錯綜するスーパーシティ構想議論

Twitterでスーパーシティ構想に反対するタグがついていた。監視社会になるのだという。なぜそうなるんだろうかと思ったが、案の定監視社会のタグは1日で消えた。




Quoraで検索してみるとスーパーシティでいくつか質問が出ていた。2019年の6月頃に一回話が出ているようだ。だが、どんな話だったのかさっぱり覚えていなかった。官邸のウェブサイトによると国家戦略特区の一環らしい。「戦略」という言葉とは裏腹に戦略なき迷走が続いている。

自民党は2009年に下野してから公共事業に倒錯した感情を持つようになった。コンクリートから人へという民主党の方針に従って「公共事業が悪である」というような印象が生まれたからである。このため自民党の憲法案には「公」という言葉が多用されている。公共のためであれば私権を制限して公共事業を推進してもいいだろうという一貫した哲学が感じられる。安倍自民党の政策には民主党時代からのルサンチマンが積み重なったものが多い。

安倍政権が政権に復帰した次の年の2013年には早くも「国家戦略特別区域」という概念が作られた。そもそも名前に中国共産党への憧れがある。独裁国家として中国のような経済特区を作りたいのだろう。

このWikipediaを見るとわかるのだが、官公庁を仮想敵にした呉越同舟であることがわかる。アメリカは日本の官公庁の規制を問題視しており教育の専門家も文部科学省と厚生労働省にまたがる規制を快く思っていなかったようだ。

だが実際に起こったのは安倍総理大臣の「お友達」による特区制度の私物化だった。石破茂地方創生担当大臣が抵抗し「石破基準」を作ったが加計学園獣医学問題では瞬く間に骨抜きにされ、前川文部科学事務次官は官邸の意向に背いたとして放逐された。その後総理大臣が関わっていたということで野党の標的になり国会議論は紛糾した。

スーパーシティの思惑は中間報告書によく表れている。政治を利用して民主主義社会からの離脱を図ろうとしているのである。おそらくは国家統治に対してきちんとした定見が持てなくなっている。利害調整を単なるわがままだと感じているのだ。

  • 国・自治体・民間で構成する機関(従来の特区の区域会議をさらに充実・強化した、いわばミニ独立政府)が、域内の開発と運営の主体となる。
  • 開発計画/運営計画の策定・改訂: ミニ独立政府で計画案を作成し、住民・地権者の合意確認 を経て確定(まだ住民不在のときは地権者のみ)。
  • ミニ独立政府の責任者として、社会設計を担うアーキテクト を置き、権限を付与。

「独立政府」という言葉に安倍官邸とそのお友達の気持ちが現れている。つまり、今の民主主義は「うるさいことが多すぎて」金儲けができないと考えているのである。ミニ独立政府という言葉はいわば強欲なクーデターである。

政府の行政執行能力に対する疑念は高まっている。安倍政権はマスクも配れず、地方の保健所に通達することも集計することもできないことがわかった。さらにITシステムの構築能力は壊滅的に低い。前回「安倍政権はトラバントのような旧式のITシステムしか作れない」と書いたところ普段の二倍の閲覧数を集めた。つまり、ミニ独立政府は無能で強欲なクーデータである。

官邸はスーパーシティを「地域の「困った」を最先端のJ-Techが、世界に先駆けて解決する。「スーパーシティ」構想はこうした「まるごと未来都市」の実現を、地域と事業者と国が一体となって目指す取組みです。」と説明するがITシステムすらまともに作れない人たちから最先端のJ-Techと言われても冗談にしか思えない。

今、この法案が審議されているのはおそらく「炎上しない限りは今あるプロジェクトを止めない」程度の話なのだろう。つまり、今の政府は「何でもかんでも集団で炎上しないと止められない」という状態になっている。つまり日本の主権者は一人ひとりの有権者ではなくTwitterの群衆なのである。世界でも珍しい群衆型民主主義社会である。

そうなると反対する方も「とにかく炎上させて反対すればいい」ということになってしまう。そこで火がついたのは監視社会である。オーウェルの1984年のようで極めてわかりやすい「安倍独裁論」だ。きっかけになったのは共産党議員の質問のようだが、いかにも昭和のSF的な独裁国家感である。おそらく野党議員の側にも「どうせ日本の有権者はバカだからこの程度単純化してやらないと問題がわからないのではないか」という侮りがあるのではないかと思った。

Twitter民主主義はいかにも荒っぽい。案の定、この反対論は1日で消えた。次に話題になるのは実際に私物化が起きた時だろう。その時また国会議論が空転し貴重な時間が浪費されるに違いない。

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