7年ぶりに感じる政治的議論と潮目の変化

先日来、ブログのトピックを揺らしている。ちょっとずつ新しいものを取り入れたいのだが需要がどこにあるのかよくわからないからだ。「読まれている」という実感が出てきて欲が出てきたのかもしれない。これまでは政府批判系の記事が多かったのだがそれをやめて別の記事を書いている。「やっぱり批判記事が読みたい人が多いのだ」ということを確認したかったのだがどうやら外れつつある。却って閲覧数が上がっているのである。




7年前に安倍政権ができた時には「民主党の言いがかりの悲観論には根拠がなく、もうそんなことは考えなくてもいい」という空気があった。さらにその3年前には「官僚さえ叩けばすべての問題は解決する」という民主党政権があった。だが、閲覧数や人気コンテンツを見る限りにおいては「情報をもう一度整理したい」という需要があるようだ。こういう空気の変化はなかなかすじみちだった説明が難しい。安倍政権関連のニュースを見ていても地方紙を中心に批判的なものが目立つようになってきた。地方の景気はかなり悪いのではないかと思える。

安倍政権のニュース

いくか違う事例を挙げながら「風向きの変化」についてその意味づけを考えて行きたい。

第一に基本的な情報をまとめる記事には需要が高いようだ。民主主義とは何かとか、日本で政策ベースの政党ができないのはなぜかとか、アメリカの民主党と共和党はどう違うのかとかそういうレベルの話である。これは閲覧数を見ているとよくわかる。他人の批評ではなく内面的な理解に少しづつ向かい始めているように思える。最近はニュース記事をまとめて表示してくれるサービス(上にある安倍政権の記事リンクもその一つである)ができたので、そんなものも間に挟みながら記事を書くようになってきている。

一般紙のニュースはある程度の知識があることを前提にしているのだが、最近の読者は実はそうした知識を持っていない。特に日本の政局報道には政策的な軸がなく経緯によってのみ成り立っているのでわかりにくいという事情がある。さらに外国からのニュースがダイレクトで入ってくることも多くなっている。SNSで海外ニュースがそのまま入ってくるなどということは民主党政権ができてから崩壊するまでの間にはなかったことだ。

バブル世代の人は東西冷戦と55年体制という核を持っていた。これが崩れてきたなという理解があるはずだ。全てを冷戦構造で理解してしまう(つまり安易に右翼・左翼などと言ってしまう)というデメリットはあるものの、このフィルターを通せばたいていのことは説明できる。だから新聞もあえてこのあたりは解説しない。ところがこれが崩れてから政治に触れた人はそもそもこの核がない。さらに安倍政権は自由主義政党の「成れの果て」なので安倍政権を通じて保守を理解しようとすると説明がつかないことがたくさん出てくる。そしてこうしたズレを埋めるメディアは存在しない。

こうした基礎知識はおそらくブログで書くよりもどこかで連載記事をまとめた方が読みやすいだろうなあと思うが、少なくとも需要は存在する。

アメリカは一歩先を進んでいるらしい。政治的宣伝にうんざりしている人たちがたくさんいるようだ。格差が拡大するなかで、あまりにも一方的な宣伝が横行したからだと思う。

Twitterは政治広告を禁止した。Facebookは政治広告を表示させないようにするオプションを準備しているという。 

Facebookはアメリカ大統領選挙でのロシア疑惑で渦中に巻き込まれた経験がある。広告としての政治宣伝は魅力的だが議論には巻き込まれたくない。そこで「中身はチェックしないから嫌な人は見ないでくれ」という方針で乗り切るようだ。

「政治や社会問題に関連する広告を目にする機会を減らしたいというのは、ユーザーから共通して寄せられてきた要望だった。ついては、我々は政治や社会問題に関連する広告の表示を減らす機能を、フェイスブックやインスタグラム(Instagram)に追加することにした。今回の機能は、ユーザーが関心事から削除することで、任意のトピックに関する広告を減らすAd Preference機能を元に作られた」とフェイスブックのプロダクトマネージャー、ロブ・ラーダン(Rob Leathern)氏は説明している。

