誰も責任を取らない国で犠牲になるのは誰なのか?

先日来「誰も責任を取らない」という話を書いている。責任者不在のGoToトラベルは誰も止められない。総理大臣は国会で嘘をついてもみんなから守ってもらえる。さらに憲法改正のやり方についての議論が進んでいる。与野党のメンツだけが問題になっている不毛な議論だが政治的優先順位は低くないらしい。では社会が全く平穏なのかと思うとそうでもなさそうある。前回女性の自殺が増えているという話を読んだのだが今回は子供の自殺が大幅に増えているという記事を読んだ。彼らは政治や社会には期待せずただ消え去る道を選ぶ。おそらくそれが彼らに許された唯一の選択肢だからである。




まずGoToトラベルである。この問題を調べていると「責任を取りたくないが成果だけは自分のものにしたい」という政治家の自分勝手な姿勢だけが見えてくる。このため新型コロナと旅行の影響を調べる人は誰もいないしどの様な状態になったらやめるのかという議論もない。

緊急事態宣言は「お前らがいい子にしないなら経済を止めるぞ」という恫喝の材料になっているのだがGoToトラベルはもっとあけすけだ。コロナ統治に失敗したら観光業を潰す。その死刑宣告は都道府県知事がお願いしてこいといっている。だから北海道と大阪への割引は中止になったが北海道と大阪から旅行にでかけるのは構わないということになった。人の流れを止める政策ではなく見せしめ的な政策なのである。

旅行業界は混乱しているようだが彼らには一つ心理的な壁がある。もともと社会に依存してしまっているため「お上に逆らう」というマインドセットになれない。旅行業界は中小零細が多い。自営業者は熱心に自民党政権を支えてきた。そして政権に批判的な朝日新聞は「政府に文句ばかり言っている人たちの慰みもの」として蔑視してきた。だからいざという時に見せしめに使われても諦めるしかない。

また桜を見る会の問題では安倍総理が国会で嘘をついてきたのだろうということがわかってきた。これも秘書がやったことで総理大臣には報告がなかったということで落ち着きそうだ。おそらくこれも「議員に責任を取らせない」ということになるだろう。代わりに犠牲になるのは秘書の誰かであろうが、当人が納得しているのか、それともそうでないのかはよくわからない。また殿様のために切腹したとして家族の生活が保証してもらえるのかもよくわからない。

小選挙区制度が導入された結果として政治家の選定は実質的に党本部で行われる様になった。原理的には野党があるはずだが実質的に機能していない。だから、党本部の決定で議席が確定する。こうなると有権者の側も「せっかく応援してやるのだからそれなりの見返りが欲しい」となるはずである。饗応は秘書の腕次第ということになれば裏では接待を要求する人が増えてくるだろう。中選挙区時代にはよく見られたことが党の候補者選定の段階で起こる様になるだけだ。党本部は誰も痛みを感じない。地元の誰かが被るのである。とても現代的な政治風土とはいえないがこれが日本の現実であろう。

憲法改正の問題も自民党のメンツが通って実質審議がスタートすると報道された。だが立憲民主党のメンツを通して採決まではやらなないと言っている。各社はバラバラにこのどちらかの線で報道する。この間をうろちょろするゆ党がいて「見返りがあるなら自民党の国会支配権を認めてやってもいい」などと言っている。誰の声が通るかということが重要なのであって、実は憲法の中身など誰も気にしていないのだ。憲法という重要課題をめぐる扱いとしては実に浅ましい。

こんな中二つの数字が出てきた。そもそも日本人は社会に異議申し立てなどしない。もう生きていられないということになると声を上げずに静かに退出してしまうのである。一つひとつの声はとてもか細くしたがってニュースにならない。これが統計になってやっと現れた。

一つは女性の自殺である。男女で見ると有意に女性の自殺が高く特に20代と40代では倍以上に増えているそうだ。NHKのニュースは数字は伝えているのだが原因はよくわかっていない。

朝日新聞は女性の経済的困窮について書いている。これは明らかに政治の失敗である。だが、日経新聞で水無田気流さんが興味深い指摘をしている。ケアワークが増えているというのだ。介護の不安が増えているのかと思ったのだが「家庭での家族の世話」なのだそうだ。おそらく男性の側はちょっとしたことの積み重ねに過ぎないのだろうが女性には負担になっている可能性がある。

会見では女性の自殺急増の要因として自粛生活での孤立に加え、リモートワークや休校措置で女性が家族のケアを抱え込んでいる点も指摘された。たしかにこれら「ステイホーム戦略」は、この国の「男女で非対称な家族のケア負担」を先鋭化させた。ただでさえ女性は平均的に男性の5倍の時間を家事・育児・介護などに費やすが、自粛生活下ではどうなったか。

女性の自殺者増、コロナでケアワークが重圧に

翌日25日には子供の自殺が増えているというニュースを扱っていた。こちらはやや具体的に書かれている。学校がなくなり家庭に閉じ込められた結果逃げ場がなくなったという子供が多いそうである。

子供達は先生の援助は期待できない。記事は「学校教諭に専門知識がないために対応できない」と言っている。あるいは忙しすぎて対応する時間が取れないのかもしれないし、そもそも子供の心理状態に興味のない先生もいることだろう。

NHKは先生が対応できないのであれば「タブレットで診断を自動化しては?」という提案している。常軌を逸している。

マスコミも有権者も「偉い人に逆らってまで現状を変えたい」とは思っていないようである。だがその対極で「弱いものには八つ当たりをしても構わない」という価値観がじわじわと広がっているようだ。上に頭が上がらない分だけ下に八つ当たりをするという社会が出来上がりつつあることになる。逃げ場がなくなった社会的弱者の行き着く結論も簡単である。死んでしまうのだ。

子供と女性に共通しているのは「そもそも声をあげづらい」という点だろう。子供や女性は大人しく社会に従っているのがよいとされているために気持ちを表明したり意見が言いにくいのだろう。ふと「社会にノーという技術をいつ覚えたのだろう」と考えてみた。答えが思いつかなかった。嫌なことを嫌と言ってはいけないし言い方も教えてもらえない社会で最後の選択肢として自殺を選ぶ人を誰が責められるだろうか。

こうして統計になって初めてニュースになりそのままひっそりと忘れられる。我々はこういう世界に住んでいる。

おそらくこういう人たちはもともと生と死のボーダーラインに最初からいたのだろう。新型コロナが彼らを殺したわけではない。ちょっと背中を押しただけなのである。

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