気象と政治 – モンゴルはなぜ世界帝国を作ることができたのか

世界史でモンゴル帝国について習った。ある日突然モンゴルに帝国が生まれ世界を席巻する。そしていつの間にか消え去ってしまう。なぜモンゴルが突然生まれ突然消えたのかなどということを考えることもなく単に年号と難しいなんとかハン国という名前を覚えて終わりになってしまった。社会科の先生も細かい疑問には答えてくれなかった。受験に関係ないからだろう。歴史の勉強はつまらないと思っていた。




受験勉強から解放されて随分経つ。最近、モンゴル帝国の攻防を気象で説明しようとする文章を読んだ。岡本隆司京都府立大学文学部教授が書いた記事である。これが面白かった。

アジアで9世紀から温暖化が起こる。まずトルコ系の民族がアジア各地に進出して中東やヨーロッパに影響を及ぼした。すると域内で民族の動きが生まれて交流が起こるようになる。それが頂点に達した時に出てきたのがモンゴル系なのだそうだ。

彼らがどうして帝国を必要としたのかはよくわからない。おそらく通商路を管理するためには大きな政治体が必要だったものと思われる。モンゴルは意外なことに遊牧民の野蛮な国家ではなく通商国家だったことがわかる。通称路を支えるためにはそれなりの軍事力が必要だった。

ナショナルジオグラフィックにもモンゴル帝国と気候の関係について書いた記事がある。これによると温暖化が国力増強に役立ったのは間違いがないが、チンギス・ハーンが出現する前には干魃があり内乱が絶えなかったそうである。チンギス・ハーンもまた気象変動によって歴史の表舞台に登場したことになる。安定していたら騒乱はなくチンギス・ハーンは生まれなかったかもしれない。その後、気象条件が改善し国力の増強につながったと記事は書いている。

ではなぜモンゴルは世界の主役になれなかったのだろうか。それは通商のメインルートがアジアから大西洋に移ったからである。アメリカとヨーロッパの間に通称路が作られ豊富な資源がヨーロッパに入ってきた。ヨーロッパでは危険な通商路を管理したかったが別のアプローチをとった。

資金を出資するための仕組みとして資本主義が作られたのだ。これとは別に保険の仕組みや情報交換の仕組みが整備される。当時は最先端だったコーヒーハウスが舞台になっているという日本人の著作もある。資本主義によって新しい階層が生まれ彼らが主役となって作られたのが民主主義である。

民が主役のヨーロッパは結果として国家に依存するトルコやモンゴル系との競争に打ち勝つ。これがモンゴルやトルコが世界標準になれなかったもう一つの理由である。大西洋は一つの国が管理できる以上の広がりを持っていた。

さらにここで寒冷化が起こった。おそらく寒冷化はモンゴルにとってはデメリットであったことだろう。しかしイギリスでは産業革命が起こるきっかけになる。石炭火力の利用が一般的になった。つまりヨーロッパの繁栄の原因の一つは寒冷化という気候現象なのだ。

現在の世界はこの寒冷化によって大枠が形作られた。国家管理を抜け出した資本主義・民主主義と寒冷化を背景にした化石燃料依存経済の上に成り立っている。

現在の経済環境が安定しているのは、アメリカやアフリカといった周辺地域からヨーロッパに資源を収奪する「安定した」搾取環境が維持されているからだ。現在これを合法的に管理しているのが第二次世界大戦の戦勝国で作られた連合国(つまり国連)である。植民地を個別に管理するよりそのほうが安上がりだと思ったのだろう。核兵器の発明によって軍事的なコストが劇的に跳ね上がったという事情もあるのかもしれない。

だが、情報到達速度が早まり周辺にもヨーロッパの豊かさが伝わる時代になった。豊かさを知った人たちを押しとどめるすべはなくヨーロッパに人々が殺到する。そこに定着した人たちは現地のイスラム文化をヨーロッパに持ち込み西洋流の民主主義を否定しようとしている。また人の往来も活発化し世界中のウイルスが拡散される。おそらく2020年の冬のヨーロッパは経済的にかなり厳しいものになるだろう。