フェイスブックが政治広告の表示を減らす機能追加…事実確認しない方針は維持

これで社会的に通るかどうかは微妙なところだが、すくなくとも「もう宣伝に踊らされるのはうんざりだ」と思っている人は多いのだろうと思う。

日本では選挙がらみの宣伝はかなり抑制されている。憲法改正を巡ってCM議論はあるもののおそらく大量の広告が問題になるのはこのあとずっと先だろう。にもかかわらず日本人もいわゆる従来型の政治がらみの話にはうんざりしているように思える。おそらく基本的な知識がないままで情報が氾濫すれば溺れるだろうという意識を持っている人も多いのではないだろうか。

さらに、現実の政治への期待はかつてないほど低下している。今回の施政方針演説後のマスコミの対応をみると「首相の演説の中身」はさほど触れられておらず、代わりにいつ解散があるかとかIR関連の疑惑はどうするのかというような話ばかりが取り上げられたようだ。しかし、それすらもそれほど大きな扱いではなかった。人々は政局報道に飽きている。

立憲民主党と国民民主党が一体になれない今、有権者に向けて何かを訴えているのはれいわ新選組の山本太郎くらいだがこの人は今は議員ではない。

NHKや時事通信などがまとめた施政方針演説の中身を見ると、施政方針演説は政府が考えるドリームメニューをまとめただけのものであることがわかる。一貫性がない上に、さまざまな料理の名前だけが右から左に流れて行く。伊藤惇夫解説によると「これまではなんとなく目新しい新機軸を打ち出して乗り切ってきたがそれもやらなくなった」そうだ。これまでもごまかしだったのだがそれすら疲れてやめてしまったらしい。

安倍首相は演説こそ勇ましく聞こえたが、その後の表情はとても疲れているように見えた。NHKの中継は安倍首相が俯くところを容赦なく捉える。言葉が力強ければ力強いほど虚しく聞こえる。

7年前、「日本はもう成長できない」という「諦めの壁」に対して(アベノミクスの)三本の矢を力強く放った。わが国はもはや、かつての日本ではない。「諦めの壁」は完全に打ち破ることができた。

安倍首相の施政方針演説要旨

この安倍語の意味はおそらく次のような意味だろう。

7年間いろいろやってみたが何も効果がなかった。三本の矢は折れた。我が政権はもはやかつての政権ではない。諦めの壁に阻まれてしまったのだ。

この冷めた視線・国会審議の見通しの悪さ・安倍首相の挫折感が今国会の特徴になっているようだ。都知事選とオリンピックを控えているので国会会期の延長はできない。足元にも問題が山積しておりもはやオリンピックまでどう逃げ切れるかだけが争点になってゆくに違いない。

一方的で偏った宣伝がSNSを飛び交い儀式的な対応ばかりが目立つ中おそらく政治的な不透明さを感じている人が多いのではないかと思う。批判する野党に期待しても無駄だった。自民党も結局はIRなどで私服が肥やしたい。おそらくはそうとう「お腹が空いた」議員が多いのだろう。だったらもう自分たちで考えないとどうしようもない。

考えてみると「情報」は多いが、それをどう受け止めるかというレクチャーを受けた経験はない。学校や職場ではそもそも政治的な話はできない。SNSには妙に自信たっぷりな意見が溢れているが根拠はよくわからない。

おそらく根拠のない政府批判や弱者いじりのような投稿にはこれまで通りの需要があるのだろうが「いい加減にちゃんとした情報が欲しい」という需要も少しずつではあるが出てきているのではないかと思う。我々が「問題を無視し続けてもそれが消え去ることはない」と気がつくまで、少なくとも7年民主党政権を入れると10年もの時間が必要だったのである。

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