安倍政権が「バカのための政治」から「Twitter民のパシリ」に格下げになった瞬間

安倍総理が検察庁法改正を先送りした。これを見た人たちが興奮しつつ「SNSが政治に影響を与えた初めてのケースである」と言っている。本当にそうなんだろうかと思った。もしそうだとしたらそれにはどういう意味があるのだろうか。




新型コロナ禍が始まってからTwitter民意が勝ち取ったものが二つある。一つは定額給付金である。最初は低所得者向け30万円だったがそれでは足りないということになり政府は全員に10万円配ることになった。もう一つが今回の「検察庁法改正反対」つまり内閣の行政私物化阻止だった。何も変えるなというのだ。

Twitter民意では「国民が団結すれば政治的正義を守れることが証明された」ことになっているようだが、それは少し違うのではないかと思う。政策的まとまりが全くないからである。Twitter言論が政策をある特定の方向に誘導することはなかった。

実はしばらく前に図書館で申し込んでいた金森徳次郎の「憲法を愛していますか」をようやく手にすることができた。新型コロナの影響で滞っていた予約システムが回復したのだ。その中に国会と国民の関係を書いた議論がある。

憲法ができた当時、国会が暴走しても国民にそれを止める権限がないことが問題になったそうである。具体的には日本の憲法には議員のリコール規定がない。金森は憲法を擁護して「言論機関がきちんと見ているから大丈夫だ」と言っている。つまり世論が止めてくれるだろうと言っているのだ。

この考察は安倍政権を考える上で面白い視点を与えてくれる。つまり国民が政治に関心を持たなくなったりマスコミが政権批判をしなくなれば憲法の大前提が崩れてしまうということだ。これでは国会の暴走を止められなくなる。それは国会が好き勝手に法律を制定して国民生活を圧迫するという世界である。つまり安倍政権の暴走というのは当時の国会が懸念していた憲法の欠陥の表れなのである。

では実際に国会は暴走しているのだろうか。

Twitter民意は時に面白い動き方をする。例えば今回の定額給付金の配布をするためにはマイナンバーシステムに口座情報を登録しておいたほうがいい。ところが政府側が「それでは銀行口座とマイナンバーを接続しましょう」というとそれには反対する。もらえるものはもらってやるが政府が何か提案しようとすると説明を聞かずに「何も変えるな」というのだ。

国民は国会から距離を置いている。日本人はポピュリズムに乗りにくい。国会が何か良さげなことを提案してきても「どうせ何か裏があるだろう」と考えるのが日本人だ。10万円もらったからといって安倍内閣を支援することはない。むしろ支給が遅れていると言って文句を言う。

日本人の民主主義というのは本質的に極めて冷淡なのだ。

だが、日本のマスコミはこの冷淡な関係をあまり理解していない。その隔絶ぶりがわかるのがNHKが日曜討論だった。番組の中で「新しい生活様式」に基づいた行動を呼びかけていた。その提案ぶりがいかにも押し付けがましい。

中でも面白かったのは訓示的な価値観の転換を日本語に堪能な白人男性に言わせていたところである。NHKはGHQが日本を支配していた頃からマインドセットに変化がないのだなと思った。おそらくこの呼びかけは全く国民には響かないだろう。国民はそもそも一方的な政府の呼びかけには興味がないし、NHKのこともそれほど信じていない。「NHKはどうせ政権に抱き込まれているから」である。

「冷たい政治」の特徴は次の三つに集約できる。

  • 口を出すな
  • 金だけ出せ
  • そして何も変えるな

金森徳次郎の時代、新しい憲法ができたことに人々は熱狂したようだ。だが、その熱狂は70年以上経って極めて冷淡な関係に変わっている。何をしてるのかはよくわかりませんが、あなたはあなたで勝手にやってくださいという世界である。

安倍総理はおそらく劣等感に苛まれたお人形だった。力強いリーダーのフリをしている間は世間も許してくれた。自民党も利得があるうちは政権を大目に見ていたが誰も困窮した政権を助けようとはしなかった。

安倍政権は早いうちから「ポジションを派閥に分配しないと助けてもらえない」ということに気がついていただろう。つまり安倍政権というのは自民党派閥のパシリだったことになる。

おそらく安倍政権は「国民に協力を依頼する必要ができた時、国民に定期的にお金を配らないと支持してもらえない」ということに気がつくだろう。そしてそれ以上に大きかったのはおそらく国民の側もそれに気がついてしまったことだ。普通の政権であれば「パシリ」に格下げになったことに嫌気がさして政権を投げ出すのだろうが、これまでも劣等感を懸命に隠蔽してきた政権は国民を買収して気持ちをつなぎとめようとするのではないかこれは実は国民にとっては極めて都合が良い。政治は「バカ」から「パシリ」に格下げされようとしている。パシリに独裁はできない。

金森の時代にはおそらく言論機関を通じて国民は政治に訴え、政治もまた言論機関を通じて国民に指示を働きかけるという双方向性があったのだろう。だがマスコミが政治に抱き込まれたことで国民はマスコミを信じなくなった。その結果残ったのが「細かいことはわからないが、持っているものがあるんならとっとと俺たちによこせ」というTwitter政治である。

前回、野田洋次郎の「新世界」について考えた。野田がどのような結論を出すのかはわからないがおそらく一般国民が行き着いた答えがこのTwitter言論に見られる冷淡な民主主義である。

ポピュリズムとは真逆の冷たい民主主義の時代が始まったのである。

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