「こんにちはガースーです」の醜態

TBSで奇妙なコンテンツを見た。総理大臣が出てきて「こんにちはガースーです」と挨拶したのだ。一体何が起きたのかと思った。広報的には大失敗だったと思う。失敗の理由は表面的には三つあると思う。




第一の理由はこれがニコ生のコンテンツだったという点にある。「若者向け」のネット番組だった。親しみやすさを演出したこと自体は間違いではなかったのかもしれない。間違いはこれがTBSに流れたことである。文脈が異なるため場違い感がより強調されることになった。おそらく地上波に再配信させたスタッフがいたはずである。柿崎明二さんの顔がなぜかちらついた。広報担当の内閣総理大臣補佐官だと思うのだが彼は一体何をしているのだろうかと思った。

実際にはこのコンテンツはニコ生ではなくテレビや新聞といった媒体で否定的に伝えられることになる。テレビで芸能人を吊るし上げるコンテンツがネットで冷笑されるのとちょうど逆のパターンになっている。

「ネットで勝手にやったこと」である上に新しい情報が全く出てこなかった。新聞は「取材して独自情報をもらえるから」政治家を持ち上げるわけで勝手にネットで情報を出されるとそっぽを向いてしまう。それどころか生の姿が露出してしまうので「やっぱり直接話を聞いて見ても何も答えない人だった」という評価になってしまった。

第二の理由が司会の鈴木哲夫さんとの距離の近さである。鈴木哲夫さんはテレビ西日本出身のジャーナリストでフジテレビに出向していた経歴があるようだ。現在はフリーである。ネットだとどう見えたのかはわからないのだがテレビで見ると単に馴れ合いに見えてしまう。政治的に知識のある政治記者に聞かれると防衛的になってしまうのだが仲良しだと笑って話せるというのは単に甘えた人であるということになってしまうからだ。「こんな人に日本を任せても大丈夫なのか」と思ってしまうのだ。これもネットとテレビの違いから生まれた誤算なのかもしれない。

菅総理は精神的に脆弱なので批判や攻撃に耐えられない。だから人事を弄して批判的な人を遠ざけたり記録を隠したりしてしまうのだろうなと思えてしまう。

最後はニコ生が実は高齢化していたという点である。若い人はもうYouTubeに移っているのであろう。今回この話をQuoraでしたところ「メイン視聴者は30代から40代なのではないか」という人がいた。日本がよかった時代を知らず中国が脅威であるという認識を持っている世代だ。

これを裏付けるようにプロの新聞記者が聞けなかった中国との「弱腰外交」についてダイレクトな質問が飛んでいた。茂木外務大臣が尖閣諸島についてその場に反論しなかったというのだ。若いYouTubeやTikTok世代にはない発想だ。おそらくニコ生世代には切実な問題なのだろうが菅総理はヘラヘラと答えていた。

結果的に通信社は「ガースーです」の挨拶しか伝えず「国民が苦しんでいるのにニタニタしていた」などする論評が多かった。GoToキャンペーンの中止を「まだ考えていない」といったことは多く伝えられている。分科会の尾身会長が何回も一時停止を訴える中「まだとは何事か」ということになっている。

おそらく菅総理大臣とスタッフには二流のメディアと若い視聴者には自分たちの主張が通ると思ったのかもしれない。だがネットは既存メディアから冷笑的に監視され視聴者も思っていたような人たちではなかった可能性がある。本当はネットの方が難しかったのだろう。おそらく菅総理が茂木外務大臣をかばうのを聞いて納得した人はいないだろう。

テレビではそのあと警察官僚出身の杉田和博内閣官房副長官が日本学術会議のメンバーについて外すべき者(副長官から)と書いた公文書が見つかったとするニュースをやっていた。書類の黒塗りがまた不気味さを醸し出している。仲間内にしか説明ができず裏で反対者を排除する独裁的な首相だが表ではみっともない愛想笑いを浮かべているという図式ができてしまった。

どうしてこうなったのかと考えたのだが、おそらく個人に自信が持てない日本人は総理大臣に根拠なく大丈夫だと保証してもらいたがっているのだろう。その意味では安倍総理は適任だった。菅総理は逆に国民に保障を求めておりこれが嫌われている。日本人は総理個人にも政治にも大した興味はないので「そんなことを求められても困る」のである。

では「安倍総理再登板」ということになる。中央政界ではそうした声があるそうだ。だが、これも無理ではないだろうか。TBSの報道特集を見ると桜を見る会問題は地元の後援者たちに「恥ずかしい」という意識を与えているようだ。他県の人に「安倍晋三さんを応援している」とは言いにくい。さらに経済政策は統計を誤魔化せばなんとかなったのだがコロナの死者や感染者の数字は誤魔化せない。安倍総理がいくら「私たちはうまくいっている」といってもごまかせるものではなさそうであるし、これまで得られてきた爽快感は得られそうにない。「スカッと爽やか」という前政権の商品価値を破壊したというのが菅政権のおそらく唯一の功績だろう。

こうなると総理大臣は表面的な人気取りを諦めて実際に成果を出さなければならない。やっと当たり前の政治が戻りつつあるのだということになる。我々は第二次世界大戦でアメリカに負けてやっと民主主義を手に入れた。そして今ウイルスに負けることで当たり前であるべきだった「説明責任」という言葉の意味を理解しつつあるということになる。

なぜいつも国民の犠牲がないと政治は動かないのかというモヤモヤは残る。だがこれが今起こっていることの意味なのではないかと思った。

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