保守思想の甘い味 – 人工妊娠中絶をめぐる世界の動き

今回は保守思想の持つ意味について考える。保守思想は麻薬になり得るという話である。

人工妊娠中絶はキリスト教世界では殺人とみなされている。子供は神から与えられたものであって人間の意思によって奪ってはいけないとされるからである。

だが、実際には望まない妊娠によって両親(特に女性)の一生が大きく左右されることもある。強姦によって妊娠する人もいれば、経済的に子供が持てないのに妊娠してしまう人もいる。さらには胎児に障害が見つかるとその後に面倒を見なければならない。最近では女性の生き方に選択肢が生まれたことでキャリアの上で邪魔になるから子供はいらないと考える人もいる。このため人工妊娠中絶は女性の新しい権利と考えられることが増えてきた。




ところが、一旦獲得した権利をそのまま維持するのは極めて難しい。つまり権利獲得運動は一方通行ではなく揺り戻しが起こる。

変化についてゆけず「昔ながらの価値観を取り戻しさえすれば秩序ある世界が戻ってくる」と考える人がいる。彼らは権利を獲得した人たちを代理撃することがある。

こうした人がすがるのが昔ながらの価値体系である。こうした価値体系は文化によって異なる。例えば日本人が考えもつかないようなものが保守思想と結びつくことがあるのだ。中絶はキリスト教文化圏では殺人とみなされている。非キリスト教文化圏の日本人には想像しにくいことだが、これが今キリスト教文化圏では大きな問題となっている。

アメリカでは古くから人工妊娠中絶は禁止されていなかったそうだが、その後禁止の動きが出てくる。ロー対ウェイド事件によって法律で人工妊娠中絶を禁止することができなくなった。女性が新しく獲得した権利で、Wikipediaではプライバシー権と表現されている。実際には自分の人生を自分で設計する権利である。

だがこの論争はこれで決着とはならなかった。最初のボタンの掛け違いは貧しい境遇にあったノーマ・マコービーが女性の権利拡大を訴える人たちに担ぎ上げられたことから始まっている。彼女は中絶を認めるべきであるとする裁判の原告になった。運動家たちには抗議する女性が必要だったのである。マコービーは最初はローという仮名で裁判を起こしてそのあとで実名を公表した。

だが彼女はやがて中絶反対派に転じたという。自らの意思で考え抜いて中絶反対運動に身を投じたのではなかったのだろう。裁判に利用されただけで彼女の境遇は変わらないままだった。そこで今度は中絶反対派が彼女に近づいた。結局マコービーは中絶反対派に転じてしまった。おそらく居場所が欲しかったのではないかと思われる。

この裁判を通じてアメリカ合衆国では妊娠を3期に分けることにしたとWikipediaは説明する。「胎児はどこからが人であるのか」という議論を避けようとしたのである。合理的な枠組みではなく議論を成立させるための苦肉の策だったと考えられる。

  • 第1三半期においては、政府は中絶を禁止してはならず、(免許のある産科医によらなければならないなど)医療上の要件だけを定めることができる。
  • 第2三半期に入ると、政府は中絶を禁止することはできないが、母体の健康のために合理的に必要な範囲で中絶の方法を制限することができる。
  • 第3三半期、すなわち胎児が独立生存可能性を備えた後は、政府は母体の生命・健康を保護するために必要な場合を除いて、中絶を禁止することができる。

とにかくこれで政府は最初期の中絶を法的に禁止できなくなった。ところがこの議論は一部のアメリカ人を納得させることはできなかった。このためアメリカには今でもプロライフ・プロチョイスという二つの流派があり大きな政治運動になっている。

よく知られているように、人工妊娠中絶は2020年のアメリカ大統領選挙では大きな争点になっている。最近亡くなったリベラルのギンズバーグ最高裁判事の後任としてエイミー・バレット判事は中絶反対派として知られている。アメリカでは宗教的主張を政治判断に持ち込んではならないとされているそうだが、彼女はカトリックでありさらに過激な保守思想家組織のメンバーだと噂されている。

このように宗教や伝統的道徳は政治に大きな影響を与える。価値観を逆行させれば良い時代が戻ってくると思いたい人たちが他人から権利を奪おうとする。そしてあからさまにそれを代理して見せてくれるトランプ大統領が一定の支持を集めるのである。

BBCの記事によると最高裁判事は最高裁判決を覆すことができるようである。連邦は最高裁判決を維持しようとしているが一部の保守化した州では中絶を規制する動きが広がっている。連邦レベルでの「抵抗」運動がなくなれば一気に中絶禁止の州が増えるものと予想される。多くの女性は選択肢を奪われるだろう。

