モテという曖昧で狭い何か

モテたことがない。モテたことがないので何がモテかわからない。だが、テレビで渡部建さんが「イケメン芸人」と呼ばれるのを聞いていて強烈な違和感に襲われた。渡部さんはどちらかというと「コドモ顔」の大人だからだ。イケメンには思えない。




まず、渡部建さんがヒルナンデスに起用された経緯を書いている文章があった。お笑い芸人としてはそこそこ売れていたのだが「それほどでもない」というところが魅力のようだった。どちらかというと「嫌われない程度に清潔な顔」というのが起用の理由だったという。狙ったのは若年の女性だそうだ。

まるでカタログかチラシのタレントを決めるようなやり方である。これを読んでモテとイケメンは違うんだと思った。図式にしてみた。

まず、ブサイクと呼ばれる範疇がある。お笑い芸人だとこの範疇に入っても商品価値がある。だが普通は「ヲタク」などと言って嫌われる。例えば髪の毛が乏しいとか背が低いなどなんらかの問題を抱えているような人たちがここに入る。

このブサイクのレンジは実は幅が広い。吉本男前・ブサイクランキング2019年版には「明らかに顔の造作に問題がある」のはアインシュタインの稲田直樹さんという人だけで、あとはそこそこ見られる程度の人である。つまり、ブサイクというのは不快ではないがちょっといじれる程度の人のことを言っている。

同じようにイケメンランキングを見ても「ああこの人は綺麗だな」という人はあまりいない。どちらかというと平均より少しましな程度の人が多い。そしてEXITの「りんたろー。」さんが両方に入っていることから実際には美醜の判断基準はそれほど明確でないこともわかる。

テレビでいう「モテ」は普通よりちょっと飛び出たくらいという意味なのだろうと思われる。大学でいうと東大・京大や早稲田・慶応はモテではない。おそらくMARCHクラスがモテなのである。いろいろ分析はできそうだが「無理目な線は狙いたくないのだろう」と仮置きして先に進むことにする。

これがジャニーズになると当然水準は上がる。それでもファッションモデルになれそうな人はトップスターではない。ジャニーズではファッションモデルはどちらかというと傍流のキャラクターだった。今後はちょっと変わるのかもしれないが、どちらかというと背の高さが標準かそれ以下で子供っぽい印象を持っている人が選ばれてきたような印象がある。先ほど亡くなったジャニー喜多川はその辺りの見極めが天才的に上手だった。

「そこそこイケメン」が求められるテレビであまりにも完璧すぎると周りをすべてイケメンと美女で揃えないと浮いてしまう。つまりテレビドラマや映画で成立するレベルのイケメンには意外と使いどころがない。

さらにそれを超えると「くどい顔」ということになってしまう。今度は欠点になってしまうということだ。例えば渡部建の前任だった谷原章介はモデル出身だが、沢村一輝や阿部寛よりはくどくない。沢村一輝は「エロ男爵」というキャラが必要だったし阿部寛はある程度年を取るまでは「きれいすぎて使いどころがない」俳優だった。実はモテとイケメンのゾーンは恐ろしく狭い。

ところがこれが韓国だとちょっと違っている。韓国のトップ俳優はとにかく体を鍛えていて、K-POPスターは化粧をして「自分を一段高く」見せようとしている。これは韓国が競争社会だからだろう。美容整形が一般的とも言われており「盛ってなんぼ」という世界である。また TC Candlerの男性のランキングを見ると、日本型の「親しみやすい男性」の他に「男性らしい男性」と「美しい男性」が含まれている。

おそらく男性らしい男性と美しい男性が排除されるのは女性の側が「自分に資源を投資してほしい」と考えているからだろう。女性は「自分の方だけを向いていてほしい」のであり、ジムに通うために時間を投資したりコスメにお金を使ってもらっては困るのだろう。

  • 日本は競争社会ではないので実力以上に自分を見せるより周囲に馴染んだほうがいい。
  • 資源の乏しいのでできるだけ自分と子供にたくさんの投資をしてほしい

女性はおそらく自分が輝けるように情報をたくさん持っていて自分の暮らしを彩ってくれるような男性が好きなのだろう。どちらかといえばサポーターかマネージャーのような存在を理想にしていることがうかがえる。女性にとって結婚は事業であり情報はその事業に成功するための武器なのである。

なぜそうなったのかを考えるのはなかなか興味深い。バブル崩壊直前に男女機会均等法が成立し女性も自分で暮らしを選択しなければならなくなった。ところがこれといった正解は提示されずまた社会からのサポートもなかった。さらにバブルが崩壊し「私らしくいられる」ための生活を確保するために必要なリソースが確保できなくなった。

そう考えてゆくと、現代の日本の「モテ」は他人から見てニーズがあるという意味はあっても、その人が努力しているとか遺伝的に素晴らしい資質を持っているという意味ではないということがわかる。ただ遺伝的資質がないとはいえ、あまりにもひどい遺伝子は「足切りにあってしまう」ことになる。あまりにもひどいものは「生理的に無理」と切り捨てられてしまうのだろう。

このようにモテについて考えてゆくとどうしても女性の側の困窮に目がいってしまう。渡部建が持っている情報というのはおじさんが欲しがるような情報である。つまりできるだけたくさん情報を得て競争に勝ちたいのだ。だが三つの問題がある。

  • 第一に女性は何が正解かわからない中で成果を競わされている。
  • 第二に女性が競争できる範囲は非ビジネスに限られている。例えばグルメ・ファッションなどの情報でしか女性は競えない。
  • 第三にリソースが限られているのでほとんどの人が競争に勝てない。

とにかく勝たなければならないのだが何のゲームをやっているのかよくわからないという中で女性は情報収集だけをさせられている。「ヒルナンデス」や「王様のブランチ」を見ればわかるが毎回膨大な情報が流れていて「あれをすべて知らないと勝てない」ことになっている。その意味では男性がワールドビジネスサテライトを見るより苛烈なのだ。男性は「何かをたくさん売る」とか「儲かるビジネスを考える」というようにだいたいゴールが決まっているのだが女性にはそのゴールがない。

結局は「ヒルナンデス」や「王様のブランチ」は誰か他の人のお金儲けのために情報を流しているわけで、女性は本質的にゲームに勝つことはできない。その怒りが渡部建の不倫で一気に個人への怒りに変わった。だが、女性たちはおそらく自分が何に怒っているかは気がつかずに次のモテを探し始めるのだろう。

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