実は単なる思いつきにすぎない9月入学論が亡霊のように復活した

新型コロナでいろいろややこしい話がいくつも出ている中、突然政治的に浮上した話題が二つある。一つは黒川検事長の定年延長問題に始まる一連の議論で、もう一つが9月入学議論である。黒川さんの話は割と狙いがあけすけだったがが、この9月入学説がどこから出てきたのかがよくわからない。調べてみるとかなり筋が悪い話のようだ。もともとは単なる思いつきなのである。




新聞を読む限り今回最初にこれを言い出したのは17名の知事有志たちのようである。小池百合子東京都知事と吉村大阪府知事が賛成したことになっている。ところがなぜ知事たちが突然こんなことを言い出したのかがよくわからない。

この記事では6割の知事が賛成していることになっているのだが、単に「グローバルスタンダードだから」とか「思い切った改革だから」という意見があるばかりである。改革派に見られたいから9月入学論を言い出しているようにしか思えない。

どちらの記事も日経の記事だが学校や家庭にはそれなりの負担がかかるということが書かれている。家庭負担増、計3兆9000億円というのはかなりの金額だが、就学期間が延びるのだから当然である。さらにギャップの年が出てくるのでその間に学校の収入が途絶える。これを補償するためには国が援助すべきであるという話になってくるだろう。メリットは漠然としているのだがコストがかかることはわかっている。

自民党の一部にも反対意見が出ている。また日本教育学会も反対している。学会は日経よりも多い6兆円の負担が必要だという。報道特集では教育現場の声が紹介されていた。新型コロナ対策で手一杯なところに9月入学対応などとてもできそうにない。末冨芳日本大学教授は火事場の9月入学論と切り捨てる。単なる思いつきだというのである。日本教育学会も反対している。

その上で、9月入学を導入せずに学力を落とさない方法として、オンライン学習環境の整備や複数担任制の導入などを挙げ、追加の人件費を含めても1兆3千億円で実現できるとの試算を盛り込んだ。高校や大学入試を巡っては、試験問題の範囲を学習進度の遅い学校に合わせることなどを提案した。

9月入学に反対提言 日本教育学会「効果期待できず」

日本教育学会が指摘するようにそもそも日本の教育支出は少ない。

経済協力開発機構(OECD)は10日、2016年に加盟各国が小学校から大学に相当する教育機関に対して行った公的支出の国内総生産(GDP)に占める割合を発表した。日本は2.9%で、比較可能な35カ国のうち、3年連続で最も低かった。

日本の教育公的支出低調 16年、OECD調査

日本の教育には公的支出が少なく家庭への負担が大きい。今回の新型コロナ禍でもオンライン授業への取り組みが遅れている。にもかかわらず「派手な改革」に飛びつくのは知事たちが地道な投資よりも派手な改革を成し遂げたという自己満足に浸りたいからなのだろうと思えてくる。実際にこれを言い出したのは「改革派」のイメージが欲しい知事たちばかりである。マスコミに取り上げてもらえる見出しが欲しいのだろう。

そればかりか総理大臣が飛びつきそうな話題を取り上げて地方発で議論が進んだという印象をつけたいという思惑さえ感じられる。実はこの9月入学論は第一次安倍内閣の政策だったのである。これについて2007年当時の記事を漁ってみたのだが新聞社などでまともに取り上げているところはなかった。記憶を思い起こしてもそんな議論が行われているなどと聞いたことはない。

検索したところ現世田谷区長保坂展人の記事が出てきた。支持率の低下に悩みはじめた安倍政権が教育改革で支持率をあげようと画策したと批判的に書かれている。

おそらく「日本の政治は日教組に牛耳られておりその日教組が民主党と組んで日本を改悪しようとしている」というような文脈なのだろう。「自分らしさ」を追求しようというゆとり教育を廃止し道徳教育を取り入れ国を尊敬するようにしなければならないというような話と一緒にグローバルスタンダート確立ということで9月入学も語られたようだ。世界に通用する立派な人材を育てたいが教育についてまともに考えたことがないのでこの程度の思いつきが答申になって生き残ってしまうのである。グローバル化対応ということで始まった英語試験改革も着手はしたものの思うようには進んでいない。

その後、第二次安倍政権では国立大学への支出が減らされて行き、加計学園の特区を使った私物化が行われた。前川喜平文部科学事務次官はこの特区方針に逆らおうとしたとされ、天下りあっせんと出会いバー通いの問題で職を離れることになった。のちに前川喜平は「総理のご意向発言があった」と証言し現在までこの問題が尾を引いている。

教育は政治家にとってみれば単なるおもちゃでしかない。教育を語ることで天下国家について考えのある立派な政治家だと思われたいのだろうが、深く考えたことがないので単なる思いつき以上のものにならないのである。さらに実際に行動すると私物化につながってゆく。

おそらく今回の9月入学論の一番恐ろしいところは2007年という10年以上の思いつきがどさくさに紛れていとも簡単に亡霊のように復活するところである。おそらくその動機は「なんか派手なことを言って新聞の一面を飾りたい」という程度のことなのだろう。本当に必要な人たちに支援は届かず、国民はいつも政治家の思いつきに振り回される。こういう状態が続くと政治などない方がよっぽどうまく行くのではないかとすら思えてきてしまう。

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