科書は読めるがネットは読めないということらしい。つまり書いてある内容をそのまま覚えることはできるのだが、それを応用することができないのである。急落については端的に指摘が出ているので、これをそのまま読み解けばいい。

OECDのシュライヒャー教育・スキル局長は「日本の生徒はデジタル時代の複雑な文章を読むのに慣れていない」とみる。

日本の15歳「読解力」15位に後退 デジタル活用進まず

ここでいう複雑な文章とは何だろうか。それは教科書のない世界のことである。教科書がないので自分で情報を取捨選択して刈り込む必要がある。そしてそれを人と共有しなければならない。日本人はその基礎となる刈り込みそのものができないのである。

教科書がないにもかかわらずSNSが発達しているので情報が飛び交っている。情報の取捨選択ができないということは教科書が作れないということなのだが、なぜか巷には「俺が言っていることが正解だ」と叫ぶ人が大勢いる。だがそれを共有しようという人は誰もいない。自分の教科書こそが正しいと主張し、相手の言い分を聞かないのである。おそらく日本人は誰か外国人が新しい正解を提示するまでこの教科書闘争を続けることだろう。ことによったら数世代の間そんな状況が続くかもしれない。

日経の記事は明後日の方向に行っている。シュライヒャー教育・スキル局長の言葉をスルーして「ITを活用ができていない」と言っているのだ。これは日経新聞が経済界の意向を忖度しているからだろう。先行して「学校パソコン、1人1台に」と言っている。家庭用パソコンで負けてしまったので世論の力を使って学校に売り込みたいのだろう。

産経新聞はさらに深刻だ。ITではなく本を読まないのがいけないのではという結論にしてしまっている。道徳的に「本を読む=賢い」というレベルに落とさなければ産経新聞の読者への「わかりみ」が深くならないのかもしれない。

新聞であっても日本人は情報の刈り込みができないのだから質問サイトで聞き回ったくらいで刈り込み賢者に会えるはずはない。この場合は「取捨選択ができないことが問題だ」と具体的な指摘が提示されているのだが「実際に触れるもの」を媒介させないと思考ができないのである。おそらく日本が製造業からサービス業に移行できなかったのは思考力に限界があるからなのだとさえ思ってしまう。

つまり、日本人の読解力のなさというのは子供に限ったことではない。Twitterには因果関係がめちゃくちゃな政権批判が並んでいる。情報は豊富にあるのだがここから必要な情報を「たとえ」や「実体の媒介」なしに抜き出せない。一般有権者だけでなくマスコミも政治家もこのような調子である。

問題意識を持って質問をするととてもわかりにくい長い文章が返ってくることがある。常々「何かが足りない」と感じていたのだが、考え直してみると彼らは教科書を書いているということがわかる。日本人は問題意識を共有できないので、人に何かを教える時に「全般的に使えるような」教科書を書く。万人向けだが誰にも帯に短し襷に長しになってしまうのである。

例えば歴史で重要なのはそこからどんな教訓を学ぶかということなのだが日本人はそれができない。だから年表を覚えることを歴史を学ぶことだと思い込んでしまう。一事が万事そんな具合だ。

全く訓練を受けていない人は印象に流れてしまうし専門家は教科書を書きたがる。問題意識を抽出して概念的なビジョンを作って共有ができない。今までもしてこなかったしこれからもやらないだろう。そしてそれは実は「訓練された人」ほど重症なのだ。つまり教育者が一番危ないという厄介な状況になっている。

日本人がバカだからということではなく「考えて掻い摘む」教育を見たことがないからだろう。像やキリンを口だけで説明できないのと同じように日本人に「考えさせる教育」は説明できない。

このことから、豊富にある情報の中から必要なものを抽出する「IT時代の読解力」の基礎になっているのは「問題意識」だということがわかる。これはパソコンを1人1台あてがってもどうこうなる問題ではないだろうし、英語教育を施しても使い物になる英語は身につかないだろう。道具立の問題ではない。考え方が違うのだ。

今回はいろいろ聞きまわってみて「日本人には理解が不可能なんだろうな」ということがわかった。説明不能なのだから「どうやったら成長に結びつく思考が身につくだろうか」などといちいち考察するのは時間の無駄だと思った。適当に相槌を打っておく方が楽である。

よく日本人は議論ができないなどというのだが、実際にはそれ以前の問題なのかもしれない。