自民党と維新の自縄自縛

今回のテーマはイデオロギーなき日本の民主主義の末路である。

日本の民主主義は西洋のコピーから始まった。このため西洋にあった進歩派と体制維持派という二つの流れがある。だが実際にはこの「イデオロギー」は単なる看板に過ぎない。だがその単なる看板が組織を支配し縛ることがある。今回は憲法改正と大阪都構想を例に挙げてイデオロギーなき政治の末路について考えてゆきたい。




国民投票法の改正案がまた延期される。国民の側には憲法改正への思い入れはない。単に自民党が踊っているだけである。新型コロナという喫緊の課題がある上に桜を見る会の問題で身動きが取れなくなりつつあり菅政権に憲法改正を扱う余裕はないだろう。だが、憲法改正を前に進めるという目標を掲げてしまったがために「実行できない」ことが自民党の失敗だとみなされることになってしまう。

憲法改正問題は自民党が民主党に負けた時にでっち上げられた偽の政治課題だ。「自民党が負けたのはわがままな民意のせいで自民党のせいではない」というルサンチマンが基本的人権に矛先を向けたのが発端である。

自民党の憲法改正案には民主主義政治への恨みがこもっているがおそらく最大の被害者は自民党の中にいた真面目な改憲派の人たちであろう。与野党連携を広げ国民議論を起こそうとしていた人たちはこの偽の議論に飲み込まれ政治の表舞台から姿を消した。

議論ができなくなった国会では中身ではなく憲法改正の決め方の議論になってしまった。自民党は立憲民主党と共産党という左派を予算策定プロセスから排除した。だから立憲民主党は自民党の改憲案には賛成しない。そして立憲民主党が協力しないと自民党は意地になっている。今回も読売新聞は立憲民主党のせいで憲法議論が進まないという社説を出している。

実際の議論は極めて分かりにくい。時事通信は「国民投票法、今国会も成立見送りへ 26日衆院実質審議入り」と見送りを主眼にしたタイトルをつけた。だがNHKは「衆院憲法審 国民投票法改正案あすの採決見送り 初の実質審議へ」単に明日の(26日の)採決を見送っただけで実質的に審議入りしたのだということを書いている。面目の戦いなのである。

政治課題はまず目の前に解決すべき問題がありそれを解決するためのアイディアがありそれを審議するという流れになるはずである。だが憲法改正にはそれがない。自民党は「なぜ今憲法改正をやらなければならないのか」という説明はできない。もともとそんなものはない。選挙に負けて政権を失ったことに対する腹いせだからだ。

ところがこれを利用したい人たちがでてきた。彼らは最近「ゆ党」などと言われる。維新は大阪の自民党から権力を簒奪したい。そのためには「政党の基本理念」というものが必要なのだがイデオロギーの元になる個人の考えがない日本人にはそれが作れない。

最初のコンセプトはアメリカの連邦制をモデルにした地方分権から持ってきた。モデルにされた大前研一の平成維新の会から名前も持ってきたのではないかと思われるがのちに大前研一さんとは決別している。

ところが地方改革が維新の一丁目一番地として定着してしまったために維新はここから降りられなくなってしまったようだ。実際の目的はおそらく最後の自民党の根城である大阪市の解体である。「大阪都構想に自分なりのイメージを持って投票に行った人が大阪市を解体しますと書かれた投票用紙を見て戸惑ったのではないか」と公明党の山口那津男代表が田原総一郎に対して他人事のように語っていることからもそのことがわかる。

結局、大阪都構想に代わる政策が見つけられなかった維新は4区でだめなら大阪市を維持したままで8区にするという代案を出したそうである。「大阪都構想「代案」が波紋 維新が提示、他党は困惑」という記事で日経新聞が伝えている。

もはや「なんのために大阪市の改革を進めるのか」ということは置き去りになっていて「大阪都構想がないと維新が持たない」ということになっている。手段が目的化してしまった。

維新は大阪都構想に便宜をはかってもらう代わりに国政では自民党の憲法改正に賛成したという事情がある。そもそも憲法改正が意地で始まったとしたらその意地を通すために自民党本部は維新と協力し大阪自民党との関係を危うくしたということになる。議論は行われているがどっちが勝っても何も変わらない。

こんな中、大阪公明党はかなり面倒な状況に置かれているようである。

次期衆院選に向けた計算もある。公明は大阪府内の衆院小選挙区で維新が対立候補を擁立する事態を懸念して都構想賛成に回ったが、国政で連立する自民党との関係は悪化した。府本部幹部は「住民投票をともに戦った維新と関係を深めるか、自民との協力関係に戻るか。2つの条例案は維新が公明に突きつけた”踏み絵”だ」と悩ましげだ。

大阪都構想「代案」が波紋 維新が提示、他党は困惑

踏み絵を迫られているのだがもともと公明党が切実に望んでいた法案でもない。単に国政でも大阪でも与党でいたいという公明党のどっちつかずの態度が招いた態度だ。そもそも憲法にしても大阪都構想にしても政治家の主導で始まった「ありもしない幻想の政治的アジェンダ」である。だが実際にそれは政党を振り回す。

先進国の政治は大抵の場合「先に進むか(革新・左派)」「現状維持するか(保守・右派)」というイデオロギーによって動く。これを左右対立という言い方をすることがある。ところが日本には民主主義がないどころかイデオロギーベースの議論もない。ただただ「主流派でいたい」という意地と政治家の都合によって政治的資源が消尽されてゆき、国民はそれを無関心に見つめている。

それでも安倍総理大臣にとって憲法改正は悲願だったのではないかと思う人もいるかもしれない。菅総理大臣はこのところ「桜を見る会」の問題で窮地に立たされている。官房長官時代に総理をかばったことを非難され参議院の答弁では言葉に詰まる場面があった。精神的に相当追い込まれているのであろう。菅総理はとても憲法改正議論を前に進めるような余力はなさそうだ。

だがその頃、安倍前総理は「アベノミクスはうまくいっていた」とする会合に出て支持者たちからの賞賛を受けていたという報道を見た。面倒な国会議論は番頭格の新総理に任せればいいし、罪は地元の秘書がかぶってくれるだろう。世襲政治家は特別な家系であり周りの面倒は家来たちがやってくれるのが当然なのである。

安倍前総理がこの問題を自ら前に進めることはないだろう。周りから賞賛されることに忙しくそれどころではないからだ。

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