国家目標なき「自民党新国際秩序創造戦略本部」が最後に行き着いたもの

甘利氏ら自民党議員たちがTikTokの禁止を政府に提言という記事がテレビで取り上げられた。単に中国企業をいじめてケチをつけているみたいにしか見えないニュースだったのだが、よく観察すると日本の迷走ぶりがよくわかる。その迷走ぶりの理由も明らかだ。ここから日本人が国家ビジョンに何を求めるのかを考えてみたい。




TikTokは中国企業ByteDance社が開発したアプリである。若年層を中心に広がっているそうである。これが各国の中国いじめの対象になっている。甘利氏らの話は「アメリカでも禁止の動きが出ているから日本でも禁止すればいいのではないか」という提案なのだ。

なぜこれが「単なるいじめ」なのか。中国と緊張関係のあるインドでは中国製アプリが禁止されてTikTokもこの中に入っていた。インドが中国製アプリを禁止したのはナショナリズムの高揚の結果だが、政府はその理由を公にしていないそうだ。

アメリカなどのアングロサクソン諸国でも禁止の動きがあるのだが、今の所、ByteDanceが中国政府や共産党に情報を漏らしているという証拠は見つかっていない。おそらく「疑いがあれば十分」とばかりに禁止することになるだろう。領事館閉鎖に踏み切ったトランプ政権はすでに一線を超えている。

そもそも新国際秩序創造戦略本部とは何なのだろう。これは甘利さんの肝いりで自民党政調の中に作られたプロジェクトである。安倍政権の後継を目指しマスコミに注目してもらうためには話題が必要だ。このため自民党の中に様々な動きがある。新型コロナウイルスの対策が出てこない中、盛んに「プラスティック分別問題」や「自衛隊オークション」や「ワーケーション」などのニュースが流れてくるのは実はこのためである。よく観察してみると皆、政治課題のない神奈川県の人たちである。

産経新聞の記事を読んでみたのだが「あらまほしき」という古色蒼然とした貴族語があり頭を抱えてしまった。甘利さんはこういうのをかっこいいと思っているのだ。

新国際秩序創造」というのは、新型コロナウイルスの長いトンネルを抜けた先の国際社会の景色を、あらまほしき(あってほしい)姿に近づけようということです。

自民・甘利氏インタビュー詳報 コロナ後の世界「あらまほしき姿」描く

つまり日本の「こうだったらいいのにな」を話し合う集まりになっている。だが実質は甘利さんのポジションを宣伝するための会である。甘利さんは自己宣伝に余念がない。

私は経済安全保障という概念を最初に政界に持ち込んだ人間だと自負しています。

自民・甘利氏インタビュー詳報 コロナ後の世界「あらまほしき姿」描く

では岸田さんはどういう意図でこんな会を立ち上げさせたのか。これは岸田さんを次の総理大臣にするための戦略である。側近がこう説明する別の記事を見つけた。

座長には安倍晋三首相の盟友、甘利明税調会長が就任。岸田氏周辺は起用の理由について、岸田派が次の党総裁選で甘利氏が所属する麻生派との連携を視野に入れているためだと明かす。甘利氏を据えることで「岸田氏の背後に麻生太郎副総理兼財務相もいると各派に思わせる」と解説する。

「コロナ後」国家像で主導権争い=岸田・稲田氏ら、ポスト安倍にらみ―自民

岸田さんたち保守本流の流れを汲む人たちは吉田茂の孫である麻生元総理を取り込みたい。甘利さんは麻生さんと関係が深く俺は「国家観」を主導するリーダーだよとアピールしたい。令和貴族が考えているのはだいたいそんなところなのだろう。

令和貴族たちが国家観作りに励む中、実際の統治戦略はうまくいっていない。まず岸田さんは自民党政調を管理できていない。和牛券のようなあからさまな利益誘導作が出てきたかと思えばようやくまとめた新型コロナ給付案を公明党と二階幹事長に潰されてしまった。岸田さんは注目されず「頼りないリーダー」だとの印象がついた。

そして誰も岸田さんをサポートしようとはせず、明日の夢ばかりを語り合っている。これでも潰れないのだから日本というのは改めてすごい国である。

実際には岸田さんは甘利さんにも舐められているようだ。「ぼんやりしていると自分たちが前に出るよ」とは麻生・甘利組は早くもキングメーカー気取りである。

岸田文雄政調会長は当初「戦略本部ではなくプロジェクトチーム(PT)でお願いします」といってきた。しかし、極めて大きな構想なので戦略本部としました。本部長は岸田さんが就任します。控えめな人だが、「ポストコロナ」の絵図を描きたいのならどんどん前に出ればいい。

自民・甘利氏インタビュー詳報 コロナ後の世界「あらまほしき姿」描く

もともと保守本流が総裁選アピールのために始めた会議体だが実際には稲田・下村さんなどが主催する元の保守傍流との「主導権争い」と見なされているようである。提言はマスコミからはほとんど注目されてこなかった。

そもそも日本の国家観と何だろうかと考えて見るのは面白い。ちなみに安倍総理の国家観は「美しい国」という漠然としたものだった。こうした国家観がもてはやされるのは日本は軍事的に去勢された国家であり経済的には中国に依存せざるをえないからである。現状の惨めさを払拭するために国家観は力強く大きく見えなければならないのだ。ただこの夢見がちな総理大臣は実務派の人たちに支えられてもいた。彼らのやる気を吸血鬼のように奪い取った後の自民党には実務担当者がいない、ということが今回の一連の政局からわかる。今や30才以下の7人に一人は辞めたいと思っていて半数が「もっと魅力的な仕事に就きたい」と答えたそうである。

歴史的に見ても日本の国家観は「列強みたいになれば日本も尊敬してもらえる」だったり「アメリカについて行けば日本も豊かに見える」という追随と模倣政策だった。官僚になっても国家作りには携われない。ただひたすら政権の尻拭いをさせられるのである。その反省もなく次の人たちは新しい夢を思いついてはマスコミに投げ続けている。

結局のところ日本の戦略とやらには誰も注目せず「あのTikTokが使えなくなるとやだなあ」ということや「中国は生意気だから懲らしめてやれ」という庶民感情だけが注目されることになった。発信する政治家側も受け取る国民側も、戦略的な国家ビジョンに全く期待していないことだけがわかる。ただ、中国をいじめたい人は多い。共産党は怖いし中国経済は強大だ。だったら一企業を吊るし上げればいいじゃないかというのは完全にいじめの発想である。

ビジョン(ビッグピクチャー)など立てられるはずもない自民党政調の「新国際秩序創造戦略本部」が最後に行き着いた先は中国企業いじめだった。おそらく昭和の国家ビジョンを持ったままの庶民が提案するとこうなる。当然とも言えるのだが、国際社会が激変する中で国家ビジョンを作れるエリート階層のいない日本が誰にも牽引されず漂流し始めたことを示してもいる。

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