おそらく人工妊娠中絶というには「ゆきすぎた権利意識」の一つのシンボルとなっているのだろう。誰かの選択肢を奪うことで落ち着いた精神状態を取り戻したいと考える人たちが保守思想にしがみついている。逆に誰かを利用してでも権利を認めさせたいという過激な人もいる。

それでもアメリカはまだ民主主義的な制度がうまく機能しているといえるだろう。ポーランドではもっと過激な運動が起こっている。このほど人口妊娠中絶がほぼ全面的に禁止された。

ポーランドでは1993年、胎児に重篤な障害があった場合の妊娠中絶を認める法律が制定された。ポーランドで合法的に行われる中絶の98%が、胎児の障害を理由にしている。与党「法と正義」の所属議員は昨年、この法律が違憲だとして提訴した。

ポーランド憲法裁、ほぼ全ての人工中絶を違憲に

ポーランドの1993年の選挙で共産主義からの揺り戻しがあり「連帯」のレフ・ワレサ(wikipediaではヴァウェンサ)に人気が集まった。だがやがてポーランド・ナショナリズムが台頭しリベラリズムを抑制してしまう。ポーランド人は自由には耐えられなかった。ポーランドのナショナリズムはポーランド人意識とカトリックの価値観を重要視する動きである。それを代表するのが「法と正義」である。日本で言えば在日朝鮮人のようなドイツ系ポーランド人の特権も禁止したいという政党のようだ。

では野党がいなくなったポーランドの保守政治はどんな状態になっているのだろうか。「法と正義」は党内に様々な意見が異なる人たちがいるようだ。最高実力者カチンスキ氏の後継者争いの問題もあり党内が揺れ続けている。つまり、敵がいなくなったことで内輪揉めが始まっているのである。強い野党が消えつつある日本の先を行っている。

ポーランドの動きは連帯の決定を覆すという意味合いがあるのだろうが国民の一部から激しく抵抗されているようだ。突然の決定だったことがショックを大きくしているのだろう。

「法と正義」は法律による中絶の禁止をやりたかったのだが国民の反対が強かった。そこで裁判所に任せることにした。この辺りも最近の日本のやり方と似ている。直接の説明を避けたり誰かに丸投げしたりするのである。

一方で、教会の司教やカトリックの団体が、与党「法と正義」に規制の厳格化を求めていた。「法と正義」は伝統的なカトリックの価値観を支持しているが、法改正は容易ではなかった。改正反対の声は議会でも世間でも出ていた。2016年には規制強化に反対し、女性を中心に10万人が抗議デモに参加した。

ポーランド憲法裁、ほぼ全ての人工中絶を違憲に

新型コロナウィルスの蔓延を恐れて集会は10名以下に制限されていたそうだが、それでも多くの抵抗者がデモを行った。それだけ国民の怒りが強かったということだ。

ポーランドでの合法妊娠中絶は年間1000件程度ということでそもそも極めて少なかった。それだけ社会的に「中絶はいけないことである」という認識が広がっているのだろう。EU圏内の移動はできるので国外で中絶手術を受ける人もいるそうだ。道徳的な価値が社会を縛っている。

では、民主主義が徹底されている西洋諸国ではどうなのだろうか。AFPが興味深い記事を書いている。

イタリアでは妊娠初期の中絶は合法だが社会的には抵抗が強く妊娠中絶を拒否されることもあるという。心臓に障害がある胎児を妊娠した女性が中絶手術を受けた。後になって自分の名前の入った「墓」が作られていることを知ったそうだ。

「十字架に書かれた自分の名前を見て、私にとっては懲罰のしるしだと思った」「傷口を再びこじ開けられた気がした」と打ち明けたフランチェスカさん。「(手術を受けた)施設に裏切られたと思った」

中絶胎児の秘密墓地発見、十字架に手術受けた女性らの名 伊に衝撃

おそらくは妊娠中絶を選んだ女性に対する医療施設側の無言の抗議だったのだろう。もちろん妊娠中絶を受けた女性にも罪の意識はあるわけで「無言で責められているような気がした」と言っている。懲罰と言っているところから衝撃の大きさがわかる。法律が権利を作るわけでは必ずしもないということがわかる。

法律を作ったからといって、それだけで女性の権利が向上するわけでも選択肢が増えるわけでもない。さらに新型コロナウィルスの蔓延や移民流入によって強い変化に晒されている欧米が「過去の自分たちが知っている世界に戻りたい」という気分に覆われていることもわかる。彼らは新しい権利を攻撃する。代理処罰が行われるわけである。

おそらく変化に疲れた人たちにとって「保守」にはそれだけ甘美な魅力があるのだろう。ただ彼らが思い描く過去はおそらくかなり美化されたものである。だが、それが甘美な偽薬であったとしても人はその魅力に抗えない。変化は人と社会に強いストレスを与えるのだ。

Google Recommendation Advertisement