イラン緊張緩和のために何ができるのかという視点

ソレイマニ司令官が殺害されてしばらく経った。この件に関する日本の対応を見ていると、日本と世界の意識の違いが際立っているのがわかる。状況を動かすものと状況に動かされて後付けの理屈をつけるものがいる。日本はおそらく後者であろう。そしてこれが日本人が絶えず不安を抱える理由になっている。

ドイツ軍がイラク撤退に向けて動いているようだ。イラクはイランとアメリカ対立の最前線になっている。このままアメリカに居座られると自分たちが再び戦争状態に巻き込まれかねないという懸念がある。そこで有志連合に出て行くように議会が求めている。イラクがそう決めてしまえばドイツが駐留する理由がなくなる。頑張って居座ってもアメリカとイランの対立に巻き込まれるだけである。あらかじめ意思を明確にするというヨーロッパの姿勢が見える。




BBCもこの緊張緩和のために何ができるのかという視点を持っていたようだ。緊張緩和に向けて「何ができるか」という問いを持っている。巻き込まれ懸念から色々心配しているというよりは一段上の当事者意識を持っていると考えられる。

BBCのこの記事は「国際社会はまとまらないだろう」と言っている。国連も例外ではない。つまり、解決策が提示されたわけではない。にもかかわらず「解決策を作るべきだ」と考えていることになる。ここが日本のマスコミと決定的に異なる。

日本のマスコミはそもそも日本政治が世界の動向に影響を与えられるとは考えていない。それどころかまずいことがあったらそこから逃げたいと考えている。日本人が情報収集するのは「巻き込まれないようにする」ためである。今回のアメリカ・イランの緊張を受けて日本のマスコミは盛んに「ボールはアメリカにあり、アメリカ次第だ」と繰り返していた。日本人には当事者意識がない。

ところがこの当事者意識を持っているのはヨーロッパだけではなかった。イランはABCニュースの記者を呼び外務大臣が英語でインタビューに応じていた。アメリカは報復されることになるが対象になっているのはアメリカ人ではなく政権だというようなことを言っていた。イランもまた決断し説明している。

周囲が分析し決断し説明している中、安倍首相の「できれば中東に行きたい」という宣言がどこか奇妙なものに感じられる。実は決断したわけではなく前から決まっていたようで、当初は「なんとか訪問できる」と思っていたようだ。結局、中東行きはキャンセルされた。自分でいくのをやめたのか「今は相手できない」と言われたのかはわからない。安倍首相がこの件について一切の説明ができないのは「単に相手の出方を見て」自分の格好がつくように後付けの説明を加えているからだろう。結局いつも誰かの顔色を伺うことになり不安が払拭できない。

「中東情勢に憂慮している」と言っているが「ではどんな貢献をするんだ」と聞かれれば、おそらく何も答えられないだろう。幸いなことに日本の記者は安倍首相が答えられない質問をすることはないだろう。日本人が抱えている「どうしていいかわからない」という不安が表出してしまうだろうし、今の日本人はそれに耐えられないだろう。

よくリーダーシップというのだが、リーダーシップは単に偉そうに振舞うだけではだめで、相手の考え方を分析して理解しなければならないということがわかる。その上で積極的に望ましい方向に向けて相手を誘導するための努力をしなければならない。そのためには普段からある程度の透明性を持って信頼を高めておく必要がある。

ところがここにもう一つ別の類型を見つけた。それがトランプ大統領である。幾つかの報道を総合すると「これは選ばないだろう」という無茶なアイディアを選択し、報復におののき、「経済制裁をする」と宣言したようだ。そして「後の面倒はNATOに見させる」と言っているらしい。一貫性のなさと支離滅裂な主張が、イランの冷静な反応と際立ってある種の恐ろしさを感じさせる対比になっている。

トランプ氏は、自身の経済政策により中東の石油への米国の依存度が低下し、中東での米政府の「戦略上の優先事項」が変わったと説明。「私はきょう、北大西洋条約機構(NATO)に対し、中東のプロセスへの関与を大幅に深めるよう要請する」と述べた。

トランプ氏「イランは身を引いている」 攻撃で死者出ず

日本の安倍首相はおそらく「お友達マネジメント」に失敗し統治意欲を失っている。このため後付けの理由探しすらしなくなってしまい「問題はないすべてうまくいっている」と主張するようになっている。過大な自己評価だけは残っており偉大な自分を夢想しながらお友達との会食に引きこもる。ところがトランプ大統領はその自己評価の大きさを外に拡大させ続けていて、その場その場の言い訳を続けているのである。

どちらも現実との乖離を伴い周囲を不安にさせるのだが、その不安がどこから来たのかをあれこれ考えるのは楽しい。おそらく日本人は過大な自己評価を内面化させてゆき現実との不調和を埋めているのだろう。そしてアメリカ人は過大な自己評価を外面化させ周囲を巻き込んでいるのだ。

これを解消するためには自ら考えて行動しそれを説明してゆくしかない。

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