日本人は将来緊急事態条項に殺されるかもしれない – 新型コロナで生き残れればだが……

まだコロナ禍が日本に吹き荒れる前、伊吹文明元衆議院議長が「新型コロナは改憲(緊急事態条項)の実験台になる」と発言をしたそうだ。モルモットにされてしまっては困るなと思っていたのだが、あるいは実験でよかったのかもしれないと思った。仮に自民党が提唱する緊急事態条項が通っていたら我々は憲法に殺されていただろう。




これまでの流れを見て行こう。総理大臣は緊急事態条項を発出するのに時間がかかった。おそらく経済対策をまとめるためだったのだろう。この時点で自民党から様々な要望が出て混乱した。

時間がかかったのは法律がお願いベースなので補償とセットでなければ効果を発揮しないからである。おそらく東京は今後ニューヨーク化するだろうから民主党が作ったこの法律は東京にとっては失敗だった。失敗の原因も明らかである。権限に予算がついてこないのだ。

このため緊急事態宣言が出てからも独自財源のある東京都を除く各自治体での自粛の動きは広がっていない。東京は自主的に休業要請企業をリストアップするそうだ。東京が支払う金額は10万円の単位だが他の自治体はそれすら捻出できない。

ところが国は自粛する企業を決められなかった。休業要請を二週間待ってくれと7都府県に要望したそうだ。なぜ国が決められなかったのかはわからない。補償が膨らむのを恐れたのかもしれないし利権を持っているところから物言いがついたのかもしれない。

予算を抱える国は補償には後ろ向きである。理由はよくわからないが、おそらく国民保護よりは自分たちの利益確保が重要なのだろう。さらに足元の官庁や企業と気持ちが離れており実態が把握できない。

例えばこんなことが起きている。

安倍総理大臣は金融機関に「無利子無担保融資」を要請した。銀行はこれに協力する意向を表明した。だが、金融機関も裏では「安易なリスケに応じるな」としているところが出ていたそうだ。地銀はこれまでも日銀の金融緩和政策で痛めつけられている。彼らが素直に総理大臣の要請に応じることはないだろうが、罰則はない。

二階幹事長も「8割自粛などできるはずがない」と言っている。真意は定かではないが「国がなんでも補償してしまえば票に換金するためのお金が足りなくなる」という素直な危機感があるのかもしれない。おそらく財務省や麻生財務大臣も国民救済には消極的なのだろうだろう。

生き残りをかけた戦いは保健所レベルでも起きているようだ。Twitterでは真偽不明の情報ながら「陽性がわかったらお子さんが困るでしょ」と言って検査を拒否する保健所が出てきたというTweetを見かけた。確かに保健所が崩壊しても社会は助けてくれない。だが検査数を絞れば無症状者がウイルスを拡散し続けるだろう。部分最適が全体的に最適にならないという囚人のジレンマの実験場になっている。

こうなると緊急事態になっても「国は面倒を見ない」から国民の努力で乗り切れということになる。前回発出前に「経済活動を続けて他人を殺すか」「自粛して自分が死ぬか」という二者択一になるだろうと書いてきたのだが本当にそんな感じになりつつある。

ここからわかるのは、おそらく政府が緊急事態宣言で国会を停止しても国民への救済はないだろうということである。安倍首相が独裁者だからではない。そもそも誰も協力しないのである。構造的に日本の内閣は権限移譲ではなくバランスの上に成り立っている

今回の緊急事態宣言が権限集約型だったならおそらく金融機関への資本供出命令や補償なき営業自粛命令という民間の犠牲を伴う措置になっていたはずである。つまり権力の脆弱さを法律に代わる内閣令で補強しようとする。つまり自分たちが潰れないように不利益を誰かよそに振り返る作業が始まるわけだ。だがその内閣令に実効性はない。なぜならば現状を把握して練られたものではない「思いつき」に過ぎない。

普段から権限移譲と説明責任という民主主義的なセットをおそろかにする日本では有事の際に権力のロックダウンが起こる。この権力のロックダウンが今回のテーマなのだが、権力のロックダウンが起こると思いつきによる政策が増えさらに国が疲弊する。おそらくこれがスパイラルになり国全体が急速に混乱するだろう。

今回の法律は権限移譲を伴わないゆえに失敗したのだがこれはマシな失敗だ。内閣が独自に内閣令を発出できるようになっていれば、思いつきによる休校命令・布マスクの下賜・金融機関の動員令・縫製工場への国民動員などありとあらゆる思いつきベースの愚策が「法律と同様に」扱われていただろう。

日本には公共という概念はない。政治は単独で村を作っており「政治村の存続」を考える。企業もまたしかりだ。日本における公共の福祉というのは「自分が生き残るために他人を黙らせるための脅し文句」であり英語のcommonwealthの訳語ではない。commonwealthがない理由は明確だ。日本には公共(public)というものは存在しない。

日本では「みんなが我慢しているからお前も我慢しろ」と相手に圧力をかけて「でもうちらは特別だから」となる。私もあなたも含まれるのが「公共」なら「みんな」とは「自分以外の誰か」なのである。これが「我々の国の医療崩壊を防がね」ばと考えたドイツや中国共産党に退治するために「我々」という意識を持っている台湾と違っているところである。

まあ、それが可視化されてよかったと言えばよかった。安倍政権を支えているネトウヨと呼ばれるような人たちにはどうも変な誤解があり「国体」というものが日本語版の公共(public)だと思い込んでいる節がある。だが、安倍政権は国を守るためには機能しない。国の中に国民は含まれていないからだ。

バブルが崩壊しても国は何もしてくれなかった。金融機関への救済をためらい自己防衛に走った金融機関に不審を持った企業は「自己責任」で潰れるところが出てきた。だから企業は自己資金を貯め始め給料を出さなくなり足元の景気が冷え始めた。現在コロナで起こっていることはその延長に過ぎない。

これからも様々な議論があるだろうが「緊急事態宣言」でも何も解決しなかっただろうで終わってしまう話である。それでも食いさがる人がいるなら「権限(予算)を渡さなかった国に有事を任せることはできない」で済んでしまいそうである。

面白いのは今後の場外の動きである。どういうわけか国会議員たちは場外にいて騒いでいる。彼らが決められないのか決めたくないのかはよくわからないが、あるものは内閣に消費税減税を陳情し、別のものは忙しい厚生労働省に問い合わせ圧力をかけているそうである。おそらく憲法での緊急事態宣言が出れば情報を得ることができなくなった与野党の議員が院外で騒ぎ出しさらに統治に重大な問題が出るように思える。

日本の集団は一旦暴れ出すと自立性を失い静かな混乱に陥る。表向きは政党という括りがあることになっているのだが野党側はすでに崩壊し、自民党も実は一枚岩でないことがわかる。こうした不規則な議会のありかたはおそらく机上で考えても出てこなかっただろう。

有事の際にはいろいろなことが見えてくる。

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