安倍総理健康不安説を読んで感じた新たな戦前とその構造

安倍総理が吐血したらしいという記事を読んだ。FLASHのものだった。「面倒くさいなあ」と思った。この件についてシンプルに考えられなくなっているということに気がつかされたのだ。これについていい言葉はないかと思ったのだが思いついたのは「新しい戦中」だった。




まず経緯を整理しよう。7月6日に安倍総理が吐血したらしいという情報があったようだ。永田町で人々の話題に上ったようだがマスコミを通じて伝わることはなかった。この情報が最初に出たのは時事通信などの通信社だった。雑誌を読んだ人が菅官房長官に質問したようだ。あくまでも「人に聞いた話」となってる。この日付が4日である。だがテレビはこれも伝えなかった。

なぜ出典元の記事が出回っていないのかと考えたのだが、どうやらFLASHは「紙の媒体を買ってもらうために」ネットに出てくるのが1日遅れるらしい。8月5日になってから情報が出てきた。

この記事を読んでもはっきりしたことは何もわからない。あくまでも「吐血したらしいとみんなが言っている」と書いてあるだけだからである。テレビがこれを伝えることはないだろうなとは思った。そもそもいったい誰が「みんな」なのかがわからない上に周辺情報ばかりだ。5時間も動静がわからなかったとか時間がないと言ったとかそういうことである。確かに首相動静を見るとすっぽり時間が空いている。

総理大臣の健康問題は重要な政治情報である。全てが総理大臣の一存で決まるように見せてきたからである。だから政府はこれを隠さざるをえない。だが、よく考えてみるとマスコミも我々もそれに依存しているようなところがある。政府が慌てて騒ぎ出すまで大したことになっていないと思いたいのである。だから誰もこの話題に触れたくない。自分自身もそう思っているんだなと感じた。

どうやらこの戦争に負けているらしいと誰もが感じる時代があった。だが誰もそれを確かめて見なかった。事実を確認するのも怖いし周りの同調圧力にも逆らいたくない。それくらいの異常事態にこの国は陥っているようである。

ただ問題はそれだけではなさそうである。

新型コロナで打ち手が限られているので政府は全面に出てきたくない。そもそも規制すべきかどうかということに統一見解が作れないような有様だ。結局は自己責任ということで私費でPCR検査を受けるのが流行っているのだという。野党は憲法第53条を根拠に国会の早期開催を目指しているが10月までは開催しないであろうと言われているそうである。つまり、あと二ヶ月は日本は法律改正を伴う一切の政治判断ができない。

さらに戦後70年間ずっと動かなかった正解が揺らぎつつある。アメリカが極めて不安定な状態にあるそうだ。都市だけでなく地域にも感染が広がり「新型コロナウイルスの拡散が新しいステージに入った」と言われているそうである。トランプ大統領はとても焦っていて「郵便投票は危険だ」と騒いでいる。このまま不安定な状態が続けばおそらく11月の大統領選挙はかなり混乱するだろう。トランプ大統領が負けを認めない可能性も高まっている。

ところが日本のマスコミはこうした動きを伝えることができない。安倍政権が恫喝しているからではなく視聴者からクレームが入るからだ。私たちの社会にはある種の正解がありその正解を脅かすような情報を扱うのがテレビ局は怖い。

健康不安説があるのならそれを払拭するために「説明」をしてもらえればいいだけである。だが、日曜討論に一人で出演している菅官房長官には明らかに疲れが見えた。おそらく野党の追及があったからこそ政権幹部は気を張っていたのだろう。こんな人に説明を求めても無駄だなと感じた。さらにNHKは追い打ちをかけるように菅さんを次の総理候補と持ち上げて見せた。これはおそらく期待を込めてのことなのだろうが、実際には逆の効果がある。

その効果が顕著に見えるのが西村経済再生担当大臣である。西村さんは総合的に政策を判断する立場にはないが連続100日会見をやっているそうだ。普段は政治家の透明性を賛美するマスコミも西村さんには批判的で「前に出過ぎである」と批判している。野党もこれを政局に利用する以上のことを考えていないようだ。無政府状態になっていると批判を強めている。

つまり、プレイヤー扱いされると「正解をいう人」というステータスがなくなってしまうのである。これは周辺の政治情報を語る人にも言える。安倍総理健康不安説を語る人にはなんらかの政治的意図がありそれに沿って動いているのではないかという容疑がかかる。つまり誰しもがプレイヤー扱いになってしまうのである。

日本人論の中に中空理論というのがあるのだが、まさかこんなところで実感するとは思わなかった。

正解が欲しいマスコミは安倍総理に「なぜ国会を開かないのか」と聞いていた。「野党の要求になぜ答えないのか」という体裁ではあったがおそらく総理に正解を語って欲しいのだろう。総理はつまり今「中空」に置かれている。中空とはつまり何の後ろ盾もなく正解を語ることを期待される神のような存在である。

テレビの向こうには大勢の視聴者がいて「総理はなぜ出てきてニュースバリューのある正解を提供してくれないのか」と不満を言っている。「神への期待」は野党よりももっと怖い。

戦前の内閣は「憲政の常道」と言って内閣に問題が起きたときには第二政党がバックアップになる伝統があった。ただ強いリーダーシップを望まずマイルドな集団主義的な傾向がある日本では天皇が直接指示はせずこれを「元老」と呼ばれる人たちが補佐していた。つまり、与党も第二党もプレイヤーであってその上に「調停者がいる」という状態を望むののが日本型の政治である。この元老機能がなくなると天皇は孤立し戦争が止められなくなった。

日本人は勝負に勝ちたがる傾向があるのでプレイヤー同士の調整ができない。これを抑えるためには審判のような人たちが必要なのかもしれない。だが安倍総理には最終ジャッジを下してくれる審判はおらずしたがっていつまでたってもリングから降りられない。それどころか今や別の存在として祭り上げられようとしている。

我々はある意味「終わりなき戦中」に突入した。

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