嫉妬に潰される「皆様のテレビ」

渡部建さんの年末番組出演がなくなったそうである。対応に苦慮していると伝える媒体もある。「テレビは嫉妬に潰されるのだろうな」と思った。




まず、年末特番の「ガキの使いやあらへんで」の復帰が決まっていたとされていた。密かに収録も行われていたようだ。この撮影がどこかから漏れた。スタッフが話題性を求めてサプライズを仕込んだのだと書くところもあった。すでにここから嫉妬と足の引っ張り合いが見える。

さらに芸能リポーターたちが「自分たちに挨拶がない」と憤り、渡部さんを取り囲んでいじめた。スポニチによるとこれに恐れをなしたテレビ局が「世論が反発してる」として出演シーンをお蔵入りさせたということである。テレビは世論を恐れているといえるのだが果たしてこれが世論なのだろうかという気もする。単にうちわの嫉妬合戦を見せられているだけにしか思えない。

怒っているのは世論ではない。おそらく世論は「どうでもいい」と思っている。特にテレビ離れした人たちにとっては本当にどうでもいい話題である。ただ、時事ネタによって活躍の場がなくなっている芸能マスコミにとっては大問題だった「私たちに挨拶をしないのか」と取材を要求した。

デイリー新潮は面白い分析をしている。人力舎の新社長の仕切りがまずかったのだろうというのだ。前半色々な理屈が書かれているのだがおそらく本当に言いたかったのは三ページ目だろう。敵になるレポータの中に「こっそり味方を混ぜておいて」レポータの世論を誘導しろと書いている。つまり」色々批判あったものの渡部くんも反省していることだしこの辺りで許してあげてはどうか」というような空気を醸成しろと言っている。

しかし、亡くなった梨元勝さん(1944~2010)、福岡翼さん(1940~2019)、須藤甚一郎さん(1939~2020)といった方々は、追求の舌鋒も鋭かったですが、どこかで事務所に“忖度”してくれて、笑いで会見の雰囲気を和ませてくれたりしたものです。

渡部建はなぜ袋叩きにあったのか、ポイントは「人力舎」と「ベテラン男性レポーター」

なるほどなとは思う。知っておいて損のない世間知だろう。だがよく考えてみると処分が「周りの反応」によってのみ変わるのはなんだか変である。

「普段から誰かを食わせておいて(より汚い言い方をすると飼っておいて)」いざという時に助けてもらえと言っている。恐ろしく古びた村の理屈だが令和になっても堂々と恥ずかしげもなくとまかり通ってしまう価値観が生きている世界なのだ。

こうしたやり方は政治の世界でも常態化している。政権を維持するためにはいかにも良いやり方のように思われたのだが結局のところ田崎史郎さんに依存した安倍・菅政権は「総理大臣に説明能力がない」として支持を失いつつある。焦った自民党は予算をあげるよりも選挙の方が先であると騒ぎ出す始末だ。自民党の中には「憲法草案」を出したいという勢力もあったようである。国民に説明しなくてもいいと思い始めた時から堕落が始まる。

テレビが民主党ブームを演出した時の恐怖感がテレビを操作する現在の政治手法を生み出したのだろう。あのときは漠然とした改革ブームと公共事業悪玉論が横行した。だから逆に「自民党はよくやっている」と政治評論家に言わせればいいと気が付いたのだろう。田崎史郎さんが芸能レポーターの役割を担っている。

結局のところ視聴者が何を望んでいるのかということはよくわからない。だからテレビは芸能レポーター村の空気を元に番組編成をせざるを得ない。これはテレビが不特定多数に発信されるメディアだからである。だから、テレビは一部の力を持った芸能事務所と関係者たちのムラの論理で決まってゆくことになる。

芸能レポーターと民意がずれていたとしても誰もそれを教えてくれない。そもそも活躍の場がないから躍起になって悪者を作ろうとしているのだから民意からは乖離していると考えて良いだろう。つまらないと思った視聴者はおそらく黙ってネットに流れてゆく。

ムラの論理はテレビをずいぶんつまらないものにした。アイドルの世界ではすでに世界市場に到達した韓国との間に大きな差をつけられている。ジャニーズ事務所はテレビや芸能マスコミを味方につけており日本のテレビでは競争者がいない。そのため切磋琢磨する環境がなくなり結果的に競争力をなくしてしまった。

テレビのお笑いはおそらく平成という閉塞した世の中が作り出した村のいじめとして定着するのだろう。それを令和時代のYouTube世代がどう思うのかと考えると将来性はあまりない気がする。逆に「一世代前の閉塞した遺産」は時代劇のような存在として生き残るかもしれない。それはそれでありだと思う。

テレビは不特定多数が持っている嫉妬に潰されかねない窮屈なメディアになりつつあるようである。かばい合いによる延命は一時はうまくいったとしても長続きはしない。人々が興味を失いつつあるという悲しい証明にしかならないのだ。

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