日本人は衆愚だからトイレットペーパーの買いだめが起こるのか?

世界各地でトイレットペーパーがなくなっているそうだ。コロナウィルスに対する不安が高まっていているのが日本だけでないことがわかる。オーストラリアのトイレとペーパー不足について書いたこのニュースは「目立つものがなくなるとパニック的な買いにつながるのだろう」と分析している。なるほどなあと思う。




日本では鳥取県のある生協職員が何気なく発信した情報が広がったことがわかっているそうだ。のちにこれがデマだということがわかり6日後には菅官房長官も国民に呼びかけた。だがでもトイレットペーパー不足はなくなっていない。これを目の当たりにした人たちは「みんな馬鹿なのではないか?」と言いだした。今回はみんなが馬鹿だからトイレットペーパーがなくなるのかについて真面目に考えたい。重要なテーマだからだ。

デマの広がり方については研究が出ている。「オルレアンの噂」が有名だが、日本では1970年代に豊川信金事件というものがあり一度このブログで書いたことがある。三つの要件が揃うとデマが出るというようなことを書いた気がする。

  • 不安が広がっている。
  • 情報の不足を過去の経験で補い憶測として語られる。
  • 伝言ゲームをしているうちに憶測が断定に変わる。

このうちの一つを取り除いてやるとデマは鎮火できる。日本でも菅官房長官がデマを否定したが買い控えは収まっていない。これまで国民に真摯に向き合ってこなかった菅さんの言葉を信じて安心する人はいなかった。イオンでは「お一人様10個」という前提をつけることで「品不足はない」という印象をつけたそうである。おそらくメッセージ効果としてはこちらの方が上手なやり方だろう。実際に見せてやる必要があったのだ。

上手なやり方をすればデマはおさまる。これが収束しないということはおそらく政府の言うことを信じている人はあまり多くないということである。あるいはまったく伝わっていないのかもしれない。つまり「人々は情弱で馬鹿だから」買いだめに走るわけではないのだ。

この現象について分析する人が現れた。

一つ目の分析は「デマで買い占めに走る人が何とか拭いたい恐怖」という文章だ。これは人間には状況をコントロールしたいという欲求があるが新型コロナウイルスのコントロールはできないという背景を置いている。だから、できることをしようとしてデマだとわかっていても乗ってしまうという仮説である。

もう一つは「トイレットペーパーを「買い占める」ほうが”合理的”であるシンプルな理由」という表題だ。こちらは周りが信頼できなくなった状態では協力が成り立たなくなり利己的な行動が起きるというのだ。こう書くと難しいのだが「囚人のジレンマ」という言葉を聞いたことがある人は多いと思う。

両者の共通点は何だろうか。社会全体を人間の体に例えてみる。普段我々は自分の体を自由に動かすことができると信じている。これを「体が全体性を保っている」と言う。この状態が失われ、体の一部が勝手に動き出したり「自分のものとは言えない」状態になればとても不自由を感じるだろう。この不自由が「全体性の喪失」である。失調というときもある。

台風19号に備えてパンがなくなったスーパー

最初の文章は「安全の確保」が社会全体でできないという恐怖感を「でもモノは買える」という感覚で置き換えようとしていると説明する。次の文章では周りの人がコントロールできないから自分を防衛しようとすると考えている。

どちらも「社会の全体性が維持できなくなっている」という実感が突飛な行動に結びついていて「個人で防御しよう」という状態になっていると置いている。最近こうした「物不足」が頻繁に起きるようになった。昨年秋の台風の時にもこのような状況があった。我々の社会は全体性を失い信頼失調に陥っている。信頼失調に陥ってるからあんな政権が生まれたのか、あるいはあんな政権だから社会が全体性を失ったのかという疑問があるが、おそらくその両方が起きているのではないかと思う。

この7年間「安倍政権が何をやっても日本人は関心を持たなくなった」と言われてきた。それでも社会は動いているわけだから結果的に人々は安倍政権を容認しているのだと我々は考えてきた。しかしどうやらこれは間違った観測だったようだ。我々は政治を信頼しなくなっているわけではない。そもそも社会を信頼していないのである。

全体性が消失すると社会から「協力して成長して行こう」という気持ちが生まれにくくなる。おそらく日本が成長しなくなった原因もこの辺りにあるのではないかとすら思えてしまう。

さらに全体性を失った社会を統治するために上から抑えつけようとする人も増える。思い通りにならないなら強制的に動かしてしまえばいいと感じるのである。同じ全体という言葉がついているがこれが「全体主義」である。

この展開はかつてヒトラーが「全体性が満たされている」という意味のheil(英語のwholeと同根で完全なとか全体のという意味がある)を自分の賞賛のために用いたのに似ている。おそらく買いだめ行動と全体主義社会というのはこのようにしてつながっているのだろう。

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