正解を失って立ち止まる日本と分割に向かう中国

面白い議論を見かけた。中国が香港に対して国家安全保障法を施行したことに関して議論をしていた。これを見ていているとこの議論がなぜ収束しないのかがよくわかる。さらに日本人が民主主義をどう捉えているのかということもわかって面白かった。おそらく日本人は民主主義を制度・正解として捉えている。




まずアングロサクソンと中国の間には超えがたい対立がある。

  • アングロサクソンは国家が個人の価値観に土足で踏み込むような政治体制を「一切」許容できない。さらにアングロサクソンは集団主義的な安全保障の文化概念を理解できない。
  • 中国は秩序の中に暮らしたいと考えているので個人が社会秩序に挑戦するような活動を許容できない。

厄介なことに両者とも自分たちの体制を民主主義と呼んでいる。アメリカ人にとって民主主義とは個人の自由を守ることを意味するのだが、中国人にとっての民主主義というのは共産党の支配のもとで「みんなが仲良く暮らす」ことである。お互いにこれが理解できないので永遠にこの二つは交わることはない。

これ自体は特に珍しいことでも新しい発見でもない。ハチントンの「文明の衝突」を読めばアメリカ人がイスラムという集団主義が理解できないことがよくわかる。今回起きていることは単にこれの「中華バージョン」である。おそらくこの手の話題に興味がある人は文明の衝突くらいは読んでいるだろうからことさら説明することは何もない。

面白いなと思ったのはこの先だった。議論としては中国は資本主義と社会主義という一国二制度は受け入れたが(西洋型の)民主主義はこの中に入っていないという議論が先行していた。一国二制度は中華人民共和国が台湾を併合するために考えられた議論らしいのだがこれを香港に応用したと言っている。つまり、共産党にとって一国二制度とは資本主義の果実を取り込むための工夫に過ぎない。だから共産党指導体制が壊れる様なことがあっては元も子もないわけである。

日本人側はこれが約束違反だと言っている。だが何の約束なのかという点は曖昧だ。イギリスがそう言っているからそうだという様な主張である。そこで中国人が「おそらく中国とアメリカでは民主主義が違うんでしょうね」とまとめた。実際に違っているのは民主主義という制度ではなくその背景にある社会志向なのだろう。

ところが続きの話を読んでみると日本人がこれをよく理解できていないことがわかる。日本人はおそらく背景にある文化概念の違いがよくわからないかあるいは重要だとは思っていないのである。

日本は第二次世界大戦後「戦争に勝った人たちの制度だから優れた制度である」として民主主義を丸呑みした。つまり民主主義・資本主義体制というのはその時点の「正解」だった。そしてGHQのいう正解の通りにやったらうまくいった。日本人にとってはそれで十分だったのだろう。

「これが正解だ」とわかった時の日本人は強い。急いで制度を理解してそれを自分たちのものにした。だが、日本人はその精神である個人主義にはまるで興味を示さなかった。出来上がった答えだけ丸暗記してテストに答えた方が効率的に良い成績がとれると考えたのだろう。

  • アングロサクソンは民主主義を個人主義的を守る価値体系だと思っている。集団主義は全く理解できない。
  • 中国人は秩序の中で安心したいので体制打倒につながるようなものは許容できない。
  • 日本人は民主主義を制度として捉え背景にある個人主義には興味がなく理解もできない。

ので原理的にこの問題は絶対に解決しないうえに、日本人が中国人に説得を試みてもまるで響かない。中国はとりあえず別のやり方でうまくやっているからである。

にもかかわらず日本人は民主主義を正解だと感じている。だから日本人は正解を他人にも教えてあげて間違いをただしたくなる。ただ個人の選択という問題については語れないので制度論を突き詰めて行きどんどんと議論を精緻化する。日本人はとても真面目なのだが全く意味がない。

ただ、この構造が分かるといろいろな問題を読み解くことができる。

先ず日本人がこの数十年抱えている不安の正体がわかる。経済がうまく行かなくなりアメリカも頼りなく見えてきた。つまり正解がなくなったのだが日本人はそのことを無視し続けている。正解がなくなることには耐えらえないのでアメリカの問題には目をつぶっている。皮肉なことにますます正解としてのアメリカの固執してしまうことになる。おそらく日本人も薄々アメリカが失敗しつつあり「不正解であるべき」中国が伸びていることはわかっている。この認知不協和を解消するために日本人は中国崩壊論を読みたがる。

アメリカという背景が唯一のよりどころになっている自民党と有権者の間の問題はかなり独特である。日本人にとって自民党とは正解のノートを持っているありがたい友達である。だから有権者はこれまで通り自民党が正解を提示してくれるのを待っている。おそらく今「安倍総理が何か秘策を練っているはずだ」と期待しているだろう。安倍総理は何もしないほうがいい。何かをすれば策がないことがわかってしまう。自民党の側もおそらく有権者に正解を求めている。もうノートには何も書いていない。

おそらくこれをバックアップするのが立憲民主党の役割なのだろうが停滞の理由もわかる。立憲民主党は民主主義についてとても真剣に考えているが実は彼らが考える民主主義には二つの側面がある。

  • 個人の選択権の拡大という価値観としての民主主義を主張することがある。蓮舫議員のTwitterを見ているとよくわかる。だが、日本人はおそらくこれに全く興味がない。それどころかリベラルの絵空事として軽蔑の対象にすらなってしまう。
  • 制度やプロセスとしての民主主義がある。「憲法という教科書にそう書いてあるのだからおそらくそれが正しいのだろう」という議論は憲法第9条の議論などを読んでも顕著である。

