安倍政権のマスク思考が作り出した人災

Quoraのパートナープログラムというのに参加している。質問(回答ではない)にお金が支払われるという仕組みなのだが、最近報酬が1/10になった。同時にQuora本社ではリストラも行われたので何らかの支出抑制策が取られたものと思われる。そこで打率をあげないと稼げなくなってしまった。回答がつかないものにはお金が支払われない仕組みになっているので、回答がつきやすい質問を考えなければならない。これに取り組んでいるうちに「マスク思考」という概念を思いついた。




まず「役に立つ質問」には回答がつきにくい。日本人は教科書を丸暗記する教育を12年うけるので自分の頭で考えることはできなくなっている人が多い。自分で考える力を殺すのが日本式教育であるといえる。だからWikipedia以上の情報はそうそう得られない。

さらに日本人は公共に役に立つ貢献をしようという人は少ない。アメリカのハイクラスの人たちは「社会貢献」を誇示する傾向があるが、日本にはそういう人はいない。つまり、日本には社会をリードするような階層の人はいないということである。よく「臣民型」などというのだが、よく考えてみると臣民はいても君主のいない社会である。

誰も何も考えないで社会貢献もしないという構造なので「社会に役に立つ」回答はつかないのだが、いろいろやっているうちに「これは釣れるぞ」というものが見つかった。野党の気分になって「今の社会は間違っている、大変だ大変だ」というと「いやそんなことはない考えすぎである」という回答がつく。つまり抑制する回答は付くのである。

おそらくこれをさらにあおると「炎上」が起きて抑止的なコメントの大合唱になるのだろうが気が小さいのでそこまでの実験はできずにいる。消火は割と簡単だ。正解をまぶしてきれいにまとめればいい。それ以上「抑制」できなくなって終わってしまう。

現在「新型コロナウイルス騒ぎ」が起きている。病院に感染が広がり高齢者に死者が出て大騒ぎになっている。その対策には顕著な傾向がある。それがマスク信仰だ。

日本人は災厄というものは外からやってくると信じておりマスクで防ぎたがる。ウイルス防御には役に立たないマスクが売り切れたのは日本人がもともと持っている不安心理の表れだろう。日本人は科学ではなく信仰でマスクを着用する。医療従事者や本当に必要な人に向けたマスクが足りなくなっているそうだ。

このマスク信仰が幅広く現れたのが「防御行動」だ。安倍政権を信任している人もそうでない人も「なぜ最初から中国を封鎖しなかったのか」と言っている。最初は政権よりの人たち(つまり自動的に反中国である)がそういう主張しており、人権上の問題からリベラルと呼ばれる人たちが反対していたような印象がある。ダイヤモンドプリンセス号も科学的合理性を持たない「マスク対応」だったわけだが、船内で病気を蔓延させてしまい国際的に問題になっているという。いつものように政府は説明を避けておりこれが今後日本政府への不信感につながるだろう。

ところが最近は「安倍政権が経済を優先して中国からの人の行き来をシャットダウンしなかった」と言い出す人が増えた。普段は敵味方に分かれている人たちが同時に同じことを言い出したのである。

この「災厄をシャットダウンして自分だけは助かりたい」という気持ちと「騒ぎを抑制したい」という気持ちが日本人の中で不思議に両立するんだなあと思う。原因は二つありそうだ。狭い情報空間に暮らしておりそもそも意思決定が苦手なので騒ぎが起こるとうまく情報の取捨選択ができなくなるという事情がある。さらに他人を抑止することで優位に立ちたいと考える人も多い。これがマスクをして自分だけは助かりつつ「問題はなかった」と声高に主張し助けてやらないという「マスク思考」を生み出す。マスクの外は自己責任でなんとかしろというわけだ。

「他人が考えている心配は過小評価するが自分の中の心象は正当なものだというバイアスが働いているんだろうなあ」と思う。相手を黙らせるというのもマスクなのだ。これがうまく機能すれば「たいしたことない」として騒ぎを抑制しつつ自分だけは備えて助かることができる。

安倍首相はこのマスク思考でオリンピックを乗り切ろうとしたようだ。現にテレビに政治家が現れることはなくオリンピックとの関連にも触れられることはない。政権とテレビ局はまだマスク思考にしがみついている。情報を出さなければ問題はなくなると考えているのだろう。

おそらく福島第一原発のアンダーコントロール発言も科学的裏付けに欠けるマスク思考だった。放射線被害は局所的で目に見えなかったのでフクシマ差別で終わった。だが新型コロナウイルスはおそらく日本中に蔓延するだろう。つまり今回の問題を作り出したのは安倍首相のマスク思考だ。安倍政権の支持者たちは、他者を抑圧して優越感に浸るための道具としてマスク思考を採用し他者を罵倒し続けた。

Twitterではついにこんな識者の声が踊り始めた。

しかし安倍政権を信任しない人もマスク思考におちいってはならない。安倍信者だけが被害を受ければいいのだがそうはならないからだ。マスク思考だけは我々全員が不安にさらされるだけだ。

恒常的にリソースが不足している「椅子取りゲーム環境」では相互不信と社会に対する不信が定着しても当然である。日本のように経済が衰退することが前提とされる社会では、周囲には「経済はうまくいっているから大丈夫だ」といいつつ、自分は貯金を絶対に使わず儲けも手放さないというマスク思考に陥る。だから安倍政権というのは単に日本の空気の反映に過ぎない。消費せず他人にも分け与えないというのも、法人税を下げて自分だけは助かりつつ社会負担を消費税で国民に押しつけるのもマスクなのである。経済的な合理性はなく自分だけの安全・安心を優先してしまうのだ。しかし、それでは不安は払拭できないだろう。

こんななかでお互いに協力して新しい情報空間を作って行こうと考えるならば、おそらくこうしたマスク思考の日本人は意思決定に加えない方が良さそうだ。協力思考とマスク思考はおそらく対極にあり残念ながら折り合わないだろう。マスク思考の染み付いた人に協力思考を植え付けるのはおそらく不可能だと思う。その意味ではマスク思考政権は科学的知見に基づいた協力思考の政権に換えるしかない。

Quoraでも初期に嫌韓のコメントや回答などがたくさん付いていたのだが「この鎮圧」には成功したようだ。こうしたものを避けつつ政治・時事系のニュースを流していたので、ある程度秩序ができ始めている。一度秩序ができると「それを守ろう」という現状維持の空気と自治意識ができてくるのである。おそらくこれも「現状維持バイアス」によるものなわけでコミュニティ管理の難しさと妙味を感じさせる。科学的合理性に欠いたマスク思考に陥るのも、ある程度協力ができるコミュニティが作るのも同じ心理状態からできていると言えるのだ。おそらくその違いはどれだけ科学的な知見を冷静に判断できるか – つまり他人が言っていることを読解できる人がどれだけいるかにかかっているのだろう。不安を克服する道はマスク思考にはないと思う。

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