人々にマスクをつけさせるために戦前の日本政府がついた嘘 – 誰も他人を助けるために行動変容はしない

本日は日本人とマスクについて勉強する。誰も他人を助けるために行動変容しないというのがテーマである。実はこの話は2017年に一度書いているが、日本人がマスクを予防のためにつけるようになったのは政府がそう宣伝したからだ。その時に知識が今でも残っている。




日本でちょうど100年ほど前に「スペイン風邪」が流行した。今ではインフルエンザと言っている病気なのだが当時はウイルス学が発達しておらずよくわからなかった。

日本政府は拡散を防ぐために公衆衛生の知識を普及させる必要があった。病気を拡散させないためにマスクが必要だ。だが、当然人々は他人を助けるために行動を変えるのを嫌う。

そこで内務省衛生局は電車の中でマスクをしないとインフルエンザが伝染しますよと国民を脅かしてマスクを普及させた。これが今に残っていて安全のためにマスクを欲しがる人がいる原因になっている。その史料がいまでも国立保健医療科学院のウェブサイトに残っている。

同じようにインフルエンザにうがいが有効とされるようになったのもこの時からである。このうがいが有効だという説は実はすでに科学的にエビデンスがないことがわかっていて首相官邸のウェブサイトにもそう書いている。だがそれでもうがいを止めない人は多いし、うがいにエビデンスがないというと怒り出す人もいる。

内務省のポスターは科学的な意味からは間違っている。だが人間は「自分を守るために行動しよう」とは考えても他人を守るために自分の行動を変えようとは思わないわけだから、これも仕方なかったんだろうなとも思える。

東アジアには権威主義的な伝統が残っていて、お上が言ったことには従うべきだし、それを他人に押し付けることで自分の権威を高めたいという欲求を持つ人も多い。

予防注射で集団免疫をつけるという考え方もこの時に導入されているのだが、これも「社会に集団免疫をつけよう」という説明ではなく「自分の身を守る」という説明がされている。

この時のインフルエンザ(H1N1型)はスペイン風邪と呼ばれた。実は第一次世界大戦(1919年)のときにヨーロッパで流行したが情報が隠蔽され中立国だったスペインから流行が報告されたためにつけられた名前なのだそうだ。スペインにとってみればいわば濡れ衣だったわけである。

古谷経衡さんがまとめた文章によると、もともと1918年のアメリカで始まり2,000万人から4,500万人が亡くなったという。アメリカが戦争に参加したことでヨーロッパなど各地にばらまかれ、日本でも45万人が死亡したそうだ。それでも日本が崩壊するということはなかった。

オランダ人マルティヌス・ベイエリンクが提唱したウイルスという考え方はすでにあったようだが一般に普及していなかった。ウイルスが結晶化され存在が証明されたのは1935年だそうである。

日本でも北里柴三郎緒方正規らがドイツに留学し日本に知識を広めたが、1922年といえばまだウイルスが何かよくわからなかった時代である。人々は目の前にある現実を当時の知識をもとに対処するしかなかった。古谷の文章を読むと結局集団感染して免疫ができたから収まったということである。

この話からはいくつかのことがわかる。

第一に我々は他人のためには行動しない。利己主義的なメッセージが一番効果がある。次に我々が把握できる科学的認知というのはウイルス学が発展した現在も当時とさほど変わりはない。つまり科学的知識が増えたからと言って大衆が賢くなることはない。最後に特に日本の場合上から権威主義的に降ってきた知識は人々の頭にこびりつき今でも「正しい主張」として展開され続ける。

日本人は科学的エビデンスにはさほど興味がなく上から正解だとして下賜されたものをありがたがる習性があるということがわかる。この権威主義的な理解はマスクを安心安全のお守りとしてありがたがるという習慣として残っていて、それでも結果的に日本でのコロナウイルス拡散が抑えらえているというのは確かなことである。アメリカ、特にニューヨークの事例を見るとそのことがよくわかる。

アメリカ人にはマスクをつける習慣はなく、現在では30万人が新型コロナウイルスに感染しており、死者の数は10,000人を超えたそうだ(2020.4.7現在)。つまり、マスクに予防効果がないなどというゴタクはどうでもいいから「とにかくつけておいてくれ」というのが正解だろう。

どっちみち予防効果はないがまき散らさないためには布マスクだろうが覆面だろうが構わないということだ。アメリカCDCは医療従事者だけマスクをつけていればいいという方針だったようだが、感染拡大を防ぐために「みんなマスクをするように」と呼びかけるようになったそうだ。

自分のマインドを変えたくないのは何も日本人だけではないようだ。コロナウイルスがアメリカで猛威を振るう前のアメリカは「ドレスコードに反するからマスクはしない」という空気だったそうである。トランプ大統領は「マスク使用は「自主的」なもので「やらなくてもいい」と発言している。

記者団の質問にも、「ただ自分はやりたくないだけだ」、「オーヴァルオフィス(大統領執務室)にいて、あの美しい『レゾリュート』机に向かいながら……大統領や首相や独裁者や国王や女王を迎えるのは。ともかく、自分がそうするのは想像できない。もしかしたら考えが変わるかもしれないが」と答えた。

米保健当局がマスク使用を指示、トランプ大統領「自分はしない」

本来なら「合理的に説明して正しく行動してもらう」のが重要だと思うのだが、人々は期待通りに動いてくれない。そうなると「副作用覚悟」で嘘でもいいからマスクをつけるメッセージを発布したほうがいいのではないかという気もしてくる。人間はとにかく他人に態度を変えられたくないという気持ちがある。それは日本人だけではないようである。

こうなると危険な揺り戻しも起きる。医療用マスクを人道的見地から海外にも輸出すると宣言した3Mに対してトランプ大統領は「アメリカ第一に考えないなら法律を使って報復する」と恫喝した。

米国がマスクの輸出制限に動けば、カナダは報復措置に出るかとの質問に対し、フリーランド副首相は「カナダの国益を守るために全ての行動を取る」と応じた。

カナダ、トランプ氏を批判 3M医療マスク輸出制限巡り

日本では検査をすると医療崩壊が起こるという間違った考え方が固着している。実際は保健所の受け入れ態勢の問題だったようだ。余裕のない東京都と茨城県では検査の受け入れ率が違っていたという報道もある。だが、それがわかっても政府擁護に執着する人たちがいる。あれこれ理由をつけてジタバタと抵抗する。権威主義的な理解が一般的な日本では権威が間違っていたという単なる指摘が自分への屈辱に感じられてしまい、現実を見ようとしないのだ。

同じようにCDCも人々が防衛のマスクをし始めれば医療用マスクが足りなくなるかもしれないという恐れを持っていて実際にそれが現実のものになりかけている。欧米では中国から輸出されるマスクの奪い合いが起きているという噂を産経新聞が伝えている。マスクをつける習慣が長い間忘れられていた欧米もまたどうしていいかわからないという状態なのだろう。

態度変容は難しい。合理的な説明を直ちに受け入れてもらうのは難しく、かといって人間の心理に合わせて合理的でない説明をすると今度は間違った解釈が長い間固着してしまうのだ。

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