安倍政権はなぜ未来に投資しないのか – 冬には何をなすべきかを忘れてしまった現在の「保守」思想

先日、安倍首相に関連する質問をしたら体制批判だと思われたらしい。それに反対する回答が同世代と思われる人たちからいくつかついた。ところがよく話を聞いてみると社会に対する不満は持っているらしい。これを考えていて「終わり」に恐怖心を持っている人が多いんだろうなあと思った。




政権批判が嫌われるようになったのは安倍政権に入ってからの特徴だが、違和感もある。彼らも必ずしも社会には満足していないのである。だが、それが政権批判に結びつくと脊髄反射的に抑えてしまいたくなるらしい。世の中は変えたいと思っているが、それが体制の崩壊につながるのは怖いと考えていることになる。

バブル世代は世の中の仕組みが出来上がったときに社会人になっている。つまり真夏に地上に出た感じである。そのあと社会の衰退が始まり「どれくらい今の制度を延命できるのか」ということを一生懸命に考えてきた。すでにやり直しがきく年齢でもなくなっており、現在の社会体制の終わりというのが人生の終わりに直結するという恐怖心がある。つまり秋から冬に向かっているという実感があるが、そのあとが見えないのだ。だから冬に何をすべきかもわからない。歴史観としては始まりがあって終わりがあるという「長方形に伸びた」箱型の感覚を持っているのだろう。

東洋思想には終わりは次のサイクルへの入り口だという考え方がある。つまり東洋思想では歴史は円環していると考えられている。そして、この円環は単純なサイクルではない。非連続的な期間のある円環だ。それが冬なのである。

例えば戌の戌は滅と形が似ている。これは偶然ではなく物事が滅ぶという意味があるのだそうだ。さらに亥というのは種の形である。物事が閉じ込められており外に出られないという状態である。十二支は植物から学んだ非連続性のある円環に基づいた歴史観で構成されている。年賀状にイノシシやネズミの絵を描く人はそれを忘れいているのだ。

戦後日本は科学的・近代的歴史観を西洋から持ち込み東洋哲学を捨て去った。これは東洋思想が戦前の旧体制と結びついていると考えられてきたからだろう。しかし、戦前の影響はわずかに残っていた。Wikipediaの安岡正篤の項目を読むと、陽明学を含む学問を学んだ安岡が福田康夫や大平正芳首相の頃までは首相の指南役としても活躍していたことがわかる。だが安岡も右翼との関係が語られたり政界の黒幕だと噂されることもあった。決して表には出てこれないが、裏では東洋史観が引き継がれてきたというのが昭和の実情だったことになる。平成に入り安岡の名前はスピリチュアルと占いによってのみ語られるようになり、そして忘れ去られてしまった。

もちろん植物に学んだ円環思想は東洋では中国だけでなく日本にも見られる。天皇の衣服の色は正午の太陽の色だし、新嘗祭も今年の稲を奉納して来年の稲の生育を願うためには「人間が神に祈る必要がある」と考えるところから始まっているのだろう。

さらに西洋にもキリスト教の終末史観(これは長方形の歴史だ)の裏に円環する歴史観が潜んでいるようだ。この時期はクリスマスのシーズンだが、クリスマスの起源はローマにあった宗教の冬至祭であるということが知られている。遅れてキリスト教を受容した北欧では冬至祭(ユール)の名前でも呼ばれるそうだ。Quoraで聞いたところ、キリストの肉体の誕生日ではなく精神的な死と復活を祝ったものであると解説する人もいた。意外とこうした信仰が今も生きている。

いろいろ調べていて、なぜ戦後の首相に指南をした人が朱子学者ではなく陽明学者だったのかと思った。これについて教えてくれる人はQuoraでは現れなかったが、江戸時代に朱子学が好まれており維新・革命思想として陽明学が明治期に開花したという大まかな流れがあるようだ。つまり陽明学は明治の思想だったわけで、それが昭和になってキリスト教的科学史観と民主主義によって置き換えられたということなのかもしれない。

現在の保守思想からは朱子学も陽明学も消えており、天皇家は長く続いているから素晴らしいのだとかY染色体の乗り物だといったとんちんかんな主張が見られる。戦後の保守の主張を観察するとよくあることだが、実は科学史観に毒されて本来の思想を失っているのである。天皇家が毎年非連続的な死と再生の祭祀を行い、伊勢神宮が20年ごとに神宮を建て替えるところから考えると噴飯物の議論なのだが、おそらく戦後の保守の担い手が中国哲学に興味を持たなくなっていることの表れなのではないだろうかなどと思ってしまう。

戦後のある一定の時期から首相はこうした「帝王学」を学ばなくなった。これが保守の劣化につながっていることは間違いがなさそうだ。すべてのシステムは絶え間ない変化にさらされており未来永劫続くことはない。だからこそ非連続な冬に向けて備えなければならない。安倍政権にはこうした未来への投資という視点が全くない。つまり冬を備えない内閣なのだ。そして現在の保守思想はこうした劣化を全く気にしない。彼らもまた議論に勝つことばかりを考えて保守思想について学ぼうとしないからだろう。

岸信介は安岡とつながりがあったようだが、孫の安倍晋三が陽明学的な知恵を持っているようには思われない。おそらくは父系で伝統を受け継いでいないのだろう。単に母親経由で「岸信介の系譜を継ぐべきだ」などと思い込んでいるだけのように思える。安倍家というのはある意味父親不在の家だったんだろうなあと思う。

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