「政治に興味が持てない」シンドロームと政治依存症

Quoraで「政治や選挙に興味が持てないのですが」というお悩みをもらった。こうすれば政治に興味が持てるようになるという回答が多数ついており「気持ち悪いなあ」と思った。一種の同調圧力の展示会になっている。ライトユーザー的に政治を理解する人が増えている一方で別の政治に対する誤解が広がっている。




特に有害なのが先生や先生をやめた人の回答だ。学校の教員になるためには物事を深く考えるのをやめる儀式でもあるのではないかと思わせるくらい薄っぺらい回答がつく。「この人は学校の先生だろう」と思ってプロフィールを見るとだいたい当たっている。とにかく考えるのが面倒なので道徳と規範で押し切ろうとする。教育者になると教育にうんざりするようになるのだろう。

YouTubeで真実を見つけたと言う人たちも危険である。これが意外と多く「マイ真実」を熱く語っている。定年になって時間を持て余した人がハマるケースも多いと聞くが現役世代にもいるかもしれない。わかりやすい味付けのビデオで「真実」を語られることで罠に落ちいるようだ。「真実に目覚めた」状態でテレビを見るとYouTubeの真実とは違うことが語られている。ここで「マスコミに騙されている」と思い込んでしまうようである。

こう言う人たちはまだわかりやすい。最も厄介なのがマクドナルドや電車の中で黙々とスマホに向かっているような人たちである。社会どころか自分が今どこにいるのかと言うことを無視して目の前のお気に入りの世界に埋没する。おそらく社会に自発的に関わることが禁止されているからだろう。ほぼ100人のうち100人のお一人様がスマホに逃げ込む事からもわかるように日本人は実社会を恨んでいる。こう言う人たちが考える政治には感覚的な欠落があるだろうと言うことは容易に想像できる。

YouTubeは最初から概念的に社会や国家を扱う。国家や社会の意思決定は多様性の調整なので必ずしも効率的ではないので調整が無駄な作業に思えてくるのだろう。そもそも目の前にある社会から目を背けてPCやスマホに向かってる人が多いところから実社会が肯定的には受け入れられていないこともわかる。

では、なぜ人々はいつから社会に関心を持たなくなるのか。あるいは持てなくなったのか。

学校では「民主主義を維持するためには国民が政治に関心を持つべきだ」と習う。だが「学生が学校の意思決定に参加することはよくないこと」とされる。つまり実践的な社会教育を封じたままで概念的な政治観しか教えてもらえないと言う二重思考を迫られる。概念的には政治に関心を持つのがえらい。だが実践してはいけないといういびつなメッセージが当然のように教えられる。

学校卒業後も同じ状況が続く。会社に入るとまず会社の規則には無条件で従うべきであると教え込まれる。例えばSNSで個人として意見を言ってはいけないものとされる。だから就職活動が近づいた学生はだいたい実名のSNSを閉じる。「個人で意見を言うような人」は管理しにくいからだろう。個人の考えは匿名でしか言いませんと言うような人以外はそもそも社会参加できない。

  • 民主主義を維持するためには政治に関心を持たなければならない。政治に関心を持っている人の方が賢くえらい。
  • 実際の生活では個人は意見を言ってはいけない。個人主義は危険思想である。

このような状態で政治に興味を持てと言われてもそれは無理である。だから政治に関心がなく選挙にも関心を持たないと言うのは極めて正常な状態だ。逆にこの状態を受け入れてしまい集団に張り付いて自我を肥大化させる人の方が危険である。

考えてみれば「子育てで保育園が見つけにくい」とか「コミケの活動が実は著作権の保護と関係している」などと言った具合に実は社会生活をしているとすぐに「政治」にぶつかるはずだ。我々の生活は政治まみれである。政治は社会だからである。日本人に欠けているのは目の前の問題解決こそが政治の基本であるという姿勢だが、そもそも学校運営にすら参加できないのだからコミュニティの政治に参加することなど無理に決まっている。

おそらく政治に興味を持たなければならないと思い込む人が多いのは「それが多数派の意見だから」だろう。だがその政治が何のためにあるのかと言うことを考える人は案外少ないのではないか。

この問題について考えたのだが解決策として浮かんだのは「必要に迫られるようになるまで政治について関心を持つべきではない」というものだった。これはとても奇妙である。

社会から逃れてスマホに向かう日本人が「政治や選挙に関心を持つべきだ」と考えてしまうと逆説的に社会への関心を失ってしまう。だが政治と社会の乖離が正解として定着してしまっているのでこれを引き剥がすのはほぼ不可能に近い。日本人は集団的自我への依存症状を起こしていて社会ではなく政治に関心を持った人はもれなく自我を肥大化させることになる。そしてますます社会問題の解決が難しくなる。

政治に興味を持つためにはまず政治から離れなければならない。それは依存症の治療に似ている。日本人は政治への関心を失い政治に依存しているのである。

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