我々は資本主義・民主主義は自明のことと考えておりそれは緻密に設計されていると考えがちだ。だが、実際には人や物の伝わりやすさや気象といった外的要因にかなり依存している。適度に管理されている時には社会は安定するのだが前提が崩れてしまうと社会は混乱する。

では、現在の資本主義の混乱の原因は全て気候で片付けられるのだろうか。残念ながらそれには無理がある。

調べたところ、アフリカが後進国経済から中進国経済に移行する過程で社会がそれについてゆけなかったのだというアフリカ人の文章を見つけたので翻訳してみた。アフリカにはある程度学歴を備えた生産人口が生まれたが社会には資格を必要とする仕事がないというのである。ヨーロッパ人はアメリカに向かったがアフリカ人にはその機会がなく結果的に北に向かったと言っている。つまりヨーロッパが経済圏をアフリカに広げたことでアフリカが豊かになりその結果として移民が生じたことになる。

ただ、そこにも気候変動の影がある。つまり社会がある程度安定していればそもそも脱出などということを考える人はそれほど多くなかったはずなのだ。

2011年に東アフリカで干魃が起きている。ソマリアなどの政情不安な国から周辺のエチオピアやケニアに難民が流れていたそうだ。ソマリアでは大量の餓死者が出たという。こうした人たちはまず国の中を移動しそのごく一部が近隣諸国に移動する。実際の難民受け入れ国はほとんどが中進国なのだそうだ。

翻訳した記事にもあったが別途調べてみた。2016年の数字だがドイツを除いてはどこも中東やアフリカなどの近隣諸国である。

受け入れ国については、2016年6月末までにトルコが280万人の難民を受け入れ、最も多くの難民を受け入れています。これに、パキスタン(160万人)、レバノン(100万人)、イラン(97万8000人)、エチオピア(74万2700人)、ヨルダン(69万1800人)、ケニア(52万3500人)、ウガンダ(51万2600人)、ドイツ(47万8600人)、チャド(38万6100人)と続きます。

【2016年上半期:難民の多く、低中所得国が受け入れ】

ただ一旦流れができるとほんの一部がヨーロッパに向かっただけでも大騒ぎになり、各地で民族主義の台頭が台頭する。ヨーロッパというのはそれだけ高度に安定していて脆弱な環境なのだ。

南スーダンでも2017年に飢饉と内戦が同時に起きているようだが一体何が原因で何が結果なのかはよくわからない。つまり内戦で政情が悪化すると食べるに困った人が出てそれがまた政治を混乱させるというループができている可能性がある。2015年の難民危機の直接の原因もシリア内戦だとみなされているようだ。ただそれはおそらくはドミノによる連鎖反応のようなものなのだろう。

またアメリカの現象についても調べてみたが気候変動の影響は見つけられなかった。

アメリカ合衆国から見ると「とにかく難民が上がってきて大変だ」ということになっているようだ。こちらは親子を引き剥がして、子供だけをメキシコ国境に放置するというような「政策」が取られているそうである。

アメリカは中南米に経済従属地を作る必要があった。安く食料を供給する基地を作るためである。いくつかの国では反米の共産政権ができるのだがホンジュラスはこうした抵抗をせず国民が改革を諦めてしまった。いずれにせよ中進国に上がることができなかったこの地域からは国を捨てて北に向かう人が出て来た。ホンジュラスを中心とした4カ国で貧困化と政府の機能麻痺に疲れた人たちがメキシコを超えてアメリカを目指しているようである。

ミクロで見ると気候変動・経済的支配・政情不安などの様々な事象が重なり合い結果的に人の流れが起きている。それが皮肉なことにヨーロッパとアメリカ合衆国の経済を混乱させているのである。日本にいるとあまり感じられないのだが、気候変動もまた政治を観察する上で重要な要素の一つになっていることがわかる。

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