安倍政権は緊急事態条項を通すために新型ウイルス肺炎(COVID-19)対策を遅らせたのか

本日は新型ウイルス対策が遅れた事情を考えるのだが、タイトルは例によって煽りである。煽りなのだが自民党がどのような優先順位で物事を考えているのかということはわかる。結論は例によって政権批判になっているが、この結論については意見が分かれるところであろうから無視してもらっても構わない。




今回、新型ウイルス肺炎(COVID-19)対応でわからないことが一つある。それは都道府県知事が手を打てる法律があるにもかかわらずそれが使われないのはなぜかという問題である。巷では中国のように封鎖はできないなどと言われている。実は現行の法律でもおそらくかなりのことができるのだ。この法律が使われれば、災害対応に慣れた日本人はおそらく中国人よりも整然と行動するだろう。

法律の名前は「新型インフルエンザ等対策特別措置法」という。野党は省略して特措法と言うことがある。これは、国民の権利を制限して行動を規制できるというかなり強い法律である。なぜか国民民主党が政府に対してこの法律を使うように働きかけている。学校は休業ではなく休校だと思うが、とにかくこの法律を使うと学校を止めたりできるようになるようだ。

その上で緊急に取り組むべき措置として(1)中国への渡航中止勧告、中国滞在者の入国拒否などの水際対策を一層強化する(2)新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく緊急事態宣言を発令し学校の臨時休業、臨時の医療体制の整備などの行動計画を策定する(3)国内需要の落ち込み対策として予防的経済対策を講じる――3点を政府に求めていくとの考えを示した。

「重傷者、死亡者の最小化を対策の目的として明確にすべき」新型コロナウイルス対策で、玉木代表

立憲民主党の蓮舫参議院議員は、政府がなぜか「1988年の古い法律を使った」ので対策ができなくなっていると言っている。おそらく都道府県レベルでいろいろな対策が打てないのでなんとかしてほしいということなのだろう。

ところが安倍政権では意思決定の過程が公表されないことが通例になっている。おそらく首相の「鶴の一声」で決まっていることが多いのだろう。あるいは正当な意思決定かもしれないし情報が少ない中では仕方がない判断もあったかもしれないのだが、後から評価ができない。さらに安倍晋三さん個人の「一度言い出したら謝れない」という気質も問題を複雑にしている。多くの国民の命より個人の意地の方が大切ということだが、周りにはそれを慮って自分の意見が言えなくなった意気地のない閣僚ばかりが揃っている。

このためTwitterでは憶測がらみの話がたくさん出ている。最初の懸念は「憲法改正に悪用しようとして」対策を打たなかったのではないかという説だった。産経新聞も1月31日に「緊急事態条項の議論が」というような記事を出していた。これが疑念をうみ、辻元議員の挑発質問になり、首相の謝罪(釈明)へという泥仕合いにも発展した。

ただ産経新聞の書き方には無理がある。国民民主党は全く違った文脈で法律で対応と言っているのに、それを全く無視して憲法改正の文脈でその発言を利用しようとしているのだが、さすがにそうは書けない。

 国民民主党の玉木雄一郎代表も29日の記者会見で「本人の同意も必要だが、権利を制限しても、大きな公益を守るため、しっかりとした対応をする局面だ」と述べた。改憲とは別の文脈だったが、緊急時の私権制限はやむを得ないとの認識を示し、問題意識は共有されつつある。

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文脈が違うということを認めてしまっており、記者も「無理があるなあ」と思っているようだ。とにかくそう書けと言われたのではないかとすらおもえる無理筋な仕上がりになっている。

ところがここにきて西日本新聞から全く別の文脈が提示され、こちらが多くの「反安倍」「反オリンピック」の人たちに利用されている。オリンピックに依存したい東京では書けない記事だろう。

首相は14日の東京五輪・パラリンピック推進本部の会合で「感染症対策などに連携しながら遺漏なく準備を」と述べ、新型コロナウイルスに直接言及するのを避けた。官邸周辺は「肺炎と五輪を結び付けたくない首相の思いがにじみ出た」と打ち明ける。

