お金が約束通りに届かないという怒りは今後の政局にどう影響するんだろうか?

このところSNSはさかんに政局関連の情報を流している。安倍政権の終わりがいよいよ見えているからだ。ワイドショーもこの手の話題と韓国の話題で持ちきりである。だが足元では全く違ったことが起きているらしい。約束したお金が届かないという人がいるらしいのである。これは国内政治を見る上で大きな潮流になりそうだ。




フォロワーが2700人を超えてしまった我がスペースには実務家の人たちがいる。中小企業の支援をしているようである。このうちの一人が「持続化給付金の給付が遅れている」と書いてきた。どうやら、支給が遅れている人がいるらしい。おそらく何かが起きているらしいのだが何が起きているのかよくわからない状態になっているようなのである。

雇用調整助成金もかなり「やばいことになっている」という。また10万円給付も配布が遅れている。千葉市では35万通の申し込みがあったそうで、7月になってからようやく週で8万人から9万人へ支給ができる体制が整うそうである。つい先日奥さん同士が「千葉市のシステムに番号を入れると今どうなっているかわかるらしい」と話し合っているのを耳にした。両方ともあきれた様子だった。

政治のニュースを見ていてもこうした話は一切伝わってこない。こういうSNSがなければ「何が起きているのか」を話し合うことすらできないという状態になっている。

前回は「わけ知り顔の人が自信満々にいろいろ書いている」という感想を書いた。大きい話題が好きな人がいて大抵つまらないことを書き続けている。だが、こういう実務家の情報が入ってくると「やっていてよかった」と思える。政治には自分を大きく見せたいという人と目の前にある問題を解決したいという人がいる。当然、問題を解決したいという人たちの方が情報量が多い。おそらくこうした人たちの声をきちんとすくい上げた方が有益な政治の実現には早道だろう。

中小企業経営者はサイトという問題をいつもかかえている。小切手の不渡りが2回続くと銀行の取引停止になってしまう。実質的な倒産である。にもかかわらず政府は平気で支払いを遅らせるし謝りもしない。この意識のズレはイデオロギー対立ではなく単純に怒りを生むだろうなと思った。

これはすなわち「来週のお金」が命綱になっている人たちと、明日のお金が保障されている人たちの違いなんだろう。考えてみれば議員や官僚は明日のお金が保障されている人たちである。だから「来週のお金が来月になること」のインパクトはわからない。考えてみればテレビ局で番組を作ってる人も新聞記者そうなんだろうと思う。怒りが共有できないのだ。

さらに、お金をもらえた人もいる。すると今度は「書類に不備があった申請者が悪い」という感情を持つようだ。自己責任競争社会が骨の髄まで染み込んでいてついついマウンティングしてしまうのである。共感型の問題解決ができない社会なのである。

おそらく、政府が約束した金を約束した期日に払ってくれないというのは中小規模の企業経営者にとっては大問題である。そして意識の違いは怒りを生むだろう。だがそれがどちらに働くのだろうかと思った。これがわからない。

第一のシナリオはこうした怒りが共有されて政治的なうねりになるというものだ。Twitter運動につながるかもしれないし、投票結果としてある日突然現れるかもしれない。ところが第二のシナリオもある。日本は徹底した自己責任社会なので怒りを表出させると逆に「お前が悪い、黙れ」と言われてしまう。つまり彼らの怒りはどこにも向かわないかもしれない。これは無力感と無関心を助長するだろう。

世襲で「自民党を動かしている」人たちにこの声が聞こえているのかと考えると、正直それは疑問である。おそらくこういう人たちは選挙対策を地元の秘書らに任せているだろうからだ。実は実務家が諦めてくれた方が世襲政治家には都合がいい。彼らが投票に行かなくなれば既得権を持った人たちだけで政治が進められる。

こうした怒りはしばらくは地下に溜まってゆくのではないかと思う。それがこのあとこれがどう影響していくのかというのはしばらく経過観察をしてみたい。

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