アメリカを危機に晒すかもしれないトランプ大統領の傷ついた自己愛

たまたまトランプ大統領がCOVID-19(新型コロナ)のアップデートを行っている会見を見て驚いた。途中で自分を自画自賛するビデオを流し始めたのである。英語でまくし立てているのでよくわからなかったのだがCOVID-19対応で「何もしていない」と言われたのに腹を立てたようである。記者たちが呆れ返っている様子が印象的だったのだが、AFPは「あぜん」という表現で切り取っている。




わかったのは「まだアメリカで死者が出ていないうちから中国からの流入を止めた」とまくし立てていたところである。自分は記録が好きだと言っていた。フェイクニュースは記録に基づかない嘘をつくというのである。

連邦からの支援を感謝するビデオを立て続けに流し「ホワイトハウスのスタッフがありもののビデオをつないだだけ」だがこんなに賛辞に溢れているとやった。ジャビッドセンターに患者が運び込まれてよかったといい、ベンチレータが必要だと大げさに言っていたがそんなに必要なかったとも言っていた。さらに民主党の敵対者ナンシー・ペロシ下院議長やスリーピー・バイデン民主党大統領候補を罵倒した。

彼は何かに対して怒っていた。

記者たちに「自分に権限がある」と盛んに主張していたのだが何の権限があるのかはよくわからなかった。どうやら早期に経済を正常化させたいようでそれを決めるのは俺だと言っていたらしい。ロイターで見つけた記事ではニューヨーク州知事の反発があったそうだ。法廷闘争も辞さない構えのようだが、これで危険にさらされるのはニューヨーク州民の命だろう。

おそらく背景にあるのは大統領のコロナ対策の失敗だろう。常に自分は偉大な大統領だという自己演出で自我を補強しているのだが現実には60万人近くが感染し25,000人がなくなっている。これを補強するために懸命になっていて冷静な判断力を失いつつある。あとは側近がなだめられるかにかかっている。会見ではムニューシン財務長官が貴社の質問に答え、トランプ大統領もやや冷静さを取り戻していたようだ。トランプ政権は一丸となって大統領をあやしている。

これについてアメリカ人はどう思うんだろうか?と思い「たまたま大統領が自分を讃えるビデオを流しているのを見たのだが、毎日こんな感じなのか?」と質問してみた。おそらく日本人が外国人から日本の会見について真顔でこんなことを聞かれたら恥ずかしくなってしまうだろうという質問だ。

よくアメリカ人はきちんと政治議論ができるなどと言われるのだが、それは本音と建前で言えば「建前」がある時だけである。

おそらく多くのアメリカ人はこうした状況を恥ずかしいと考えている。いうなれば土足でその恥ずかしいところに踏み込むような質問である。ダイレクトに説明する回答はつかず、奥歯にモノの挟まったような説明ばかりがついた。

さらに面白かったのは日本でいう「ネトウヨ的」発言が見られたところである。エビデンスを示せという回答がついた。のちにビデオを見た回答者は慌てて正当化する説明を追加した。本音では「大統領が自画自賛ビデオを流すはずなどない」と考えているが実際にビデオが流れているので正当化を始める。いわゆる本音と建前の二重思考だが、実はアメリカ人にも存在するのである。

このことから、アメリカ人も日本人も政治的議論で示す態度にはそんなに違いがないことがわかる。つまりアメリカ人も彼らの恥の意識に直接触れられるような議論に対しては日本人と同じ婉曲的な態度を示すということである。

おそらく日本人は「建前レベル」の政治議論に慣れていないのだろう。普段の生活で政治議論をせずSNSのようにパーソナルな空間でのみ政治議論を行う日本人のほうが感情が露出しやすい。そのためネトウヨ的な反応がダイレクトに出やすい。一方、普段からポリティカルコレクトネスという正解に慣れたアメリカ人は滅多に本音を見せない。

ただアメリカ人は取り繕いのために内輪話を始めることがある。この回答のコメント欄にリンカーン大統領について語っている人たちがいる。気恥ずかしさを糊塗するために外国人にわかりにくいことを言うというのは日本では見られない光景である。英語というのはオープンな言語である。日本語という障壁に守られている日本人にはこんな必要はない。

ドナルド・トランプという人の前半生に何があったのかはわからないのだが、おそらく自己証明のために自己愛を肥大させてきたのだろう。自己愛防衛のためには常に自己証明をし続ける必要がありそのために常に興奮状態にある。ビデオを見ると勇ましい音楽を入れたりして飾り立てている。自己演出はアメリカ文化の一部でありその意味ではナルシシズムもアメリカ政治の一部である。

今回の疑問は「では日本人はこうした自己愛的な政治言論に耽溺しないのか」という問題だ。これはなかなか検討が難しい。日本人は集団に隠れて匿名か半匿名で行動するのでこれがなかなか見えにくい。だが人間の本質がそれほど変わらないとすれば、政治言論に関わる人たちの中には集団に固着した自己愛の補強があるのではないかと思える。

安倍総理大臣もこうした傷ついて肥大した自己愛が見られるのだが、その表現は表向きは控えめである。プロンプターを使って「できる自分」を演出してもらいその陰では「自分を讃えるように」と部下たちに言っている。その意味では日本の傷ついた自己愛というのは集団で振舞うのかもしれないと思う。

ただその自己愛は崩壊しつつある。今回の補償方針について田原総一郎さんにそれっぽい説明をしたようだが足元では二階幹事長が「現金給付をやるべきだ」という主張に転換したようだ。内側からこういう主張をされてしまうと彼は説明を変えざるをえなくなる。

二階さんは「俺は言うだけ言った」というふりをするだけかもしれないのだが、自民党の中には二階案を支持する人が多い。こうなると、幻想の中で立法府の王だと思い込んでいた安倍総理の自己愛はズタズタになってしまう。行政府(つまり麻生財務大臣のことだ)は庶民にはびた一文渡さないという方針のようであり「選挙か統治か」という選択を迫られる。そしてそれとは全く関係なくウイルスが蔓延しいつまでたっても国民生活は正常化しない。実は奥さんだけでなく政府も党もコントロールできていなかったということがバレてしまうのである。ましてやウイルスはコントロールできない。

トランプ大統領は攻撃されると「強い自己」を打ち出すのだが、安倍首相は逆に引きこもり部下に憤りをぶつける。だが部下が考えるアイディアは布マスクの配布か星野源のビデオくらいのものである。その度に強い非難が巻き起こり国としての意思決定ができなくなる。地方は勝手に緊急事態を宣言しさらに混乱するという具合である。

安倍総理の自己愛もまた日本の国を危機に晒しているのかもしれない。

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