堕ちるところまで堕ちた社会民主党

社民、地方財産めぐり泥仕合 福島氏が分与否定の文書」という記事を読んだ。一応、土井たか子代表が「山は動いた」といった時代を知っているので「堕ちるところまで堕ちたな」と思った。記事は短いもので、地方支部が社会民主党の財産を持ち出さないように通達する「個人的な見解」を出したと書かれている。この内輪揉めが政治に何の影響も与えないという点が物悲しい。社会党は終わったんだなということを強く意識させられる。




社会民主党と言う政党はすでに消えていたといって良い。消えてはいるのだが地域によっては社民党が強いところが残っている。組織ではなく人の連合体のようになっているのである。沖縄、大分、北海道の一部などにこうした島が残っている。

人が支えているわけだから人が立憲民主党に移れば当然建物なども移るべきだろう。ところが福島さんは「当然それは代表である私に属する」と個人的に思っていて、それを組織に通達してしまうのである。公私の境目がむちゃくちゃである。つまり党員と支持者は自分と政党を支えるべきであると自白してしまったことになる。なぜそうなるのかはよくわからないが、社会主義の末路は独裁と権力闘争になる。

とはいえ福島さんを面罵したとされる照屋さんもシャキッとしない。後継が社民党から出るという理由で離党を思いとどまったそうだ。沖縄の人たちもどうしていいか戸惑っているのではないかと思う。産経新聞によると吉田忠智幹事長は福島さんを批判しているようで地方組織を放置したまま国会議員同士で罵り合いを続けている。こちらも離党すると決めたのだから人だけ連れて移ればいいのではないかと思える。

既得権にこだわり新規開拓ができない人だけが残ってしまった政党なのだろうということがよくわかる。

この「上から目線の運動」が日本に社会主義運動が根付かなかった理由の一つだったのだろう。市民運動は利用される存在であって市民は日本の社会主義運動の主体ではなかったということだ。

日本にも困窮した労働者層がいたのだが日本は欧米の概念を学んだ共産主義者や社会主義者が自分たちの運動のために困窮者を利用してきたようなところがある。今になっても非正規労働者を代表する社会主義運動はない。非正規労働者は組織化されていないので「利用価値がない」とされているのだろう。

上から目線で労働者などを利用する日本の社会主義運動従事者はよく「労働貴族」などと揶揄された。労使協調路線だった日本では労働運動を懐柔してゆく必要から労働組合幹部を優遇した。現在の正社員労働組合は非正規から見れば特権階級である。さらに身分が安定している公務員の場合はヤミ専従という問題もあった。こうして既得権益化と過疎化が同時に進むという構造的な問題を抱えている。

連合は身内にエネルギー産業を抱えており脱原発で一枚岩になれない。そのため連合は立憲民主党・国民民主党に「原発ゼロ」という言葉を使わないようにと要請しているそうだ。環境問題で二酸化炭素排出量を減らすために本当に原発なしでやれるのかというのはきちんと話し合っておいたほうがいい。だが労働運動や市民運動を利用することしか考えない日本の社会主義運動にはもはや議論をまとめる力はなさそうである。

国民民主党側には憲法第9条を見直しても良いという改憲派もいるそうだ。「美しい日本の憲法をつくる国民の会」には国民民主党からも議員が参加しているという。安倍総理が退任したからという理由で慌ててプレゼンスを維持しようとしているのは確かなのだろうが「話し合いすら禁ずる」というのでは支持者が離れて当然である。

おそらく社会民主党には「政党の維持こそが全てであってそのためには中核的な項目に関しては話し合うことすら認めない」という雰囲気があるのだろう。話し合わないことは勉強しなくてもいいのでどんどん最近の話題にアップデートができなくなってしまう。この最後の姿が今の社民党なのだろう。

政党は国民の望みを叶えるために存在するのであって支持者は政党の道具ではない。だが「財産の持ち出しを禁ずる」という私的見解を書いてよこした福島さんにはもうそういう当たり前の声は届かないのかもしれない。

自民・公明だけの政治は内輪化しており対立する政党は必要である。だから社民党にはもう少し長生きして欲しかった。だが、ゾンビとして生き残るくらいなら早く成仏してほしい。今の社民党は誰のためにもならない。

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