新型コロナを巡る検査議論の混乱 - 日本の縮み志向の原因を探る

今回はまず、緊急事態と権力のロックダウンというところから始めて自己愛的な万能感がシステムを破壊するところをみた。三番目の要素は縮み志向である。この縮み思考を観察するために検査を巡る議論の混乱を観察する。世界では検査数を増やして死亡者数の拡大を防いでいる国があるのだが日本人にはそれができない。できないばかりか「そんなことをやったら医療現場が崩壊する」と泣き叫ぶ人もいる。いったいなぜそうなるのだろうか。




まず、検査をやみくもに増やすと医療現場が崩壊するという論から見る。週刊ダイヤモンドが「日本がコロナで「PCR検査抑制」を決めたロジックを完全図解」という記事を書いている。検査にはエラーがつきものであり「やみくもに検査を拡大させると医療現場を混乱させる」という論調で書かれている。この記事だけを読むと「ああなるほどそうなのかな」と思える。

この論では無症状患者は発見できないということが所与になる。だが一方で政治決断で社会をロックダウンすることもできない。そこで出てくるのが「何もしないと40万人が感染するぞ」という西浦シミュレーションである。結局何も手を打てないまま悲観論だけが蔓延するのである。

さらに実際に話を聞いてみると次のような意見が得られた。まず最初に「医療現場を見下していて非現実的な提案をしている」という意見があった。検査体制批判の目的は医療現場の怠慢をあげつらうところにあるというのである。これは「課題と人格の一体化」という日本の政治議論にありがちな議論である。

前回の投稿に安倍首相の名前を出したところ珍しく強烈な批判コメントがついた。安倍首相という名前に深い愛着を持っている人がいることがわかる。これも課題と人格が一体化してしまうという日本人の性質をよく表している。このコメントによると「扇動者(つまり私のこと)が大衆操作を試みている」ということになっている。これは野党支持者が一貫して「安倍政権の支持率はマスコミの操作だ」と主張し続けてきたのと同じ論理だ。傷ついた自己愛が修復の過程で国家や立憲主義といった正義と結びつき誇大な自己像を作っていることがわかる。自己を正義に固着させると一時は救われるかもしれないのだが、それが虚像であるとわかった時の痛みもまた強烈になる。

次の意見は「PCR検査というのは危険で難しいものなのだから工夫の余地などない」という意見だった。これは現在の政府のやっていることは政府の英知を結集した所与の正解でありこれ以外の正解などありえないという「正解の張り付き」である。自己を正義に固着させない人でも「正解」にある程度とらわれていることがわかる。

日本人は教科書を暗記したらその背景にある理屈はほとんど考えない。明治維新から高度経済成長期にかけて培われたキャッチアップ型の教育は効率的でもあり危険でもある。しかし、度合いとしては正解に固着する人のほうが正義に固着する人のほうが軽症であるとも言えるだろう。

軽症であるとはいえ、正解への固着は今回のコロナ危機ではとても危険だ。ではなぜが危険なのか。詳しく見て行こう。

ドイツの目的は既存医療からコロナを切り離すことであり検査はその一部に過ぎない

日経新聞の「ドイツ、1月6日の初動カギ コロナ大量検査可能に」を読むとドイツがやろうとしたことは一般治療と検査の切り離しであることがわかる。検査数を増やすことは目的ではないのである。

このためにドライブスルーや郵送などの検査体制を作り検査者も二交代制度にした。これは週刊ダイヤモンドがいう「不確実で危ない検査」であり危険なのではないかという疑問が浮かぶ。ではこれをどうやって克服しているのか。工夫は二つある。ドイツにはかかりつけ医(ホームドクター制度)がありホームドクターが初期の切り分けを行っている。さらに民間のネットワークを使って検査体制を作りお互いに協力し合っている。人の目を介在させることで検査のエラーを防ぐ仕組みを作っている。

東京都医師会は共同センターを作ることで既存医療とコロナを分離しようとしている。

そんな中、東京都医師会では独自の取り組みが始まった。ドイツの制度をかなり意識しているようだ。「医師会がPCR検査所 新宿など都内20カ所に設置へ」を読んでみたい。

まず、東京都医師会は帰国者・接触者相談センターがボトルネックになっていると言っている。帰国者接触者相談センターと言っても実質は保健所である。保健所はクラスターの押さえ込み対策なども行っており手一杯の状態にある。Twitterでは検査調整をしているのでは?という疑惑も出ているが、これは保健所が悪いというわけでもない。帰国者・接触者外来は77あるそうだが、ボトルネックになっているのは保健所である。

東京の医師会はまず東京23区で6ヶ所、多摩地区で2ヶ所の検査所を作り、それを20まで増やし、さらに47医師会全体に広げようとしている。そしてここで振り分けをして軽症者(軽症と言っても必ずラクというわけではなさそうだが)は自宅待機やセンターへの収容などにに振り向けたいと言っている。

確かに検査が難しいというのは所与のようで動かせないようだ。しかし、医療と検査の分離はやらなければならない。これを医師同士の協力で達成しようというのが日本のやり方だ。ドイツとの違いはホームドクターにやらせるのか共同作業所を作って振り分けをするのかという点にあるが基本思想は一緒である。

これでも分かりにくいという人には水道の例えで説明したい。水道を水源地でろ過して水道システムにきれいな水だけを流そうというのが日本のやり方だった。だが水道水もどうやら汚染されているようなのでそれをフィルターで濾してきれいな水だけ流そうとしているのが今のドイツと日本のやり方なのである。厚生労働省は未だに「水道に毒が混じっている」と認めたくないのである。それは水道管理者の「責任問題になる」と彼らは思っているのかもしれない。

Quoraでの普通の日本人の反応を見ると日本人は「難しい」となると諦めてしまうことがわかる。そして周りの人にも「仕方ないから我慢しろ」と主張し始める。そして課題と個人が結びつくことにより集団の立場を弁護しようという圧力が強まる。個人の心情を集団と一体化してしまっているので、課題に対する批判が自我に対する攻撃に見えてしまうのだ。例えて言えばアレルギー反応を起こした過剰免疫のようなものである。

改めて整理すると日本人の縮み思考は三つのバックグラウンドによって成り立っている。これが過剰免疫を引き起こし改革意欲を阻害するというのがおそらく日本の病理なのだろう。

  • 他者への信頼感の欠落
  • 協力などできないだろうという諦め
  • 自己評価の低さ

今までのやり方が古くなったなら変えればいいことである。だがそれができない人が大勢いる。おそらくは自分は変われないかもしれないという恐怖もアレルギー反応をさらに過激にするのだろう。

ただその過剰免疫のあり方も「単に正解を疑えない人」から「自己と集団を固着させてしまい余計苦しむ人」まで様々である。自己愛の補強のために集団に固着した人ほどおそらく苦しむことになる。

強いリーダーに守られた神の国という誇大妄想的なネトウヨデオロギーまでくると自己愛型の政治症候群ということになるのだが、それと地続きにあるのが自信の欠落である。自身の欠落は意思決定困難という症状を生み出す。おそらく日本の自己愛型政治は縮み思考であり、その結果として意思決定困難と権力のロックダウン(つまりひきこもり)が起こるのだろうと考えられる。

政治はまだ混乱しているようだが東京都の医師会はなんとか生き残りの道を模索し始めたようだ。検査体制の充実が多くの東京都民の命を救うだろうと信じたい。

Google Recommendation Advertisement