Workationといううさんくさい英語がさらに政治家の手でうさんくさくなる

菅官房長官が最近暴走している。GoToトラベルキャンペーンを主導していると言われ、さらにWorkation/ワーケーションという言葉まで推進し始めた。昭和の伝統では英語さえ使えばなんでも推進できたはずなのだが、令和の常識では政治家が言葉を使うとそれだけでダサくなってしまう。そればかりか菅官房長官が持っている「統治感覚」がかなり如実に表れている。おそらく安倍政権の8年で菅さんの立ち位置は「総督」に昇格したのだろう。




植民地における総督とはつまり母国に変わって植民地からの搾取を最大限にする人のことを指す。GoToトラベルキャンペーンでは旅行者は一般的に統計数字として扱われている。

先進国で市民が旅行に行くのは自分が楽しむためである。だから旅行を奨励するならまず「楽しめる環境を作って欲しい」と考えるのが自然である。だが総督から見ると観光産業は自らの支配地である観光産業を富ませるためにあるのであって、植民都市の住民の楽しみなど二の次だ。だから総督とその代理者は「遠慮しながらも旅行に行って支出をするように」と奨励し、憐れみ深いことにその何割かを補助してやろうという。もちろんその支出は当然課税される。

だが総督はそれでは満足しなかった。そこで出てきたのがWorkation/ワーケーションという言葉である。この言葉自体は英語で使われてきたもので和製英語ではない。Urban Dictionaryにも「リモートで仕事をする意味だ」というようなエントリーがある。だが使われ方は全く異なっている。異なってはいるのだが日本の労働者にはおそらく理解ができないものだろう。

まず自分で仕事時間を調整できるという背景があり、次にITと公共ワイファイの推進でオフィスにいなくても仕事ができるようになった。ジャンルとしてはノマド・ワークと同じ発想である。西洋の民主主義国の市民たちの中から立ち上がってきた知的労働者という新しい貴族階級の働き方がWorkation/ワーケーションなのだ。

CNNの2017年の記事を見つけたのだが「自分で仕事を調整できる余裕のある階層」の人たちが特権的にリモートワークを楽しみながら人生も豊かにできるという前提がある。西洋の市民には生き方を自分で選ぶ自由がある。これは日本人が望んではいけない自由だ。

この「豊かさを前提にした働き方」という前提条件はアメリカでも壊れかけている。新型コロナウイルスの蔓延で多くの人が仕事を失っているし、おそらくリゾートどころではないだろう。そんなに流行した用語でもないようだが、今Workation/ワーケーションなどという言葉を持ち出せば「何を言っているのだ?」と言われるだろう。アメリカでは4月の失業率が15%近くあった。6月には11%程度に下がっているようだが、まだそれでも「バケーション」どころではない。

アメリカでリモートワークが成り立つのは「私の仕事はここからここまで」であり「これをやったら目標達成だ」ということがはっきりしているからだ。これをJob Discriptionという。日本語では職掌分担と言われることが多い。アメリカにもエッセンシャルワーカーはいて彼らにはリモートワークの自由はない。こうした階層には黒人が多くBLM運動のきっかけの一つになっている。致死率がかなり違っていて差別が顕在化したからである。

例えばデザイナーはイメージボードを客に見せて「だいたいこういう方針で」ということを決めて「クリエイティブブリーフ」という文章を作る。これを顧客と合意することで実際のデザインワークを始める。このようにアメリカでは知的労働者は尊敬されており分業も進んでいる。これがサービス産業の生産性を押し上げる一方で自分の時間を確保する働き方の推進につながっていた。

だが日本の知的労働者は奴隷階層なので、そもそも文書で仕事を区切るという発想がない。場合によっては責任者自体が何を目指しているのかわからないままで仕事を進めて行き最終的に「とにかく締め切りまで何回もやり直しをさせるのが偉いのだ」と思い込んでいる人もいる。

日本には「とにかくいうことを聞かせるのが偉い」という謎の価値観がある。日本の知的労働は役割ではなく身分である。お金を払って時間を買ったらその時間は雇用者のものであって労働者のものではない。だから、最大限稼働させなければ損なのである。

学校側もこれに呼応する。デザイナーは請負なのだから「お客のいうことはなんでも聞かなければばならない」という奴隷教育が行われている。ご主人様の顔色を伺って気にいるようなものを作って差し上げるべきなのである。何せ代わりはいくらでもいるのだから生意気を言ってはいけない。

同じようなことはプログラミングの世界でも行われている。プログラマーはIT土方でありITを知らない人の方が偉いことになっている。ITを知らないわけだから自分が何を指示しているのかわからない。だから曖昧な指示を出す人ほど出世する。

新型コロナウイルス関連のITシステムがどれもめちゃくちゃだったことを覚えている人も多いと思うのだが、その理由は簡単である。ITができない人ほど偉くなるのだからそもそも指示などできるわけがない。だがそれでいいのだ。IT担当大臣にはもっともITが苦手な人が就任させるのが日本である。奴隷労働者をつけあがらせないためにわざとハンコ好きの高齢者を地位に据えたのかもしれない。

インドではヒンドゥ語がわかってもそれを隠す人がいるという。支配階層の言葉ではないからである。同じことが日本でも行われる。専門知識を持っているということは奴隷階層出身であるということを意味する。

政府は観光を統計の問題と考、働き方では身分制社会さながらの非効率な働き方が蔓延する。そんな中で新興貴族階層の余裕のある働き方である「Workation/ワーケーション」という言葉を持ってきて問題を解決しようとする姿勢に絶望感を通り越して乾いた笑いまで起きてしまう。

合理的な社会では、新型コロナを抑えなければ経済を再開できないから検査数を増やして新型コロナ感染を抑え込もうと考える。そのために丁寧な検査はできないとなれば、じゃあどうやって合理化しようかと考えるべきである。そしてそれをやらせるのは市民階層の役割であり具体的に利用されるのがマスコミである。

だが日本人はそのようには考えない。あくまでも日本の政治の基本は統治だ。保健所が大変だといえば検査数を絞ろうとし、観光客が減っているとなるとじゃあお金を払って出かけさせようとする。東京で感染者が増えているとなれば7割は会社に出てくるなという話になっている。国民の幸福度を最大にするために総合的な政策提案をするという発想は与党にはないしおそらく野党にもないのだろう。

日本人の専門職は奴隷的な仕事環境しか知らないのでそもそも政府に反対できない。お上にたてつくのはいけないことなのでマスコミは政府批判をしない。政府が宣言するまで気を使って第二波という言葉を使えない。だからワーケーション/Workationは「和製英語」であるという空虚な反論だけがTwitterでは飛び交っていた。

おそらく自民党はこの先も安泰であろう。

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