国民不在で「二階外し」に動くみっともない自民党とみっともない日本

なんだか不思議な事になってきた。菅義偉官房長官が総裁選に出馬する前から菅総理が確定してしまった。仕掛けたのは二階幹事長であるとされている。だが、時事通信の記事によると乗り遅れを懸念した他派閥(細田・麻生・竹下)を交えてポジション争奪戦が起こっているという。会見のニュースを見てみたがみっともないと思った。この世代の人たちが恥の概念を忘れてしまったことがみっともない日本を作ったのだろうとさえ思えた。特に麻生副総理は踏ん反り返っていて特にみっともなかった。何も成果がないはずのこの人はこんなに威張っていられるのだろう。




この会見がみっともない理由は少なくとも三つある。

最初のみっともない点はこれが基本的に好き嫌いによる仲間はずれゲームだからである。女子校(通ったことはないが)ノリが日本の政治を動かしているという点にみっともなさを感じる。内輪のゼロサム社会ではよく起こることだ。

最初に起こったのは「石破外し」だった。おそらく安倍総理と麻生副総理の間で話ができていたのだろう。彼らが最初に考えたのは不確実な動きをしそうにない岸田総理だった。だが岸田政調会長では党内はまとめられそうにない。いい人すぎて野心がまったく感じられないのだ。すると「ひょっとしたら石破?」という可能性が出てくる。それを防ぐために前もって準備をして党員投票をやらない方向に持って行く。こうなると派閥だけで人事が決められるからである。おそらくはテレビで安倍総理の検査過程を見せるところから仲間はずれの流れを作ってきた。

二階幹事長は偶然の産物だった。谷垣幹事長が自転車事故で国会議員をやめてなければ二階幹事長はなかったかもしれない。二階さんはこのポジションを最大限に利用した。二階さんが菅総理の流れを作ったのは誰もが認めるところであり幹事長は揺るぎのないところだと考えられているようである。もっとも高齢の二階さんが本当にこれを受けるかどうかはわからない。

ここで「二階外し」が画策されていると時事通信は伝えている。これが第二のみっともない点だ。実力は認めている。だが認めたくない。こういう場合の日本の「外し方」に「祭り上げ方式」がある。記事が書いているポジションは二つあるようだ。副総裁(副総理ではない)と衆議院議長である。特に衆議院議長は名目上は三権の長であり政治のトップである。だが実権はなく「上がり」のポジションとして知られている。前提は選挙に勝つところだが「野党が不在なのだから選挙で負けることはないだろう」という雰囲気になっているようである。

第三のみっともない点は派閥の領袖が出てきて記者会見をやったところである。これは前代未聞ではないだろうか。本来なら周りから認められてリーダーになるのだが現在の領袖は自分たちで演出しないと気が済まないらしい。自分たちが主流派であるという印象をつけようとして威張って見せた。政策については一切語らずよくわからない理由で菅総理を応援した。誰も注目してくれないから自分たちからテレビ用の画を作ってみせる。それを見てコメンテータたちが「でも乗り遅れまいと必死ですよね」と囃し立てる。自分たちでさらし者になっているのに全く気がつかない点にみじめさがある。

そんな中マスコミでは自発的に菅官房長官のキャラ作りが始まった。人生相談もこなす叩き上げの庶民派でありふるさと納税を発案し携帯電話料金を下げてくれるおじさんという図式である。

菅(すが)政権はおそらく抜本的な改革はせず表面的に改革してみせる内閣になるだろう。地方議会出身の小粒さばかりが光る。

第一に、ふるさと納税は単なる高額所得者のためのカタログショッピングのようになってしまっている。財源と権限ごと地方に渡すというような抜本的な改革ではないために脱法的にアマゾンの商品券などの返礼品に手を出す自治体も出てきた。税金はどう使われるべきかという議論は行われず「どう動いたらオトクか」という議論ばかりが行われた。菅総理の庶民目線の政策にはこのような危険性がある。小細工には小細工でとなってしまうのである。

おそらく何にでもポイントをつけて国民を操作しようという手法は「菅発案だったんだろうな」と思う。だがその制度設計は極めて杜撰でIT技術は拙い。国家が企業ごっこをしているという感覚がある。おそらく菅さんはIT技術にまでは理解が回らないのだろう。

また携帯電話料金の値下げもキャリアのビジネスモデルに制限をかけて携帯電話料金を下げさせるというようなものだ。地方議員ならこれくらいの理解でもいいかもしれないのだが、政府介入主義は資本主義国家ではありえない政策である。実際の企業は対抗策を見つけ携帯電話料金はさして下がらなかった。おそらく本当に競争原理を導入したいなら新しく開いた電波帯をオークションするなどの抜本的な仕組みが必要なのだろう。そういうところには手をつけないで表面的な「改革」をしてみせるという傾向があるようである。だがこれも当然なのかもしれない。競争を促せば市場原理が働くという理解がおそらくないのではないかと思われる。

ここからわかるのはたたき上げでずっと政治をやってきた人が表面的な庶民感覚を身につけたという姿である。だが競争原理とかIT技術などの実務的マネジメントができるようにはならなかった。実はこれは菅さんだけでなく石破さんにも岸田さんにも言えることなのだ。

だが日本のマスコミからこういう指摘が出ることはない。なぜならば政治記者たちも政治しか見ていないからである。だから自民党の議員と似たような発想しかできない。田崎史郎さんは政治は感情で動くといった。確かにそうなのだが市場も企業も感情では動かない。だから彼らは経済を動かせない。

こうして実務能力を失った自民党はおそらく政策コンペを避けたいと思っているに違いない。根本の問題点を分析する能力を失った自民党で政策コンペをやるとバラマキになる。つまり、総裁選挙でキャラバンをやるとバラマキ合戦になってしまうのである。

実はみっともなさの根本原因はそこにある。国家の成長戦略を国や党が持っていない限り、票は買うしかない。これが末期安倍政権が抱えた課題だった。降りたのか下ろしたのかはわからないが「安倍政権では国庫が持たない」というのが麻生財務省の感覚なのではないかと思う。新型コロナ抑制と言ってはバラまき、旅行業界のV字回復と言ってはバラまいてきた。菅新総理の政策はこれを表面上の弥縫策で置き換えることになるだろう。

安倍政権は7年以上かけて日本を成長させる道筋を見つけることができなかった。そこで日本人はそれを忘れることにしたのである。その先に生まれたのが今回の派閥が主導権を争ってみっともない会見をし政策論争を避けて人物評定に走る報道である。

おそらく次世代の政権は右でも左でもない。実務能力を持っていて実際の市場でビジネスをやった人たちが作る内閣である。これができない限り日本の政治は漂流し続けるだろう。

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