特別職「皇女」の怪しくて危うい議論

菅政権からまた怪しい議論の噂が漏れてきた。特別職として皇女を置きたいのだと言う。なんとなく怪しいのだが世論には大した反応は聞こえてこない。だが、これはおそらく憲法違反である。憲法違反なのだがおそらく誰もそうは言わないだろう。




まず皇女とは何かと言うことを確認しておきたい。今回の「皇女」というのは政府が任命する特別職であり身分ではない。

女性皇族は結婚すると皇統譜を離れて一般戸籍に入り「平民」になる。平民の中に身分は置けない。身分を認めると女系天皇の容認につながりかねないからだ。一方、皇室は人材不足なので公式行事などで役割を持ってもらいたい。このために「仕事」として作られたのが皇女というわけである。いっけん便利でよく考えられた仕組みに思える。

まずなぜこれが憲法違反なのかを書いておきたい。

まず平民になった皇女には職業選択の自由があるはずだ。自動的に皇女にするのはその原則からはずれる。ただここは皇女側に拒否権があることにしよう。かなりブラックではあるがなんとか説明はつきそうだ。

だが逆もあり得る。平民出身の女性を皇女に任じることはできない。なぜならば天皇の血を引いていないからである。皇女は建前上は職業なのだから身分により就業差別をしていることになる。だからこれは厳密には憲法違反である。安倍菅政権では珍しくないことだがテクニカルにはここで積んでしまう程度の議論なのだ。

女性週刊誌はさらに意地悪な議論を持ち出してきた。「菅政権側が皇女を拒否できるのか」と言う議論だ。学術会議を任命拒否したのだから政府に批判的な皇族を任命拒否できるのではという。また夫の評判が芳しくない場合に世論が任官拒否を求める可能性も否定できない。先延ばしには成功したもののさまざまな「議論のための議論」が出てくる。

様々な意味で厄介な問題だが誰もが薄々「だって皇室には人がいないのだから仕方ないではないか」と思っている。さらに日本国憲法と言うのは杓子定規すぎて融通が利かない決まりごとであるとみなされている。みんなの損にならない場合にはちょっとくらい曲げてもいいと考えている人も多いのであろう。

本質的には皇室の女性が行事に参加した時「なんだか特別な気分がする」ということが問題なのだろう。つまり我々が皇女をありがたがるのはそれが「身分」だからである。この問題を避けるために身位という別の言い方がされるようだ。

眞子内親王は今は傍系の女性皇族だがゆくゆくは天皇の娘になりそのうち姉になることが予想されている。これを「身位が上がる」と言っている人がいた。平民なので身分はないはずだがそれでもそう言われてしまう。外来憲法の外に一般常識が存在すると言うのが日本の政治のあり方である。今回はそこに特別職という別の概念を作ろうとしている。

菅政権はうまく継承問題を避けたつもりだったのだろう。役職と身分という建前と本音をうまく使い分けたつもりなのだ。おそらく大した反論はでないだろうからそのまま通ってしまいそうである。だがおそらく職業としての「皇女」は様々な問題を引き起こすはずだ。

秋篠宮眞子内親王は内親王という身位を持っている。ところが内親王が「多くの人が納得していない」男性を選んで結婚しようとしている。ネットには「結婚するならしてもいいが税金から一切金を出すな」と言う人がいる。秋篠宮皇嗣殿下も憲法で保障された結婚と出費が伴う婚約は別だと苦しい胸の内を吐露した。

このように国民感情はそもそも皇室を是としない人から問題を感じない人までさまざまなバリエーションがある。これを整理するのが本来の政治の役割だが菅政権はこれを放棄し皇室に丸投げしている。マスコミも整理しないで「多くの人が納得する」という言葉をそのまま伝え、それが実現していますかという不躾な疑問を皇嗣殿下に直接ぶつける。結局議論の矢面に皇室が立たされることになる。

これまでは天皇の周りの親族がその役割を担ってきた。秋篠宮もその一人だったが三笠宮にも男性皇族がおり情報発信をしてきた。だが三笠宮からも男性がいなくなり誰も役割を担えなくなってきている。将来的には天皇がその役割を担わざるを得なくなるだろう。男子が一人も残っていないからである。

おそらく旧宮家の女性(男系)をどうするのかと言う問題も出てくる。この人たちの多くはすでに平民になっているのだが身分的にも血統的にも「平民降下した元内親王」とは違いがない。一旦広げれば「いったいどこまで広げるのか」と言う話が出てきてしまうだろう。

さらに将来世代は「男性皇族が足りないので旧皇族から人を持ってこなければならない」と言う議論は避けられないだろう。天皇以外の男系男子はもう2名しかいない。この時に平民を「准皇族として扱っている」という実績はできている。それが職業だと言い張ってみても人々はそうは思っていない。

本音と建前を分けると言う議論は議論が成立した当時にはなんとなく管理できるものである。ところが時代を経るに従い「一体原理原則はなんだったんだろうか?」と言う話になるはずだ。安倍菅政権はこうした想像力に著しくかけており世論をまとめるリーダーシップもない。お友達優遇に明け暮れ文書を簡単に隠すような人たちにリーダーシップを期待する国民もいない。

その場しのぎの議論がどんな政治的混乱をもたらすのか、我々は憲法第九条と自衛隊の問題で嫌という程思い知らされているはずである。自衛隊を作った目的は国内の内乱を鎮圧だった。だからあれは警察部隊だったのだ。GHQには米軍がいないすきに日本が共産化しては困るという本音があったのだろうが「朝鮮戦争の銃後を守る武装部隊が必要であると言う」ような建前だっt。ところがこれが徐々に既成事実化してしまい軍隊のような軍隊でないような組織に成長する。一旦話がこじれるとこれを正常化して「正規軍化」することは極めて難しい。様々な思惑が絡み合うからだ。

皇室問題をおもちゃにすると言うのは皇室を自衛隊のような曖昧で議論の分かれる存在にしてしまうことである。この程度の議論も主導できないのに憲法改正には取り組みたいと言っている。実に覚悟のない政権だと思う。

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