立憲民主党の落ち込んでしまった穴はとても深い。おそらく立憲民主党は民主党時代の失敗を通じて「不正解」だと見なされている。彼らがいくら正論を叫んだところでそれは正解にはなりえない。だから価値観としての民主主義について語り新しい可能性を提示しなければならないのだが、日本人はおそらくこれに全く興味はない。だから立憲民主党は支持されない。

最後のこの議論を見ていて中国の将来も見えたような気がした。序列と秩序にこだわる中国人が全体的に崩壊することはおそらくないだろう。ただ、中国の国内には軍閥から生まれた利益集団があるようだ。兵団と呼ばれているらしい。新疆ウイグル自治区の新疆生産建設兵団の領地はが各地の開拓を担当しているようだ。領地は虫食い的になっているそうである。開拓が終われば今度はお互いに勢力争いが生じるだろう。あるいは「国境を越えて」西進するかである。

こう考えると開拓余地を失った人たちが新規領地を求めて外に拡張して行く理由がわかる。おそらく日本人やアメリカ人が戦うのは共産党や人民解放軍ではないということになるが人民解放軍や共産党はそれを認めることはできないだろう。

階層的になるのか分裂するのかはわからないが、おそらく彼らがこのまま13億人の一つの塊を維持することは不可能だろう。ローマ帝国にあったキリスト教の様な精神的支柱もないのだから維持可能な集団に分割されるはずである。領地がきれいに別れることもなさそうなので神聖ローマ帝国の様な虫食い的な領地構成になるだろう。

おそらく国民党と共産党というのはその最初の分裂なのだろうと思う。お互いの政治思想はそれほど重要ではなく、お互いに軍隊を持った独立した集団であるということが重要だったのだと思う。

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“正解を失って立ち止まる日本と分割に向かう中国” への5件の返信

  1. こんにちは。
    アメリカと中国の民主主義の捉え方の対比、面白く読ませてもらいました。
    中国政府、もしくは共産党の主張が「中国は秩序の中に暮らしたいと考えているので個人が社会秩序に挑戦するような活動を許容できない。」であることは納得しました。中国が分裂に向かわざるを得ないのも分かります。

    しかし、大陸の中国人は、本当にそう思っているのでしょうか?「秩序の中に暮らす」ことの恐ろしさは例えば薄熙来事件や銅鑼湾事件を見れば自明かと思います。大陸中国人、とりわけあるレベル以上の人達は、恐怖を身近に感じていることと思います。そもそも「秩序」とは、時の権力者が恩恵として与えてくれる物である以上は、権力闘争の行方次第で身の安全が脅かされるのは当然です。それゆえ彼らは子弟や財産を「アングロサクソンの民主主義」のゾーンに避難させ、自分も逃げられるように準備しています。中国民主主義でのリターンはキープしつつ、アングロサクソン、というか西側の民主主義でリスクヘッジをしているわけですね。

    中国的民主主義を信じている(信じざるを得ない)のは、中華ネトウヨのような人達と思います。最も西側の民主主義を信じているのは、習近平を初めとする共産党幹部です。だからこそ、彼らは西側の金融機関の管理下のタックスヘイブンに蓄財するわけです。「文明の衝突」の敵役たるイスラム集団主義も、指導者は西側に財産を預けています。
    各国の指導者たちがどのような国に子弟を送り、教育を受けさせ、ショッピングを楽しみ、資産を逃避させているかを見れば、西側の民主主義が普遍的な正解であると言わざるを得ません。西側の民主主義を信じる指導者は、西側以外の自称民主主義を一般人に信じ込ませて搾取している構図です。

    知らぬは日本の指導者ばかりだから、「水泳授業のあり方問うビラ配った都立高生を副校長が『私人逮捕』」のような事件が起きるのでしょう。日本の指導者は国際的なエリートとしての教養や意識が欠如しています。(その代わり本来の特権意識もないのでしょう。)

    西側の民主主義と中国民主主義は、共産党幹部の行動を見る限りはフラットな関係ではなさそうです。搾取する民主主義と奉仕する民主主義の関係にあります。あくまでモデレーター的な態度を崩さないHIDEZUMIさんは、「秩序の中に暮らす」ことが怖くないのでしょうか?

    1. 中国人が考える秩序意識についてはわかんないことが多いのでQuoraで質問しようと思っています。

      あと、個人社会の人が集団主義社会の秩序を眺めた時「上が下を押さえつける」みたいな見方をすることがあるんですが、集団主義社会の秩序というのはお互いの思いやりによって成り立ってます。だから相互理解は原理的にできないと思います。
      ただ、中国社会が国家レベルで「思いやりベース」になっているのかはわかりません。どうも中間搾取する人が出てきている(今までもいたのかもしれないですが)みたいですが、これも分裂の一つの兆候ですよね。

      1. 今の中国を見ると、「思いやり」は個人ベースではあっても、社会構造なのでしょうか?同族や派閥などの小集団ないでの相互扶助がベースと思います。
        もちろん「上が下を押さえつける」だけではなく、「下が同調圧力で自己組織化する」も並行しているとおもいます。自己組織化の綻びを上が押さえつけたり、自己組織化した複数の集団が反目したりするのでしょう。上はこのシステムを上手く利用すると同時に、いつでも個人主義の側に逃げる準備はしているのでしょう。
        いずれにせよ、地理的な分裂以上に社会階層による分裂が大きいと思います。個人主義社会のように個人がパラパラとアトム化(核家族化)していず、小集団で「ダマ」になっていることに分裂の芽はあると思います。
        また、伝統的に士大夫とその他大勢の差が文化的にはっきりしているのも要因でしょうね。しかも、国家自体が皇帝の家臣団であり国民国家ではなかったことも、軍閥の割拠の要因でしょうね。

        1. すみません、議論が拡散しそうなので一つひとつやります。今からこっちをやりますがリリースは1日置くので次の更新は明日になります。

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