東京五輪・パラ大丈夫か、官邸が懸念 「市中感染」新型肺炎の拡大新局面へ

おそらくどこまでが本当かは永遠に分からないだろうが、オリンピックへの影響を恐れてクルーズ船を封じ込めたというのはありそうな説である。実際にダイヤモンド・プリンセス号内部では感染拡大が続いていて密閉型培養装置になっている。これがネガティブな広告塔としても利用されて国際的批判も起きているそうだ。アメリカが疑念を表明し各国が追随するという流れになっており、日本当局の対応能力そのものが疑問視されるという最悪の事態になってしまった。

さらに朝日新聞が「アメリカメディアが」と伝えたことで(新聞にはリンクが貼れないので原典引用なしで好き勝手に利用される)日本でも「政府対応が間違っている」と言い出す人が増えた。ネットでは有料記事は読めないのでヘッドラインだけがTweetに利用されるのである。

確かにネットの反応は冷静ではない。だが、ここまで見てきても「対応する法律があるのにそれを使わない」という合理的な理由がわからないのは事実だ。あるいは単純に「緊急事態」を宣言してしまうと「大事」になってしまうのでそれを避けただけなのかもしれない。あるいは野党の作った法律は意地でも使いたくないということなのかもしれない。

ところがここで新しい記事を見つけた。「新型インフル対策、「政権移行期」に問われる危機管理」という2009年の記事である。当時は舛添厚生労働大臣だったのだが新型インフルエンザ対応におわれていたことがわかる。夏には収束していたがこれが冬になってまた猛威を振るうかもしれないという状況があった時期である。

これは憶測なのだが「緊急事態を宣言して選挙を延期すればあるいは風が変わってあれほど負けなかったかもしれない」という希望的観測を生んだのではないかと思った。自民党にとって下野というのはかなりトラウマティックな出来事だった。それが緊急事態条項に「昇華した」と考えても不思議ではない。この緊急事態条項だが2011年に東日本大震災が起こり理由付けが「インフルエンザから地震に変わった」のかもしれない。だが、これもおそらく後から検証することは不可能だろう。中でどんな議論が行われていたのかということが公開されないだろうからである。

おそらく民主党はこの体験を「法律レベル」で克服しようとしたのだろう。内閣でなく都道府県知事に権限を与えているところから地方分権的な考え方があったのではないかとも思える。

ここから、自民党の意思決定には「新型肺炎対策を大事にしてオリンピックに影響を与えたくない」という気持ちと「民主党の作ったスキームには意地でも乗りたくない」という気持ちが混じり合っていたのではないかと類推できる。おそらく「安倍政権が議会を停止してヒトラーになろうとしている」というのは妄想である。実際は「意地と怯え」なのではないかと思える。実にいじましい政権なのだ。

おそらく日本人はプロセスではなく結果で大騒ぎするであろうからこのまま騒ぎが収束しなければ総括なく騒ぐだろう。逆に落ち着けば忘れてしまうはずである。時事通信の世論調査では内閣府不支持率がわかりやすく伸びているそうだ。共同通信でも支持率は急落した。時事は新型コロナウイルスには一切触れていないのだが何が原因になったかは明らかだし時事が触れたくない理由もわかる。だがこの記事を後から見直してもなぜ不支持が増えたかはわからないだろうしあるいは桜問題が命取りになったように見えてしまうかもしれない。

今回新型インフルエンザ対策の流れを追うのはなかなか容易ではなかった。記録が公開されておらずその間のログも残っていないからだ。今回どのようなことになるかはわからないのだが、ログを残しておくことの重要性は痛感した。議論の過程を燃やしたり隠したりしてしまうとほんの数年前のことでもわからなくなってしまうのである。

おそらく憲法改正(緊急事態条項)と現在の新型コロナウイルス対策は全く別の問題として捉えられていると思。だが、おそらく自民党にとっては政権交代も「運が悪かった」として災害のような扱いになっているのではないだろうか。感情的なしこりから憲法改正議論を進めるのはとても危険なことなのだが、後から冷静に判断できる記録がないとこのあたりが自覚できない。

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