なぜ日本は失敗を許さない否定社会になったのか

先日、木工で棚を作った。SketchUpを使って設計したのだが失敗したと思う。うまく立たなかったのだ。ここから失敗は大切だと思った。棚の話は別のブログに書いたのので、ここでは「日本が失敗を許さない社会になったわけ」を書くことにする。




まず最初にこういう棚を設計した。材料費をあまりかけたくなかったので棚板を足で支えることにした。一応補強用の金具は買ってきた。予算は1,000円である。これでうまくゆきそうに思えた。

この棚は設計通りには立たなかった。脚がまっすぐにならないのだ。失敗したのである。「材料費が無駄になったなあ」と残念な気持ちになった。

だが不思議なことに失敗を色々な人に言ったことで情報が集まるようになってきた。自分でもYouTubeを探したりした。やはり少し悔しかったのだ。

そもそも「脚物」という脚で支える家具を作るのは難しいらしい。まずは「箱物から始めるべきだ」としているものがあった。脚物は特に工程を工夫しなければならないらしい。

例えば金具を最初から揃えておくというアイディアも考えられる。いいアイディアのように思えるのだが角材は厳密にはまっすぐではないらしい。これも工程を工夫して調整しながらつけてゆくのが良いようだ。さらに下にアジャスターをつけるという選択肢もあるという。

また、箱物にして添え木をつけてもよかった。箱物の方が材料費は高価だが角度をつけるのはずっと簡単だ。工程の工夫が少なくて済む。

つまり、新しい情報を手に入れるにしても一度体験してからの方が知識が入ってきやすいということになる。このやり方だと「一度は失敗する」ことになるのだが、これは失敗ではなく学習であるともいえる。いつまでも失敗を繰り返すのはよくないが一回は失敗して見る必要がある。この辺りのバランスが難しい。

だが失敗が学習であるという実感はそもそも失敗した当事者にしかわからない。さらに自分ごとでなければならない。これが他人事だったらきっと「そんなことはわかりきっている、棚は店で買うのが賢い選択だ」などと冷笑していたかもしれない。

また、「失敗しない棚の作り方」というインストラクションがありその通りに作ってゆけば棚は作れただろう。今回の材料費は1,000円だったのだが無駄な支出はしなくて済んだはずである。

失敗を経験しなかった人や失敗させてもらえなかった人は「マニュアル通りのものは作れるがそこから逸脱できないか」ことになる。つまり成長がない。成長がないばかりか他人を冷笑することになるだろう。日本型否定社会の冷笑ぶりの理由はおそらくここにあるんだろうなと思った。

平成の最初にバブルが崩壊して日本は失敗を許容できない社会になった。だから成長ができなくなった。成長とはつまりこれまでにやったことがないことなのだから、必ず一回以上は失敗という学習が必要だ。おそらく日本社会がこれで失った損失機会は大きいんだろうなあと思った。故に「再チャレンジ」という言葉が持つ意味は重い。実際には再チャレンジではなくそこからが本番である。つまりチャレンジとは学習の別名に過ぎない。

安倍総理大臣時代の日本は「再チャレンジできる社会」を目指していたとされる。源流は小泉政権下で有力候補とされる安倍晋三候補を応援するために作られた超派閥「再チャレンジ支援議連」であると言われているそうだ。立役者は菅義偉総理である。

この再チャレンジ政策は「負け」が固定してやる気を失った人たちを再び経済セクターに戻そうという政策だったのではないかと思われる。このこと自体は悪いことではなさそうだ。だが発想自体はやはり問題だった。世襲で失敗を許されなかった人たちが相手を「モノや統計」としかみないで操作するための看板が再チャレンジだからである。

社会の役に立つかわからない大学を淘汰し大学に自助努力による自立を求めるという安倍政権の政策が再チャレンジと並立してしまうのはそのためである。つまり実業以外の高等教育は(多くの国民にはいらない)と言っているのである。成長の機会になる無駄を排除しようとしていることになるだろう。

背景には成長していいのは一部のエリートだけでありその他大勢は言われたことだけを黙々とこなしていればいいという発想がある。その典型的な議論にG型大学XL型大学構想である。端的に言って役に立たないものは教えるなと言っている。

政治家から見れば所詮他人事だから日本の再チャレンジ政策はうまくゆかなかった。経済競争は総力戦なので失敗を許されない人たちが増えればそれだけ総合力が低下する。日本が中国に負けるのは実はあたりまえのことなのである。

だが、失敗を経験しなくなった日本人がそれに気がつくことはないだろう。一旦マニュアル通りにしか振る舞えない人たちが増えると社会全体が変化を否定するようになる。それが学習機会であると気がつかないのである。日本では同調圧力が働くのだからさらに失敗できない人が増える。その過程で日本は息苦しい否定社会になってゆくだろう。

安倍政権は、概念的には「再チャレンジは大切だ」と言っておきながら実際の学習体験は否定している。おそらく、政権幹部自体が失敗した経験を持っていなかったからなのだろう。世襲で失敗させてもらえなかった安倍総理はおそらくそのことに気がつけなかった。さらに努力したら成功できるはずだという自身の体験を国民に押し付ける菅義偉総理に引き継がれた。

この調子では日本人が再び一人ひとりの可能性を思う存分追求できるようになる社会はなかなか訪れそうにない。

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