野田洋次郎氏が大いに政治を語る

野田洋次郎という人が「国を信頼できなくなった」と書いている。ローリングストーンジャパンという音楽雑誌だ。昔からカルチャー雑誌で政治が語られることは珍しくない。つまり日本の芸能人が政治を語らないということはない。単にテレビがそれを伝えず一般の人はカルチャー雑誌を読まないというだけの話である。きゃりーぱみゅぱみゅさんもそうすればよかった。




おそらく今回のローリングストーンジャパンの記事がTwitter界隈でそれほど評判になることはないだろう。あの雑誌が政治雑誌だと思う人は誰もいない。だが現在の政治雑誌に新しい着想はない。

曲を聴いてみたがコロナ前にはできていた曲のようなので「時代変化に合わせて加工されたメッセージ」という気はする。だが言っていることは興味深い。つまり、本人たちがどう考えているのかということも実はそれほど重要ではない。

仮にワクチンができて、このウイルスとある程度の距離で共存できるようになったとして、今までのような世界には戻らないと思います。僕自身は国というものを信用しなくなりました。一切。一応この国に住むために税金は納めますが、(意識として)金輪際「国」というものから切り離した個体で生きようと思っています。要請や要望、税金の徴収、向こうからのリクエストはシコタマ飛んできますがこちらからの要望には応えない。まるで自分たちの財布の中身のように扱っていますが、税金はそもそも僕たちが支払ったお金です。それを国民が困窮している時に、国民が安心できるレベルまで補償として使わない道理がわかりません。僕はもう期待もしない。自分と、自分の大切なものは自分で守る。今はそういう気持ちです。

野田洋次郎が語る「新世界」の指針と覚悟

なぜ興味深いかというとこの言説自体は特に珍しいものではないからである。野田洋次郎さんは1985年生まれの34歳だそうだ。そろそろミドルクラスのマネージャーとして活躍しだすくらいの年齢である。バブルが崩壊したころは小学生だったわけで昭和を知らない世代である。昭和を知らないくらいの人はそもそも「立憲主義が壊れた」というような感覚は持たない。幻想としての「うまくいっていた民主主義社会」というものを知らないからだ。1989年頃から1991年に東側世界が崩壊して以降東側に対して「民主主義はうまくいっている」と言い張る必要がなくなってからあとの世代の人でもある。

それでも「自分の頭で考える」とこうなる。

バブル崩壊のあと金融機関がどんどん潰れて行く中で、企業は社会や金融機関は信じられないと思うようになった。バブルが崩壊したのは1992年か1993年頃だったと思う。山一証券北海道拓殖銀行が破綻したのは1997年だった。翌年の1998年の日本長期信用銀行が破綻した。

貸しはがしが起き企業が金融機関を信頼できなくなると企業は自己資金を蓄積し始める。手元に資金持ってないと不安というマインドセットに陥ってゆく。削られたのは人件費だった。この結果非正規雇用に傾くようになり長期的な停滞が始まった。つまり日本人は社会を信頼しなくなったがそれを表立っていうことはなかった。今政治を語っている人はどこかで何かを信頼しようとしているのだがそれはおそらく世間一般の政治認識とは異なる。

「消費が落ち込んで景気が上向かない」などといつも国は言っていろいろな手段で消費促進を促しますが、結局こういう緊急事態に救ってもらえないことがわかった今、これから余計に国民が貯蓄に回るのは間違いない気がします。

野田洋次郎が語る「新世界」の指針と覚悟

この文章を読むとわかるがこうしたことが淡々と書かれている。国を頼りにしても仕方がないというのは平成人ならば誰もが持っている感想であり特に新しいものではない。おそらくそれを改めて言葉にしたところに意味がある。

アーティストはまず現実を見つめた上で「じゃあ、この先をどうするのかということは自分たちで考えなければならない」と考えているようだ。ではこの先はどうなるのか。音楽マーケティング的には「次回のアルバムに乞うご期待」となるのだろう。

だが、おそらく「新世界がどうなるべきか」という答えはもう出ている。我々はしばらくの間新型コロナが流行すれば経済を引き締めて収まれば解放するということをウィークリーで把握しなければならないような世界を暮らすだろう。そのためには情報システムと管理体制を整えなければならない。そしてその報告が素早く国に上がり、国はおそらく一ヶ月単位で予算の組み替えが必要になる。

これは現在の国の仕組みである単年度予算主義を否定する。

だが、国家体制の浮沈は結局そこにかかっているし、それは昔からそうだった。共産主義は五カ年計画で負けた。資本主義の自己調整にスピードの上でついて行けなくなったからだ。今回の変化もおそらくその延長線上にある。もっとさかのぼれば官僚体制を作って各地の農作物の収穫情報を集めてきていたことにくらいまではさかのぼれるだろう。文書管理・情報管理は国家の基礎であるということに改めて気づかされたに過ぎない。これまでもそうだったし、これからもそうなのだ。

おそらく現在の安倍政権がこうした体制を構築するのは無理だろう。立憲民主党にもできないかもしれない。一方、レポーティング制度を整えて独自基準で自粛要請解除を始めた自治体も出始めている。今回の件はおそらくその競争になるに違いない。誰もが通天閣の色で現在の世界の状況を知り生活態度を調整するというような世界はあっけなく現実になった。

その意味で、我々はとても新しい時代の始まりを目撃していて、そのことの意味も目撃している。我々はもう「新しい世界」にいるのだ。

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