ナイキのCMの炎上

ナイキのウェブCMが炎上しているという。面白い燃え広がり方をしている。あいちトリエンナーレの時とよく似ているのだ。だがそこを超えてもう少し観察すると面白いことがわかる。




ナイキのウェブCMは日本で差別を受けている少女たちの物語である。一人は朝鮮系でもう一人はアフリカ系の肌の色をした女性のようだ。だが、もう一人がよくわからない。このよくわからない第三の少女がおそらく問題の核であろう。ナイキのクリエイターはメッセージングに失敗したのだと思う。

「普通でない女性がスポーツを通じて生き方を見つける」というLove Yourself系の広告のように見える。だが、朝鮮系日本人もアフリカ系日本人もそれほど多くないのだからそれだけでCMが成立するはずはない。アメリカのようにある程度顕在化したマイノリティに品物を売るというようなマーケティングは日本では成立しない。日本では、普通の少女(あるいは少年)が抱える違和感と接続してやらないと訴求できないはずなのだ。おそらくこのCMはそれに失敗している。二人の少女のインパクトが強すぎたからだ。

おそらくこの二人の少女のインパクトを読みきれなかったのはこのCMが外国人の意見を取り入れてしまったからだろう。「大坂なおみさんのフッテージが使える(ただし本人は出演しない)」とか人種差別を織り込んだCMはアメリカで成功したから日本でも使ってみろなどという指示があったのかもしれない。これからはテレビではなくオンラインだなどと言われているのかもしれない。

頭を抱えつつ何かをひねり出すとああいうことになる。

結局、このCMは当事者に差ほどのインパクトを残すこともなく単に外野が大騒ぎして終わりになりそうだ。これをいわゆる左翼と言われる人権派の人たちが擁護することもないだろう。例の宮下公園のホームレス排除でナイキは敵認定されている。仮に人権派から応援されても高価なスポーツウェアは売れないだろう。

ナイキCMに「感動した」「日本人を差別主義者の悪者にしてる」賛否両論。実体験ストーリーの説明伝わらず」という記事でSNS分析をした人がいる。どうやら最初は「朝鮮系が日本でいじめを受けている」というメッセージに対して特定のインフルエンサーの反応があったものと思われる。このインフルエンサーたちにはフォロワーが大勢いて炎上が広がったようである。彼らはスポーツにも人権にも興味がない。単にチマチョゴリを見ると何か言いたくなる。単にそれだけだ。

これが海外メディアに捕捉される。ヨーロッパでは「日本には差別がある」と思いたい人がいてAFP通信などに捕捉されて広がった。それが社会問題に格上げされて「炎上」となったわけだ。

この燃え広がり方は実はあいちトリエンナーレの時に似ている。もともと「昭和天皇の写真を燃やす」という展示は行われていた。あれが炎上したのは韓国のメディアが取り上げたからである。それがインフルエンサーの知るところになり瞬く間に拡散する。そのあとは後付けで表現の自由などの問題と組み合わされてしばらく燃焼が続いた。おそらくインフルエンサーの向こう側には「何かあったら騒ぎたい」という人たちが大勢スタンバイしてる。

あいちトリエンナーレと違ってナイキのCMには税金が入っていない。さらに私企業なので拡散すればするほど宣伝になる。結局のところアンチは宣伝に力を貸しているだけということになる。ナイキ側は「もう少しくらいなら燃えてくれてもよかった」と思っているかもしれない。

フランスでムハンマドの肖像画を燃やしたシャルリエブド事件の余波があった。ムハンマドを屈辱する風刺画を学校で見せた先生が惨殺されてしまったのだ。民主主義を守るために「表現の自由」は欠かせないが少数派であるとは言え「嫌な気持ちを持つ」人への配慮も必要である。民主主義にはどちらも大切な視点である。だが、あいちトリエンナーレの話もシャルリエブドの話も冷静な議論にはならなかった。その後の反応が「発信者ごと決してしまえ」という極端なものだったからだ。

背景を色々と考えてゆくと「恥」の概念に行き着く。要するに外国から遅れた国とみなされることが恥ずかしいのだろう。「外から客観的に見た自己像」に耐えられないのである。ただヨーロッパの国にも「キリスト教の価値観で遅れた国を啓蒙したい」という救世主願望があるおかもしれない。彼らは彼らで「誰かをリベレート(解放)する」ことでいいことをしたという気分に浸りたいだけなのだ。対等でない西洋と東洋という気はする。

いずれにせよナイキは今の所「自分たちのバイラルメッセージを拡散する」ことには成功している。Twitterのあのビデオはアプリに連携している。アンチの人たちはマーケティングに協力しているだけである。おそらくこれはナイキが世界中で取り入れている手法だ。ハフィントンポストは素直に感度したと書いているがアメリカでのBLMへの反発を知っているナイキがこんな純朴な気持ちでキャンペーンを流したとは思えない。過去に多くの炎上による成功事例があるそうだ。

どうせナイキのこのCMを叩く人はナイキのシューズは買わない。もしかしたらそんなお金も持っていないかもしれない。「NIKEのCMに対してはTwitter上では大きく3つの意見が存在した」という記事では第三のナイキに批判的な層が大きかったと書いている。おそらく最初から関係ないアンチの層だ。

問題はこのメッセージが当事者に届いたかである。おそらくあの第三の少女に代表される「同調圧力に苦しむ若者」にスポーツを通じて自己をリベレートしてもらいたいというのがメッセージだったのではないかと思う。だが、日本のスポーツ少女たちは「自分たちが抑圧されて奴隷状態にある」などとは思っていないはずだ。おそらく在日朝鮮人やBLMの問題も他人事であろう。だからこのCMはあまり当事者たちには届いていないのではないかと思われる。単に炎上して終わりになるのだろう。

ハリウッド映画を見て「抑圧された日本女性を解放する」と意気込んでいる欧米の感覚を無理やり形に落とし込むとこういう作品が生まれてしまうということなのだと思う。文化衝突とは恐ろしいものだ。

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